トランバンの騎士
盗んできたものか? と、言い終わるよりも早く、ヒルダの中指が佳乃の額を弾いた。予期せぬ――所謂デコピンによる――攻撃に、佳乃は額を押さえて痛みに耐える。
「いっつぅ……」
「このヒルダさんを舐めるんじゃないよ。テメェの家に入れる金が、汚いもんな訳ないだろ」
「……すみません」
ヒルダは、一応『盗賊は悪い事』だと理解しているらしい。
盗賊をしている女性がどこから綺麗な金を稼いでくるのかは解らなかったが、ネノフに渡した金は彼女なりに考えるのならば筋の通った物らしい。
盗賊という職業は『悪い事』以外の何物でもなかったが、ヒルダという女性自身は『悪い人間』ではない。
そう理解して、佳乃は首を傾げる。
「でも、不思議な感じ。盗賊が孤児院に寄付だなんて」
盗賊といえば、他者の財産を盗み出し、自分の物にする者だ。いくら過去に世話になった家とはいえ、他者に財産を譲る盗賊など聞いたこともない。
首を傾げたまま疑問を口にする佳乃に、ヒルダは目を細めた。
佳乃の物言いは、間違ってはいない。極当たり前の感想であろう。
「……閃光騎士団ってのは、知ってるかい?」
「イグラシオさんの居る騎士団、ですよね?」
騎士団団員の顔はエンドリューとヒックスの顔しか知らないが。
『閃光騎士団』という名前は何度も聞いている。イグラシオに出会った夜、エンドリューの名乗り、ネノフの説明、ヒックスの口からも聞いた。
「そう。その閃光騎士団」
佳乃の答えに満足気に頷き、ヒルダは視線を周囲へと泳がせる。タイミング良くイオタを肩車したまま畑の中を走り回って遊ぶアルプハが、畑から飛び出してきた。
「アルプハ!」
ヒルダに名を呼ばれ、アルプハは声のした方向へと顔を向ける。視界に佳乃とヒルダの姿を捉えると、顔を輝かせた。
「あ、カイ姉ちゃん!」
イオタを肩車したまま走り寄ってくるアルプハに、ヒルダは微笑む。その微笑みを盗み見て、佳乃は眉をひそめた。
子ども達に向ける微笑は優しく、ネノフに似ている。とてもではないが、あの夜イグラシオに短剣を向けていた盗賊と同一人物だとは思えなかった。とはいえ、あの夜の盗賊だとは、本人に認められていたが。
「いつこっちに来たの? 今日は泊まってく?」
「いいや、もう帰るよ」
「……そう」
ヒルダの言葉にしゅんっと肩を落としたアルプハは、続いて足された言葉に再び顔を輝かせた。
「ネノフにお土産渡しておいたから、後で皆で食べな」
「え? ホント? 何? 何もって来てくれたの?」
「トランバンで買った飴玉」
お土産という言葉に、アルプハは如実に反応した。イグラシオの持ってきてくれる物は生きていくために必要な物が主だが、ヒルダが持って来てくれる物には嗜好品が含まれる。ヒルダが顔を見せるのは半年から一年の間がある。頻繁ではないからこその贅沢だろう。
『飴玉』という言葉にヒルダの周りを走りまわり始めたアルプハの頭上で、イオタが目を回している。ヒルダに対してなんの反応を見せないところを見ると、イオタとヒルダは初対面なのだろう。孤児院に引き取られてくる年齢は、皆バラバラだ。ミューを覗けば、一番新しく孤児院に来たのはデルタとイオタの兄弟になる。
「……で、喜んでるとこ悪いんだけど」
イオタを肩に乗せたまま走り回るアルプハを、ヒルダは手招く。その招きに応じるアルプハは、食事を前にした時の表情と同じだ。
「なになに?」
なんでも言って。なんでも答えるし、なんでも聞くよ。
