トランバンの騎士
【02章】新しき生活・新しき住人
早いもので、佳乃が孤児院で暮らすようになってから、すでに半月が過ぎた。
その半月の間、佳乃はただ無為に過ごすのではなく、できるだけ『この世界』を知るよう努力した。『早いもので』と感じるのは、ただただ懸命に、この世界を知ろうと足掻いていたおかげかもしれない。家に帰りたい、元の世界に帰りたい、と嘆くよりはよほど建設的だっただろう。とはいえ、佳乃に知ることのできる『世界』など、本当に僅かなものだ。それでも孤児院を手伝いながら、ある程度のことは学べた。
たとえば、佳乃が身を置いている施設は、自治領トランバンの外れにあるムサリルという名の村の施設らしい。村人からは『ネノフの家』と呼ばれる孤児院であり、敷地内にあった3棟の一つがそれだ。二階建てだが、建物の大きさとしては真ん中になる。一番小さな建物は家畜小屋と納屋を兼ねており、逆に一番大きな建物は所謂『教会』的な役割をもち、休息日には村人が礼拝に訪れていた。どんな神を信仰しているのか佳乃には理解できなかったが、礼拝堂を覗くと祭壇の上に木彫りの神像が6柱ある。どれも美しい女性の姿をしていることから、少なくとも孤児院を預かる修道女ネノフの信仰している神は、女神だ。それぞれが何を司る女神なのかは、いつかネノフに聞こうと思う。
佳乃にはまだ、神様の名前や役割よりも先に覚えることが一杯ある。
それは、自分の仲間となる孤児院の子どもの顔と名前を覚えることだった。
孤児院で一番年少なのが、茶色の髪に緑の瞳をしたイオタ。3歳の男の子で、どうやら甘えん坊らしい。初日から佳乃に良く懐き、人見知りとは縁遠い性質を持っていた。未だに声を聞かせてはくれないが、嫌われているということはない。いつも気がつくと佳乃の側に来ており、手が空いていると見るやべったりと甘えても来る。
次にイータとテータの黒髪に黒い瞳をした双子が続く。こちらもイオタと同じく3歳だが、誕生日よりも孤児院に引き取られた日でイオタより『年長』とされていた。最近孤児院にきたイオタの正確な誕生日はわかっているが、赤ん坊の頃に孤児院に来た双子の誕生日は誰も知らない。便宜上定めた誕生日だけで判断するのなら、双子の方がイオタの妹分になる。イータは健康そのものだが、テータは少々身体が弱い。少し『はりきる』と、翌日にはすぐに熱を出して寝込んでいた。
双子とイオタを纏めるのが、4歳になるズィータ。金髪に青い目をした少女で、髪を肩で切りそろえている。こちらはイオタとは真逆で警戒心が強く、佳乃が孤児院に住むことになった初日の夜、寝かしつけられるその瞬間まで、佳乃に対して一言も口を開かなかった。とはいえ、警戒心が強いぶん一度慣れてしまえばイオタ同様の甘えん坊を発揮している。馴染みのない『おやすみのキス』という習慣を、佳乃に身に付けさせたのもズィータだった。
年少4人とほんの少し離れてエプサイランという7歳の少女がいる。茶色の髪に緑の目をしていて、家畜の世話が上手い。掃除や畑の世話等は子ども達とネノフが手分けをしてやっているが、家畜の世話はほとんどエプサイランの独壇場だった。彼女以上に手早くヤギの乳を搾れる者はいなかったし、鶏の巣から卵を抜き取るのも手際が良い。佳乃は一度だけ世話を手伝おうと鶏舎に入ってはみたが、凶悪としか言いようの無い親鳥の猛攻に、撤退を余儀なくされた。家畜の世話に関してはネノフがエプサイランに一任している理由を、嫌というほど――むしろ痛いほど――理解させられた。
エプサイランのすぐ上に、デルタという8歳の少年がいる。黒髪、とイオタとは違う髪の色をしているが、瞳の色は緑で同じ。二人は血を分けた実の兄弟だった。それが理由なのか、手が空いた時間にデルタはイオタの側に居ることが多い。必然的に佳乃の側にいることも多くなり――時々質問攻めにされる。とかくデルタは勉強が好きらしい。佳乃はこちらの文字を読むことができなかったが、日本で学んだ知識はある。8歳の少年の知識欲を満たす程度の知識ならば、問題なく披露することができた。
10歳になる女の子の最年長がビータ。赤毛に青い瞳をしている。そばかすが少しあり、癖のついた髪をおさげに編んでいる。あくまでも『女の子の最年長』ではあったが、精神年齢で言うのなら子ども達の中での最年長といってもさわりはない。子ども達の中でビータが一番しっかりとしていた。佳乃はネノフから仕事を教わることが多いが、ビータからも頻繁に物を教わる。そう、10歳の少女から。
最後に、本当の最年長にアルプハという11歳の少年がいる。鳶色の髪と瞳をした少年で、騎士に憧れていた。イグラシオとエンドリューが大好きで、いつか彼らのような騎士になりたいと言っては、体を鍛えている――と言えば聞こえは良いが、実際にはただの『わんぱく坊主』だ。落ち着きのない元気の塊のような少年で、それに付き合わされたデルタが時々かすり傷を負って帰ってくる。もちろん、アルプハ本人が負う傷は、それ以上のものであることも多い。
合計8人の子ども達。それらの顔と名前、性格や趣向を覚えるのも大変だったが、佳乃が覚えるべき事はそれだけではない。
井戸水を生活用水に使っていることなど、可愛いものだった。
やはりというか、台所周りが日本とはまったく異なる。古き良き囲炉裏や竈があるような日本の民家――などという次元の話ではない。当然、洗濯機も冷蔵庫はない。電子レンジもなければ、ガスコンロもない。すべてが手作業となる日本とは勝手の違う家事を、佳乃はネノフや子ども達に教わることでようやくこなす事ができていた。
が、佳乃が手伝う孤児院の経営は、家事ばかりではない。
教会を兼ねているため寄付や寄進もあるが、ネノフの家は基本的に自給自足を宗としている。自家菜園と呼ぶには広すぎる畑も、そのためだ。
その畑の世話も、子ども達や佳乃の大切な仕事となる。これを怠ると、しっぺ返しはすぐに自分たちに降りかかるので、自然という物は恐ろしい。イグラシオの言った『毎日食べられるかはわからない』という言葉は、決して冗談ではなかった。孤児院自らの蓄えとイグラシオの寄付のより、自分たちは今のところ毎日食事を摂れている。が、それも朝夕の2回だ。昼食は無い。もっとも、太陽の昇る少し前に起きだし、太陽が沈むのとほぼ同時に眠る生活を送っていれば、我慢できない物ではなかった。