トランバンの騎士
そして一つ加えるのならば、昨夜捕縛した賊の頭目でもあった。
「閃光騎士団の団長様に名前を覚えられているたぁ、あたしも有名になったもんだね」
イグラシオを挑発するように短剣を揺らし、ヒルダは目を細める。
昨夜から戻ってこない仲間を探しに来ただけだったが、とんでもない大物に遭遇してしまった。さて、これを好機と取るか、否か……と油断なく相手の出方を見守る。佳乃を背に庇い立ち、いかにも立派な騎士様といった風体のイグラシオに、ヒルダは内心で舌を巻いた。腹立たしいことに、隙が無い。さすがは領主の騎士。騎士団長の名は伊達ではない。
が、イグラシオが領主の騎士だというのならば、自分は盗賊としてそれに刃向かうだけだ。
ヒルダはゆらゆらと挑発していた短剣を引き寄せ、馬上のイグラシオへと狙いを定めた。
「大人しく縛につくのなら、丁重に扱ってやろう」
「はっ! 御大層な騎士様だって、馬から落ちることがあるって、教えてやるよ」
「騎士は、盗賊ごときに遅れはとらぬ!」
言い終わるや否や、振り下ろされたイグラシオの剣を、ヒルダはひらりと横へとかわす。馬上にいるだけ、高さという意味ではイグラシオが有利であったが、身軽さではヒルダに分があった。
目の前で剣を振り回し始めた騎士と盗賊に、佳乃は後ずさり、すぐに行きどまる。背中の堅い感触に、すぐ背後に木が立っていることがわかった。力の入らない足を庇い、佳乃は木に縋りつく。そのまま重心を木に預け、佳乃はなんとか立ちあがることに成功した。
視点があがると、見えてくる風景も変わる。
見上げるばかりの騎士と盗賊の鍔迫り合いは恐ろしいだけであったが、僅かに余裕を持てた。
佳乃は胸に手を置き、深呼吸を繰り返す。
怖い。が、昨夜ほど取り乱すことはなさそうだ。
佳乃が見守る目の前で、女盗賊は身軽さを活かしてイグラシオを襲い、イグラシオは高さを活かして剣を振るう。イグラシオの乗った馬は訓練されているのか、隙あらば盗賊を蹴り飛ばしてやろうと鼻息が荒い。時々、振り上げられる前足に、盗賊はイグラシオの剣以上に、そちらに注意を向けていた。
ヒルダはイグラシオの剣を短剣で受けては横へ流し、すかさず襲い来る馬の前足を避けて後ろへと下がる。そこに再びイグラシオが剣を振り下ろし……としばらく繰り返され、ついに腹を決めた。
イグラシオ一人でも手に余る相手だというのに、その馬も良く訓練されている。
今のままでは、2対1で戦っているのと、大差はない。
となれば、先にどちらか一方を倒す必要があり、この場合狙いを定めるべきは、剣以上の脅威を持つ馬の足である。
ヒルダが姿勢を低くし馬のみに狙い定めると、イグラシオはそれに気がつき、即座に対応した。
馬の急所のみを目指して振り下ろされたヒルダの短剣を、イグラシオが弾く。
弾かれた短剣は、くるりと弧を描き――佳乃の頭部、わずか数センチ横の背後に立つ木の幹へと突き刺さった。
「ひゃっ!?」
立ち上がり、二人の様子を見ていたお陰で咄嗟に反応することができた佳乃は、奇妙な悲鳴を上げてその場にしゃがみ込む。さすがに、今度ばかりは腰を抜かすこともできなかった。咄嗟とはいえ、反応できなければ自分の身にも災いが降りかかる。
「佳乃……っ!」
聞こえた佳乃の悲鳴と、視界の隅で動いた人影に、一瞬だけイグラシオの気がそれた。咄嗟に佳乃を振り返りそうになり、思いとどまった時には遅かった。
「あーらよっと!」
短剣を失ったことで両手が開いた盗賊は、馬の手綱を掴む。そのまま自身の体重を利用し、勢い良く馬上のイグラシオへと足を振り下ろす。むしろ、体当たりに近かった。不安定な体制に、ヒルダからの体当たりを受け、イグラシオは不覚にも落馬した。
「ぐっ」
反射的に受身を取るイグラシオが体制を整えるより早く、ヒルダは隠し持っていたナイフを取り出す。ナイフと言うよりもナックルと呼んだ方が近い。柄の代わりに持ち手があり、刃の数もひとつではない。獣の爪のように3枚の刃がついた、殺傷力を高めたナイフだ。一見して手甲のようにも見える。
「目障りなんだよ! ボルガノの犬がっ!!」
いまだ体制を整えられていないイグラシオに、ヒルダはナイフを振り下ろす。イグラシオは反射的にそれを避けるが、間にあわない。
すっと3本の赤い筋の入ったイグラシオの左頬に、ヒルダは笑う。
不意打ちであったが、避けられた。本当ならば、致命傷を狙っていたにも関わらず。
「男前になったじゃないか」
「……女にしておくには惜しい逸材だな」
ようやく体制を整えたイグラシオは、血の流れる頬を指で撫で、傷の深さを確認する。痛みはまだ無い。が、じきに疼き始める深さだろう。傷跡も残る。
一瞬の隙とはいえ、後に残る傷を負わせてきた盗賊に対する自分の評価を改め、イグラシオは剣を構え直した。
生かしたまま捕らえる――その考えは、捨てた方が良い。
「あんたに誉められても、嬉しくないね」
すっと雰囲気の変わったイグラシオに、ヒルダはナイフを構え直す。
どうやら、ようやく本気になったらしい。腹立たしいことに。
次に動く時が、決着の時。
それは見守るだけの佳乃にも解った。
にらみ合う二人は一歩も動かない。
嫌な沈黙。
その沈黙を先に破ったのは、騎士でも盗賊でもなかった。
「団長ー!」
木々の間に響く歳若い声。それと同時に、規則正しい蹄の音も聞こえている。
状況が変わった。
たった一人の援軍とはいえ、騎士対盗賊の睨みあいは大きく力の均衡を崩す。
エンドリューの到着に、イグラシオは油断なく剣を構えたまま僅かに視線をそちらへと逸らす。その一瞬の隙に、ヒルダは袖の隠しから取り出した投げナイフを佳乃へと投げる。2度目の佳乃の危機を見逃さず、イグラシオをそのナイフを叩き落し――その新たに生み出された隙に、ヒルダは早々に逃走を決めた。
騎士2人を相手にするには、さすがに分が悪いと踏んだらしい。
佳乃への投げナイフは、イグラシオの隙を生むためのただのフェイントだ。この場でヒルダが佳乃を害する意味は無い。
木々の狭間へと姿を消すヒルダの背を見つめ、イグラシオはエンドリューの到着を待たずに指示を出す。
「あれが賊の頭目だ。追え!」
「はっ!」
そうヒルダの消えていった空間を睨み続けるイグラシオに、エンドリューは馬を止めることなく森の中へと賊の姿を追いかけていった。
盗賊を追うエンドリューを見送った後、イグラシオは馬の鞍につけた荷物を漁る。いつ何が起こっても良いように、簡易の治療道具がそこに入れてあった。多少深い切り傷ではあったが、応急手当には十分だ。
一人で傷の手当を続けるイグラシオを、佳乃は遠巻きに見守る。