そう目だけで訴えるアルプハに、ヒルダは苦笑を浮かべた。
「閃光騎士団って、知ってるかい?」
先ほど佳乃にしたのと同じ質問を、ヒルダはアルプハにした。
佳乃は質問の意図が解らず、首を傾げる。
閃光騎士団なら、アルプハも知っているはずだ。イグラシオが預かる騎士団の名前なのだから。
当然、アルプハも佳乃と同じことを答えるのだろう。そう思っていたのだが――アルプハの答えは、佳乃の物とは真逆だった。
「悪い領主の取り巻き騎士団だろ?」
なんでそんな事聞くのさ? と、これまでに見せた事のないような不快な表情をして、アルプハはそう言い捨てた。
露骨に眉をひそめたアルプハに驚き、佳乃は肩車をされているイオタを見上げる。驚くことに、イオタもアルプハと似たような表情をしていた。
「そう、その閃光騎士団。どう思う?」
「悪い領主の味方をしてる、悪い騎士」
アルプハとイオタの意外な反応に瞬く佳乃を横目に確認した後、ヒルダは質問を追加する。
その答えを聞いて、ようやく佳乃はヒルダの意図したことを理解した。
「……ついでに、イグラシオ様の事はどう思う?」
「え? イグラシオ様? 優しくて、強くて、カッコイイ! 俺もいつか、あんな騎士様になりたいんだ!!」
臆面もなくそう答えるアルプハに、ヒルダは苦笑いを浮かべる。
アルプハは知らないが、ヒルダは知っていた。
アルプハが今絶賛したばかりのイグラシオが、その『悪い騎士』であると。
アルプハの答えに戸惑いながら、佳乃はヒルダに視線を向ける。
苦笑いを浮かべていたヒルダは佳乃と目が合うと、肩をすくめた。
騎士と盗賊。
否、イグラシオとヒルダ。
視点と立場を変えて見れば、やっている事も、見え方も同じだ。
佳乃にとって、騎士イグラシオは恩人であり善人だ。そしてヒルダは盗賊であり悪人ということになる。
が、孤児院にとってのこの両者は、共に寄付を運んでくれる元・子ども達であり、子ども達にとっての2人は顔を見せてくれると嬉しい兄・姉である。
そして、アルプハにとっての閃光騎士団は『悪い騎士』らしく――盗賊団について聞くことは、さすがに躊躇われた。もしも聞いたとして、盗賊団こそ善人である。そう答えられた日には、何を信じたら良いのか佳乃には判らなくなる。
「佳乃ママ〜!」
「ママ!」
洗濯籠を仲良く2人で持ちながら、双子が表方向から走ってくる。どうやら孤児院の裏口から入り、建物の中を抜けて洗濯物の干してある表へ向かったらしい。佳乃もそこで2人を待っているつもりだったが、ヒルダと話し込んでしまったため、待ちかねて裏庭まで戻ってきたのだろう。
「かごとって来たよ」
「来たよ〜」
「……ありがとう」
側に走り寄ってきた双子に、佳乃はぼんやりと答える。
アルプハの言葉にというより、自分の感想とはあまりにもかけ離れたイグラシオの評判に驚いていた。
「アルプハ、手伝ってやんな。あんたたちの『ママ』と、もう少し話しがしたいからさ」
「うん、いいよ」
ぼんやりと瞬く佳乃の横で、ヒルダがアルプハに言う。
アルプハには佳乃の異変の理由は解らなかったが、常とは違う佳乃の様子に、アルプハは素直に従った。
「行くぞ、イータ、テータ」
イオタを肩に乗せたまま表へと誘うアルプハに、双子は首を傾げながらも従う。途中、テータが何度か振り返っていたが、結局イータに続いた。
去っていく子ども達を見つめたまま、ヒルダはため息まじりに呟く。
「……『ママ』って呼ばれてるんだね」
「え? ええ、……まあ」