トランバンの騎士
黒い鎧を纏った、見事な銀髪を持つ『イグラシオ』という名の騎士。肌の色は黒く、顔には3本の傷跡。
以前どこかで知った知識に、佳乃は額を押さえた。
一つが引っかかると、他にもひっかかりを覚える物があった。
『イグラシオ』の預かる『閃光騎士団』は、『自治領トランバン』の守りの要。その『副団長』を務めるのは『エンドリュー』という名前の少年騎士。
(閃光騎士団のイグラシオ……トランバン……?)
以前にもその名を聞いた時に既視感を覚えたが、その時は気のせいだろうと片付けた。が、こうして既視感を覚える物が次々に並んでしまうと――
次々に拾い出される情報に、佳乃は戸惑う。情報処理が追いついてくれないと言うのだろうか。浮かんでは消えていく情報と可能性に、佳乃の背筋を冷や汗が伝う。
目の前では相変わらずイグラシオとネノフが会話をしていたが、佳乃の様子に気が付いてはいない。
混乱に沈む思考の中で、佳乃はその場にたった一人で立っているような気がした。
(盗賊ヒルダ、領主ボルガノ、騎士ヒックス……)
『騎士イグラシオ』から続いて引き出された情報の最後に、佳乃は眉をひそめる。符号の一致しすぎる『情報』に、久しく姿を見ていない騎士を思いだした。
(そういえば、最近ヒックスさんを見かけていない……?)
以前はイグラシオ、エンドリューに代わり、孤児院へとヒックスが来ることがあった。その際には必ず彼が礼拝堂で祈りを捧げていたのを覚えている。いったい、いつ頃から姿を見かけていないのか。『佳乃の知っている』ヒックスは『どこに居た』のか――
「……佳乃?」
「あ、はいっ!?」
不意に視界を埋めた銀髪に、佳乃は驚いて半歩下がる。思考に集中していたため、『イグラシオ』の接近に気が付かなかった。
あまりの佳乃の驚きように、逆に驚かされた『イグラシオ』が瞬きながら佳乃を見下ろしている。その視線から恥らって目を逸らすことなく、佳乃は『イグラシオ』を見つめた。
信じられない事ではあったが、どこからどう見ても『佳乃の知っている』『イグラシオ』だ。
黒い鎧に、色黒の肌。顔には3本の傷跡があり、銀色の髪をしている。
驚いて半歩下がった後、まじまじと自分の顔を見つめてくる佳乃に、イグラシオは眉をひそめる。
様子がおかしい。僅かに落ち着きなく彷徨う佳乃の黒い瞳に、極度の緊張状態にあることが判った。
「佳乃? いったいどうしたのだ?」
なんの予備動作もなく、出会った夜に見せた混乱状態に陥っている佳乃に、イグラシオは佳乃の肩に手を置く。
「いえ、別に……」
何事もないとはいえないが、何かあったとも言えない。
ただ、頬に傷跡のある鎧姿のイグラシオに、おおよそ信じられない事に気が付いてしまっただけだ。
「あ、あの……イグラシオさん」
様子のおかしい佳乃を見下ろした後、とりあえずはネノフに任せようと佳乃の背に手を添え、ネノフの横へと並ばせたイグラシオに、佳乃は首を傾げる。
『気づいて』しまった今となっては、彼に『さん』や『様』と敬称をつけて呼ぶことは、少々奇妙な気もした。
「ヒックスさんって、どうしています?」
ありえない。偶然の一致だろう、と考えながら――とはいえ、ある日突然別世界に立っているという事も、十分に『ありえない』現象だ――佳乃は否定要因を求めて口を開く。
『佳乃の知っている』ヒックスであれば、『閃光騎士団にはいない』はずだ。
混乱の中にありながらも、まっすぐに自分を見つめてくる佳乃に、イグラシオは口を閉ざした。
無言で答えるイグラシオに、佳乃の心は鉛を飲み込んだかのように重く沈む。
まさか、そんなはずは――と否定する要素を求めたのだが、逆に肯定されてしまった気がした。
「……ヒックスなら、騎士を辞めました」
無言で答えるイグラシオに変わり、エンドリューが言い捨てるかのように答える。
求めていた言葉とは違う『予想通り』の言葉に、佳乃は息を飲んで視線をエンドリューに向けた。
「やめた……?」
否定を求めて肯定され、次々に思い出される情報に、佳乃はようやく『認める』。
この世界は、決して『佳乃の知らない世界』では『ない』。
『プレイヤー』という視点で、『何度も覗いた世界』だ。
ドラゴンフォースという、『ゲーム』の世界。
その『舞台』となったレジェンドラ大陸に、佳乃は今『立って』いた。
「佳乃? いったいどうしたというのだ?」
自覚した自分の置かれている状況に、佳乃は思考を手放してしまいたい衝動に駆られたが、なんとかそれを持ちこたえる。ここで自分が気絶でもしようものならば、イグラシオの行動が遅れる。
彼は今、エンドリューの持って来た知らせに、急いでトランバンへと戻ろうとしているのだから。その足を、佳乃が止めるわけにはいかない。
「……イグラシオさん、お出かけ、じゃなかったんですか?」
「いや、それはそうだが……」
「わたしなら大丈夫ですから、早く行ってください」
ぼんやりと目の焦点を合わせぬまま呟く佳乃に、イグラシオは眉をひそめる。
佳乃の様子が尋常でないことは判った。判ったが……佳乃はそれを気にするなと言う。
確かに、村娘一人の変調に足を止めている暇などないのだが。それにしても佳乃の異変は突然すぎる。
逡巡するイグラシオの胸に手をつき、佳乃はそっと体を押し離した。
イグラシオはあの『イグラシオ』で、『ヒックス』が『離反』した。『エンドリュー』が駆け込んできて、『イグラシオ』が慌てて戻る用事など……『トランバン』で何かあったのだろうと、佳乃にもたやすく想像ができる。
「……落ち着いたら、もう一度来る」
「はい」
そう結論を出したイグラシオに、佳乃は無意識に微笑む。
微笑んだ理由は、後でいくら考えても解らなかった。
エンドリューを伴い、何度も振り返りつつ孤児院を出たイグラシオが『もう一度』来たのは、実にひと月以上後となる。
「佳乃……」
小さくなるイグラシオとエンドリューの乗った馬を見送る佳乃の横で、ネノフが佳乃の顔を覗き込む。
その優しい視線から、佳乃は背中を向けて逃げ出した。
「すみません、シスター。ちょっと、混乱してしまって……」
「どうしたっていうの?」
静かなネノフの声に、佳乃はどう説明したものかと考え――結局やめた。
佳乃自身まだ半信半疑で、混乱している。
自分ですら納得していない事を、誰かに正しく伝える自信はなかった。
「……すみません」
心配してくれているネノフに小さく詫びて、佳乃は俯く。
「すごく、混乱していて……こんなこと、自分でも信じられない」
もう一度、今度は先ほどよりも大きな声でネノフに詫びて、佳乃は玄関のドアをくぐる。
今はまだ、これ以上言及してくれるな、と後に残したネノフに背中で伝えた。