トランバンの騎士
ネノフの言葉に機嫌を直したのか、双子は大人しく窓の中へと戻る。続いて窓枠を降りたエンドリューと双子の賑やかな声が階上から聞こえた。その声が廊下を移動するのを聞いていると――イグラシオは背後から声を掛けられた。
「あー、イグラシオ様だっ!」
双子以上に元気な声の持ち主は、振り返って確認せずとも判る。
現在『ネノフの家』で生活している最年長の少年アルプハだ。
イグラシオが声の主にゆっくりと振り返ると、その間に少年は鳶色の髪を揺らしてすぐ側まで駆け寄ってきていた。
「アルプハか。少しだが、小麦を持ってきた。
馬の背にある。納屋に運ぶのを、手伝ってくれるか?」
「一人でへっちゃらだい。オレ鍛えてるもん」
そう薄い胸を張る少年に、イグラシオは目を細めて笑う。
「そうか。では任せていいか?」
「うん!」
言うが早いか、アプルハは手綱を引き、馬を上手に誘導し始める。元々気の難しい馬ではないが、素直に子どもの言うことを聞くのも珍しい。それだけアルプハに慣れている――逆に言えば、イグラシオが孤児院に顔を出している――のだろう。小麦の袋を馬の背から降ろすのに、もう手伝いのいらない歳なのか、と頼もしくもあった。
馬を引きながら納屋へと歩くアルプハを見送り、ネノフは苦笑を浮かべる。
「……いつもありがとう、イグラシオ」
今だけは、騎士への敬称を取り去って礼を述べる。
イグラシオが小麦等を孤児院へと寄付してくれるのは、『騎士だから』ではない。
「私は、今でもここを自分の家だと思っている。弟や妹を飢えさせないために、兄として麦や米を運ぶくらいは、礼を言われる程の事ではない」
「あなたがこの『家』にいたのは、たった4年間だけだったのに……。いつまでも、そのことを恩に感じていることはないのよ?」
あなただって、そろそろ身を固めて――と、雲行きの怪しくなってきた話題に、イグラシオは眉をひそめた。
いつまでも独り身でいる事をネノフが心配していることは知っているが、自分にはそんな余裕はない。生涯の伴侶となる女性をみつけ、家庭を持つ余裕など。
「……それに、ただでさえ苦しい所に、食い扶持を増やしたのは私自身だからな」
苦手な方向へとそれ始めた話題を強引に戻そうと、イグラシオは口を開く。ネノフは一瞬だけムッと眉をひそめたが、小さくため息をはくだけで、言及はしなかった。
イグラシオが孤児院の者ならば。せめて、村の若者であったのならば、いくらでも自分が口を利いて相手を探すこともできるが。イグラシオは村の若者ではない。良家の養子となり、今や領主に仕える騎士だ。ネノフのような者が、その婚姻にまで口を挟めるわけが無い。
たった数年とはいえ、手元で育てた少年の嫁と子どもがみたいという、極普通の願いであったとしても。
小さくため息を吐いた後、拗ねたように口を閉ざした老女に、イグラシオは苦笑する。
ネノフの心配はありがたい。が、その心配の種を取り除いてやれるのは、当分先だ、と。
さて、すっかり拗ねてしまった老女の機嫌を、どのようにして取り戻そうか。
そうイグラシオが思い巡らせ始めると、階段を下りてきたエンドリューが口を開いた。すぐ後ろを、大工道具を大事そうに抱いた双子がついて歩いている。
「その『食い扶持』のことですが」
双子の乱入に遮られ、後回しになっていた報告。そもそも、最初にイグラシオに声をかけたのは、佳乃についての報告をするためだった。
「イータ、テータ、道具を納屋に片付けたら、佳乃を呼んできてくれるかい?」
「わかった」
「ん」
エンドリューに仕事を命じられて、双子は嬉しそうに笑うと、道具箱を抱いたまま外へと飛び出す。それを見送ってから、ネノフは話の邪魔をしないように、とお茶の準備をすると言ってから台所へと消えていった。
「……あの佳乃という女性、貴族か富豪の娘ではないでしょうか」
人はいなくなったが念のため、と幾分潜められたエンドリューの声に、イグラシオは眉をひそめる。
「何故そう思う?」
「昼近くまで寝ていたことから、農家の娘ではないと推測できます。それと、与えられた自分の食事を子ども達に分けたことから、普段から『食べることに不自由していない』生活を送っていたと考えられます。あとイータとテータの言うことには、イオタが汲んだ井戸水を一度は飲もうとしましたが、見つめるだけで結局は飲まなかったそうです」
農家の娘であれば、日の出と共に目覚める習慣が身についているはずだ。普段から食べ物に不自由な生活をしていれば、ただで食事を提供されるという状況において、それを辞退することはないだろう。
「昼近くまで眠っていたのは、昨夜はなかなか寝付けなかった、ということも考えられますが……」
「半日以上食事を取らず、空腹を覚えない『村娘』はいない、か……」
収穫期、その祭りの後であれば、あるいは空腹を感じない日もあるかもしれないが。
まかり間違っても現在のトランバン領内で、空腹を覚えない者はいない。農村でも喰うに困る者がいるのだ。街となれば、それはもっと激しい。
そんな状況にも関わらず、空腹を覚えないとなると……富豪か貴族の娘が、身代金目的に盗賊に攫われ、捕まりそうになったので捨てたのだろう。盗賊も、金より自分の身の方が可愛い。足手まといになる人質ぐらい、また別から調達すればすむことだ。
「佳乃とは話せるか?」
「イータとテータの言うことには、だいぶ落ち着いているようですので、可能でしょう。今呼びに行かせましたので、じきに――」
と、双子の走り去っていった方向に視線を移し、エンドリューは目当ての姿を見つける。
仲良く手を取りあい走る双子といつの間にか増えているイオタの姿に、イグラシオは眉をひそめた。
「エンドリューさま」
「おねぇちゃ、いない」
双子の言葉に同調するように、イオタがコクコクと頷く。
その仕草をみて、騎士二人は顔を見合わせる。
「いない?」
「どういうことだ?」
エンドリューの言葉を継ぎ、眉をひそめるイグラシオに、イータが答えた。
「裏の井戸の前にいないの」
「畑にもいない」
「家の中にもいなかったよ」
イータに続くテータの言葉に、今度は小麦の袋を納屋に運んだ後裏口から家の中に入ったらしいアルプハの声が続く。どうやら、僅かな時間の間に子ども達は連携をとって佳乃を探してくれたらしい。
佳乃の姿は家の外に見えない。
家の中にも見えない。
子ども達のもたらしたその報告に、イグラシオは渋面を浮かべた。
家への帰り道を求め、佳乃は昨夜の記憶だけを頼りに村を抜け、山道を歩き、森へと辿り着いた。
昨夜は暗い夜道を歩いていたため、絶対に同じ森の同じ場所だ、という確証はない。だいたいこのぐらいは歩いたであろう、と思える距離を歩き、とりあえずは森と呼べる場所へと佳乃は辿り着いた。
施設の敷地を出てから森に辿り着くまで、明るい太陽の下に家々等様々な風景を見てきたが、やはり自分の住んでいた街ではないと再確認させられただけだった。
佳乃は辿り着いた森に立ち、辺りを見渡す。
すでにため息も出ない。
ため息を吐くよりも、早く元の場所へと帰りたかった。