トランバンの騎士
イグラシオは言葉で表現するよりも、態度で表す方が得意らしい。言葉にださずとも、頭を撫でられているイオタは満足そうに笑っていた。それが答えだろう。
考えに考えて自分の事を『妹』と括ったイグラシオに、佳乃は苦笑を浮かべた。
イグラシオと自分は、根本的に考え方が違う。
そう改めて思い知らされた。
核家族化の進む日本で育った佳乃には、イグラシオの考え方は少し理解しがたい。
家に預けたから家族だ等という気持ちは、いったいどこから生まれてくるのだろうか。
嬉しくもくすぐったいイグラシオの言葉に、佳乃は首を傾げながら口を開いた。
「……じゃあ、わたしはイグラシオさんのこと、『お兄ちゃん』って呼べばいいんですか?」
孤児院育ちではない佳乃には、同じ家にいるからといってイグラシオを兄とは到底思えなかったが。
恩のあるイグラシオが自分の事をそう思ってくれているのならば、自分もそれに習うべきか。
そう思って佳乃は聞いたのだが――イグラシオからの了解はなかった。
「いや、それは……」
イグラシオはただ微妙な表情を浮かべて、佳乃とイオタを見比べている。
自分の言葉に対する佳乃の答えは、間違ってはいない。
自分が先に『妹』といったのだから、相手が『兄』と呼ぶのも当然だろう。
本気であろうとも、冗談であろうとも。
が、『兄と呼べばいいのか?』という佳乃の問いに、イグラシオは答えられない。
自分は『妹』と表現したが、それもしっくりとはしていない。そこにさらに佳乃から『兄』と呼ばれるのはおかしな気がした。何かが違う。
微妙な表情をしたまま悩み始めたイグラシオに、佳乃とイオタは顔を見合わせた。
空の頂点からやや傾き始めた太陽に、佳乃は食堂にある窓越しに外を見る。
ひらりひらりと風を含んで揺れるシーツや子ども達の服に混ざって、イグラシオの服が揺れているのが見えた。揺れ方を見る限り、水気は抜けたが、まだ完全には乾いていない。
「ため息をつくと、幸せが逃げていきますよ?」
「……誰のせいだと思っている」
ネノフの育てたハーブを使い、佳乃の淹れたハーブティーをイグラシオは口に運ぶ。
喉を通り抜ける温かい液体と心地よい香りに、イグラシオは二度目のため息を漏らした。
「自業自得では?」
イグラシオの言葉に、佳乃は苦笑を浮かべながらそう答える。
貴重な働き手である子ども達は疲れ果て、眠ってしまっていた。元気の塊のような子ども達が疲れ果てるまで遊んだのはイグラシオだ。
そのために、佳乃は現在困っている。
貴重な戦力を潰した騎士に、その戦力の代わりを務めさせても罰は当たらないはずだ。
佳乃はネノフの前にハーブティーの入ったカップを置き、最後に自分の席にもカップを置いた。
「……自業自得という言葉の意味を、おまえは知っているのか?」
頭痛でもするのか、軽くこめかみを揉んでいるイグラシオに、ネノフは苦笑を浮かべて続く。
何も、佳乃は自分が楽をするためにイグラシオに仕事を押し付けていたわけではないと、解っていた。
「まあ、……悩む暇もないぐらい忙しくて、良かったわね」
多分に実益も兼ねてはいるが、佳乃なりに気を使っていたらしい。
ネノフの言外に込められた意味に気が付き、イグラシオは口を噤む。
女性二人に気遣われては、方法はどうであれ。文句など言えない。
イグラシオが再びハーブティーを口へと運ぶと――表から微かに声が聞こえた。
「? 何……?」
聞き間違いかと佳乃が首を傾げる横で、ネノフはハーブティーを口へと運ぶ。
どうやら、ネノフには聞こえてはいないらしい。
では、イグラシオはどうだろうか? そう思い、佳乃が視線をイグラシオに向けると、イグラシオはすでに席を立っていた。
「……イグラシオさん?」
訝しげに声を潜める佳乃に、イグラシオは唇に指を当てて答える。
耳を澄ませて表の様子を探るイグラシオに、声が聞こえたのは気のせいではなかったのだと確信した。イグラシオに習い、佳乃が耳を澄ませると、声の主は誰何もそこそこに孤児院の玄関を開けて建物の中へと進入してきた。
近づき来る侵入者の足音に、だがイグラシオと佳乃は警戒を解く。
近づいたために聞き取りやすくなった侵入者の声に、それが知った人間であることが判った。
「団長!」
ノックも無しに食堂のドアが開き、廊下からエンドリューが姿を現した。
いつにもなく慌てた様子のエンドリューに佳乃が驚いて目を見張ると、声が聞こえたと同時にドアの側へと移動していたイグラシオが、大柄な自分の体を使ってエンドリューの姿を隠す。
「何事だ!?」
「はっ! あの……」
言い淀むエンドリューが、姿は見えないが自分達の方を見ていると佳乃は気づいた。佳乃がそっと腰を上げると、ネノフが佳乃の手に自分の手を重ねてそれを止める。
「どうやら、お仕事に戻るようね。佳乃、イグラシオ様の服を」
戸口に立ったまま小さな声で会話を始めた騎士2人に、ネノフはそう囁いた。
ネノフの指示に佳乃が洗濯物を取り込んで食堂に戻ると、騎士2人の会話は終了していた。
談話室に移動した後、先に孤児院の外へと出たエンドリューがイグラシオの馬に鞍を取り付けている。その作業を室内から見つめるイグラシオに、佳乃は生乾きの服を差し出した。
「どうぞ」
「すまんな」
「……あの、何かあったの?」
聞いても答えないのだろうな、とは思ったが、受け取った服に早速腕を通しているイグラシオを見上げながら佳乃は首を傾げる。
「……」
予想通り、イグラシオからの答えはない。
どうやらエンドリューの持って来た知らせは、良い物ではなかったらしい。というよりも、良い知らせであればエンドリューが住人の迎えも待たずに家の中へと入ってくることはなかっただろう。それだけで、重要かつあまり歓迎のできない内容であろうことは想像できた。
無言のまま服を着るイグラシオに、佳乃は目を伏せる。
聞いても答えないであろう事は予想していたが、先ほど『妹』と評価された身としては寂しくもある。
服の上に漆黒の鎧を纏うイグラシオを佳乃が手伝っていると、再びエンドリューが戸口に顔を見せた。
「団長、準備が整いました」
「そうか」
エンドリューの言葉に、漆黒の鎧を纏ったイグラシオがネノフに振り返る。孤児院を騒がせたエンドリューの登場を軽く詫びるイグラシオの姿に――
(え? あ、れ?)
ネノフと向き合い、何やら言葉を交わしているイグラシオに、佳乃は瞬く。
2人の会話は、まったく耳に入ってこない。
ただ、鎧を纏ったイグラシオの姿に、これまでに覚えた事のないほどの強い既視感を覚え、佳乃は戸惑う。
イグラシオの鎧姿など、初めて見るわけでもないのに。
違和感とは別の既視感に、佳乃は眉をひそめる。
どこかでみた。見覚えがある。鎧姿なら、何度も見ている。が、既視感は今日初めて覚えた。
イグラシオのこれまでと違う箇所といえば、本日ようやく取り去られた頬の当て布ぐらいだろう。色黒の肌に残った3本の傷跡を、佳乃は今日初めて見た。
(どこで? なんで? たしか……え?)