トランバンの騎士
畑が広がり植える物も増えた。自家菜園と称してはいるが、立派な畑と呼べる面積があり、凶作どころか『普通よりも良い』収穫。あくまで『自家菜園』なので、外に売りに出しているわけでもない。贅沢をしなければ、自分たちが食べていくには十分な収穫だと思えた。それでなくとも、孤児院にはイグラシオが麦や米を届けてくれている。にも関わらず、食卓に上るものは味の薄い野菜スープと薄いパンだけだ。
首を傾げる佳乃に、ネノフは苦笑を浮かべる。
「それは……『みんな』で食べるからよ」
「みんな?」
孤児院の子どもと、自分たちではなくて? と佳乃が瞬くと、ネノフは視線を周囲へと廻らせる。その仕草に、佳乃はようやく気が付いた。
ネノフの言う『みんな』は、孤児院の子ども達だけではない。村人を含む『みんな』なのだ、と。
そう気が付いたが、となると更なる疑問が佳乃には浮かぶ。
「……でも、ここって農村ですよね? 村の人だって、ここより広い畑で作物を育てているのに……」
「それは……」
何故、村人よりも狭い畑で作物を収穫している孤児院が、広い畑を持つ村人に食料を分けているのか。その答えに見当が付かず、何やら言い淀むネノフの姿に佳乃が瞬いていると、後ろから声が聞こえた。
「豊作であればある程、凶作であっても手心は加えられず、収穫のほとんどを税として徴収されるからだ」
いつの間にか背後に立っていたイグラシオに、佳乃は振り返る。その手には柄の折れた鍬が握られていた。どうやら、老朽化していたものが、ついに耐え切れなくなって折れたらしい。
「税って……税金?」
なるほど。税金として取られるから、農民ですらも食べるのに困窮するのか、と佳乃は一応の納得をした。
この世界の税システムは判らないが、おそらくは孤児院は教会というどちらかと言えば税金――『教会』の場合は、寄進とも言うかもしれない――を集める側にあるため、農家ほど税金を取られないのだろう。が、農家は違う。その土地をまとめる者の裁量如何で税として収穫を奪われるため、結果として食べていけない者が出ているのだ。そして、修道女であるネノフは食べる物を奪われた農民に孤児院の収穫を分け、自分たちはいつもギリギリの食生活を送っている、と。
「誰に……って、王様がいるの?」
騎士がいるのだから、王様もいるのかもしれない。
そう単純に考えて佳乃は銀髪の騎士を見上げるのだが、イグラシオは眉をひそめ、渋面を浮かべていた。
何か、悪いことを言ったのだろうか――?
佳乃が言葉を撤回すべきかと逡巡すると、渋面を浮かべたままのイグラシオが口を開いた。
「トランバンは自治領だ。王がいない代わりに、領主がいる」
そういえば、そんな話を以前に聞いた気がする。孤児院に着たばかりの頃に。
では、今イグラシオが見せた表情は、物覚えの悪い自分に対して呆れてのものか、と佳乃は僅かに目を伏せた。
自治領トランバンの領地内にあるムサリル村。その『ネノフの家』と呼ばれる孤児院が、佳乃が現在身を寄せている場所だ。聞き覚えのまったくない名前ばかりのこの世界で、『トランバン』という響きだけは僅かに引っかかりを覚えた。とはいえ、異世界に知っている名前などあるはずもない。つまりは、トランバンという名前に覚えた既視感は佳乃の気のせいだ。
「……その領主って」
もしかしたら、騎士であるイグラシオに『様』をつけるのと同様に、『領主様』と呼ぶべきなのかもしれないが。
佳乃はあえてそこには気が付かない振りをした。
「領主って、馬鹿?」
「……なっ!」
首を傾げる佳乃から洩れた領主への暴言に、イグラシオは眉をひそめる。
たとえ領主がどのような人物であれ、自分にとっては主だ。主への暴言は騎士として諌めねばならない、と口を開きかけたイグラシオを、首を傾げたままの佳乃が制する。
「だって、領民が食べられないぐらい税金を取っちゃうなんて」
ぼんやりとしながらも確信を付く佳乃に、イグラシオは口を閉ざす。
そんなイグラシオには気づかず、佳乃はなおも言葉をつむいだ。
「領民が食べられないって事は、飢え死にする領民もいるってことでしょ? 税を納める領民がいなくなったら、自分もご飯食べられなくなるって、考えなくても判ると思うんだけど……?」
自治領ということは、自分たちで治めている領地という意味だろう。領地ということは、そこの支配者は領主ということになる。国家として名乗っていないだけで、実質的には一つの国といっても差し障りはない。国王から領主として領地を預かっているのならば、『自治領』ではなく『領地』だ。
ということは、そこを治める領主はそれなりの才覚を持っていることになる。でなければ、領主になど納まってはいられない筈だ。
にも拘らず、農村の村人がその日の食事に困っている。
これでは、どう考えても現在のトランバン領主は――
「……そうだな」
短くそう答え、背を向けたイグラシオに佳乃は瞬く。
何か、また気に障ることでも言ってしまったのだろうか? そうも思うが、呼び止めて問い質すことも憚られた――というよりも、向けられた背中から感じる『拒絶』に、佳乃は追いかける事ができなかった、と言う方が正しい。
折れた鍬を担いで納屋へと向かうイグラシオを見送ると、ネノフがホッと息を吐くのが聞こえた。
その反応に、やはり何か自分はイグラシオに対してまずい事を言ってしまったのだろう、と佳乃は確信する。すぐに追いかけるべきか、否かと眉をひそめると、ネノフが口を開いた。
「……さあ、佳乃。保存食を作るから、手伝ってちょうだい」
その誘いに、無意識に佳乃の唇からも安堵のため息が漏れた。
不揃いなキュウリを切りそろえ、そこに塩を振る。余分な水分を搾り出した後、陶器の中にキュウリをキレイに並べ、佳乃はその上からネノフの作った酢を流し込む。蓋をのせて密封し、それを先にネノフの作ったピクルスの横へと並べると……とりあえず、ネノフの手の入った保存食作りは終わった。
「……これでよし、と」
二つ並んだ陶器を見つめ、佳乃はホッとため息を漏らす。
問題は、これからだ。
ネノフは佳乃に保存食の作り方を教えた後、『残りは任せる』と言って別の仕事を片付けに台所を去ってしまった。子ども9人に対し、ネノフ1人で世話をしているので、世話役の絶対数は以前から足りない。そこに人手としてはあまり役に立たない佳乃が加わったので、子ども10人に対し、世話役1人と言った方が正しいかもしれなかった。ネノフの仕事は、いくら働いても無くなることはない。
佳乃はネノフに教わった通りの分量、手順で酢を作る。
ワインビネガーと水、砂糖、塩、いくつかのハーブが入った『酢』は、見た目にはネノフの作った物と変わりは無い。匂いも大差はない――と思う。
が、佳乃にとってピクルス作りは始めての作業だ。手順通りに作っているつもりではあっても、不安は付きまとう。自分ひとりが食べる物ならば、失敗してもそれは佳乃の責任であり、責任をもって食べればいい。が、これは孤児院に住む者みんなで食べる物だ。佳乃の失敗に付き合わされるのは、佳乃一人ではすまない。