トランバンの騎士
お乳作りは簡単だ。混ぜる物の量と手順を間違えなければいい。
それを与えるのはもっと簡単だ。布に染み込ませて、哺乳瓶のように吸わせてやればいい。
そして、おしめ換えは――汚物をキレイにするだけならば簡単だ。それはただの作業であるのだから。
「いきますっ!」
何やら袖捲くりでもしそうな剣幕の佳乃に、遠巻きにそれを眺めていたエンドリューは眉をひそめる。
佳乃がしようとしている事はおしめ換えであり、剣を持っての戦や薪割りではない。力を込める必要も、気合を入れる必要も、エンドリューには感じられなかった。
ややぎこちないながらも慣れ始めた手つきで佳乃は赤ん坊の濡れたおしめをはずす。それから、こちらは手際よくお尻周りキレイに拭いている。今回はおしっこのみなので、作業も少ない。すぐにキレイになったお尻に、乾いたおしめを巻きつけ――佳乃が妙に気合を入れていた理由を、エンドリューは知ることとなった。
「……完成?」
僅かに不安そうに首を傾げながら、佳乃は双子の顔色を伺う。
見た目には、誰が見ても問題がない。ミューのおしめはキレイに巻かれていた。形だけを見るのなら、完璧と言って良い。
が、見た目で判断ができず首を傾げる双子に、佳乃はミューの脇に手を入れ、長椅子の上に立たせてみた。
――ずるっとおしめはずり落ちる。
それを見た双子は、情け容赦なく判定を下した。
「しっぱーい!」
「やりなおし」
笑顔で再チャレンジを言い渡した双子に、佳乃は肩を落とす。
お乳を作るのも、寝かしつけるのも、あやすのも、お尻をキレイにすることも覚えた。が、どうしてもおしめを着けることだけは、未だに覚えられなかった。というよりも、自分はちゃんとネノフの作業を見て、何度も教わりながらそれをやってきている。にも関わらず、一人で挑むと一度では成功しないというのは、どういうことだろうか。完成した形を見る限り、どこかが間違っているとは思わないのだが、いまひとつおしめの安定が悪い。立たせると必ずといって良いほど、おしめはずり落ちた。では、寝かせておくだけならよいか? とも思うが、それだと今度はいつの間にかおしめは解けてしまっている。
この世界に紙おむつがないのは仕方がないのかもしれないが、それが恨めしかった。
「ううっ……」
もう一度、最初からやってみよう、と佳乃は乾いたおしめを解き、ミューに向き直る。
「こうして、こうで、こうなって……こうでしょ?」
手際よくミューのおしめを換えていたネノフの手順を思い出しながら、佳乃は同じように手を動かす。途中、ポイントとしてビータに教えられたコツも折りいれて、完成。
さて、今度はどうだろうか? と確認のためにミューの脇の下に手を入れて持ち上げると――やはりずるりと、おしめはずり落ちた。
「またしっぱい」
「やりなおし」
容赦のない双子の判定に、佳乃は眉をよせる。が、投げ出すわけにもいかない。
「……なんで、みんなはパパッとできるの?」
等と泣き言をいいながらも、佳乃は三度目の挑戦にうつる。
見目良くおしめが付けらました。
立たせて見せます。ずり落ちました。
はい、もう一度……と繰り返す佳乃と双子に、エンドリューは首を傾げる。
エプサイランから、ミューの世話は佳乃が任されている、と聞いたので、ミューを佳乃の元へと連れてきた。が、これではネノフに直接……もしくは、エプサイランに任せた方が、よほど赤ん坊のストレスも少なく済む。
排泄の処置だけは手早く済ませられたが、いつまでも下半身を露出したままでは、赤ん坊の身体が冷えてしまう。
「……貴女は、何をしようとしているんですか?」
ついつい洩れた険のある声音に、エンドリューは眉をひそめる。
佳乃に対する苛立ちが、つい声音に出てしまった。
それに答える佳乃の声も、エンドリューの内心が解ったのか険を帯びる。
「……見たとおり、おしめ換えです」
佳乃はエンドリューに振り返らないが、作業の手が止まっていた。
今だけは、振り返らないで欲しい。そう、切に願う。
振り返られてしまっては、つい己の苛立ちの全てを口に出してしまいそうだった。
エンドリューは振り返らない佳乃に安堵し、内心に蟠るものを押し込める。それから可能な限り平静を装って答えた。
「……そんな締め方では、おしめが落ちるのは当たり前です」
「え?」
一瞬前とは打って変わり、いっそ穏やかといって良い響きを持ったエンドリューの声に、佳乃は驚いてエンドリューを振り返る。
エンドリューは佳乃と目が合うと、すぐに顔を逸らした。
「……エンドリュー様は、おしめ換えができるんですか?」
「できます」
きっぱりと返すエンドリューに、佳乃は瞬く。
それから、表情には出さなかったが、内心で毒づいた。
(だったら、何もわたしのトコまで連れてこなくたって……)
エンドリューがミューのおしめを換えても良かったはずだ。
意外な発言ではあったが、それ以上にエンドリューの物言いを不快に思い、佳乃は首を傾げる。
まさか、結婚どころか恋人もいない身で『育児を手伝わない夫に不満をもつ妻』の気分を味わうことになるとは思わなかった。
言葉にこそ出してはいないが、些細な所作から解る感情がある。
エンドリューは僅かに首を傾げているだけの佳乃から、今度こそ『不快だ』と思っていることは間違いないと悟った。お互いに言葉の険はいくらか取れているが、どこかよそよそしい。お互いに出合って数回という間柄なので、『他人』であることは確かであったが。
無言のままに自分を見つめる佳乃に、エンドリューは口を開く。
何を考えているかは、なんとなくわかった。
「ミューの世話は、あなたの役目だと聞いていましたので」
だから、赤ん坊を佳乃の元へと連れてきた。
もちろん、それがこんなにも手際の悪い『母親』だと知っていれば、その場で自分かエプサイランがおしめを換えていた、と言外に込めて。
澄ました顔でそう答えたエンドリューに、佳乃は視線をミューへと戻す。エンドリューの顔をこれ以上見ていたら、手を――むしろ、拳かもしれない――出さずにいる自信はない。
(なんとなく思ってたけど……)
エンドリューは自分を嫌っている。
そう、確信した。
とはいえ、佳乃には嫌われる覚えはない。逆に言えば、好かれる覚えもないが。
出会ったばかりの頃はそうでもなかったが、イグラシオやネノフとは違うどこか佳乃を突き放すような響きを持つエンドリューの言葉に、佳乃もエンドリューに対してしっかりと苦手意識を持ってしまった。嫌味を言われればそれをそのまま返してしまう相手と、仲良くなれるはずもない。
――と、不意にミューが激しく泣き始めた。
どうやら、佳乃とエンドリューの険悪な雰囲気を感じとり、不安になったらしい。
抱き上げても、体を揺らしても泣き止まないミューに、佳乃とエンドリューは困惑する。一瞬前まで険悪な雰囲気であったことなど忘れたかのように仲良く閉口し、ミューを泣き止ませようと知恵を絞った。
「あらあら、どうしたの?」
不意に聞こえた第三者の声に、これぞ天の助け! とエンドリューと佳乃はネノフを振り返る。