嘘吐きラバー
上機嫌に喋る俺に、静雄は名前の通り、静かにそう呟く。てっきりどうあっても、何らかの形で証明して欲しいって言うかと思ったのに。しかし落ち込んでいるとかそういう訳ではなく、ゆっくりとホットミルクを口にしている。哀愁の漂うその横顔に思わず、本当に無意識に、静雄の頬にキスしていた。
「っわ……」
油断していたのか、明らかに狼狽した声が上がる。かっと染まった顔、初々しいその反応が懐かしくて、静雄の手からカップを奪って机に置き、ぐっと身体を引き寄せて唇にキスをする。俺は忘れていない、この唇に六条が触れていた事を。塗り潰すように舌で愛撫し、両肩を抑えつけてソファの背凭れに押し付けた。苦しそうに眼をぎゅっと閉じる静雄は身体に力が入らないのか手を虚空に彷徨わせている。
「っは、ぁ……」
「シズちゃん……」
俺以外の男を赦した唇。それと同じくらい、真っ赤に染まった顔を視線で舐め、余裕の無い振りをして何度も何度も口付ける。時には角度を変えて、時間もまちまちで。一ヶ月ぶりに交わすキスは俺から理性を剥ぎ取り、流石に何も知らない静雄に深い口付けをしたら驚くだろうから触れるだけで抑えよう、と思っていた自重を忘れて舌でエナメル質を絡め取る。いきなり入ってきた舌に静雄は驚き、戸惑い、ようやく必死に俺を引き剥がそうとするが、俺はそんなものじゃ抑えつけられない。
「ん、んんっ、ぅ……」
漏れ出た声に煽られて、水音を立てながら舌で舌を追う。涙の膜を張る静雄に唇を離すと、眼の前で激しく呼吸を繰り返す。その反応を見るに、六条とは触れるだけのキスしかしなかったのだろう。それが判ると少しだけ安心出来、弾んだ息でそんな事を考えながら、俺は白い首筋に顔を埋めた。
「……っ!」
ぎくっと身を引くような動作を見せる静雄だが、背後はすぐに背凭れなので全く意味が無い。この状況に混乱している静雄の意見を尊重しようなんて紳士な考えは出来ず、こういうのは多少強引な方が良いと考えを改めた俺は何度も舐めた事がある首元に舌を這わせ、右手だけでボタンを外し始める。
「う、あ、や、やめ」
「本当に嫌なら抵抗して」
そう言うと、静雄は真っ赤になった顔でどうすれば良いのか思案しているようだった。やめて欲しいなら、その化け物染みた膂力で俺を突き飛ばせば良いのに。こういう言い方をすれば、静雄は力が出せない。経験上知っている俺と、自分の事すら判っていない静雄。どちらが優位かは考えなくても判る事で。
「や……だ……」
「ならなんで抵抗しないのさ。シズちゃん……判ってるんじゃないの?」
「っ……! た、たの、む。やめて……くれ、折原……」
ふとその言葉に意識が向く。俺が顔を上げた事に少し安堵、ほんの少しだけ名残惜しそうな表情をしている静雄だが、俺はそれを見て喜ぶどころか露骨に嫌そうな顔をした。
「どうして……」
「あ……?」
「あいつの事は名前呼びなのに俺は名字なの? 元々、臨也って呼んでたのに。ねえ」
静雄は明らかに、そんな事言われても、という顔をする。そして苦しそうにその顔を背け、少し上擦った声で言った。
「な、なんか、変……なんだよっ」
「……? 何が?」
「ち……千景とキス、……した時は、なんか安心出来たっつーか、落ち着いたのに……お前とすると、逆で……身体が熱くなって、心臓が痛ぇんだよ」
「……それって、さ。少なからず俺のキスで興奮してるんじゃないの? シズちゃん、俺とキスすると何時も真っ赤になって余裕失くして、その癖、キスやめると物欲しそうにするし。記憶無い状態でもそんな風になっちゃうんだね」
記憶がある状態の彼にそんな事を言ったら今頃、投げ飛ばされているかもしれないが、今なら大丈夫だろう。
つらつらと恥ずかしい事を言った俺に静雄は信じられないような眼差しを向けてくるが、俺はにっこりと笑って額を合わせる。
「ねえ、呼んでよ……臨也って」
「う……」
「恋人なんだからさ、他人行儀なのはやめて」
精一杯、静雄を安心させようとする俺の微笑だったが、彼は俺を上目遣いで見て、そしてふいと視線を逸らす。
「んな、事……判んねえだろっ……」
「恋人、って事が? 信じられないなら、やっぱり皆を連れてきて……」
「そんなんじゃねえよ!」
大声ではないが、十分に響く声で静雄が叫び、俺は眼を見開いた。静雄は今にも零れ落ちそうなほどに涙を溜めて睫毛を震わせる。眼だけでなく、身体全体も。
「千景が嘘吐いてんなら、お前だって嘘吐いてる可能性だってあるじゃねえか!」
「言ったでしょ、俺はシズちゃんに嘘なんか吐かない」
「理由にならねえ。お前が連れてくるっていう連中だって、お前に口裏合わせてるだけかもしれねえだろ! 今まで信じてたもん覆されたってのに、次にお前をすんなり信じられるくらい俺は単純じゃねえ。お前も千景も実はグルで俺を騙して楽しんでたって事だってあるかもしれねえのに!」
千景、と言葉にした途端、静雄の目尻から涙が伝った。滅多に見れる事の無い、喧嘩人形の弱い涙。興奮が収まらないのか矢継ぎ早に言葉を捲くし立てる。
「それに、本当は千景の方が正しくて、何かお前が千景を強請るような事を言って千景が嘘を吐いたって嘘吐いたのかもしれねえし!」
「……」
「判断材料がねえから、俺はどっちを信じりゃ良いのか、むしろ二人とも信じねえ方が良いのかもしれねえだろ! お前が善人なのか極悪人なのかも俺は知らねえし、知らねえ、のに!」
肩を上下させる静雄に俺はただ、見つめていた。彼が吐き出す混乱や胸を締めつける窮屈さ。癇癪を起こした子供というよりは、積年の心情を告白する青い人。頬を流れる雫は静雄の感情をダイレクトに伝えてくる。喉に突っ掛かり、彼を蝕む。自分の立ち位置が判らない静雄が迷子のように何かを頼る。無意識にでも探しているのは、俺。折原臨也だというのに。
静雄は袖で涙を拭い顔を隠しながら、今までの怒鳴り声が嘘だったかのように、か細い声で囁いた。先ほど八つ当たりのように吐き出され、そして切られた言葉の、続きを。
「なのに、……っ、俺は判るんだ、お前が……嘘吐いてないって……」
「っ……!」
「理由なんて判んねえけど判っちまったんだよ! お前が俺を好きだって事も、俺がお前を好きだって事も、何にも覚えてねえけど判るんだよ、なんでだよっ……俺はなんでったって、お前の言葉に何一つ違和感を感じる事が出来ねえんだ……これじゃ……千景を……千景が……!」
どうもまだ、シズちゃんの中で六条の存在が引っかかっているんだ。そう思いながらも、俺は切羽詰まった想いで泣き崩れる静雄を抱き締めた。頭を抱えるように、心臓の音が聞こえるように。静雄はまるで母親に縋り付くように俺の背中に腕を回してしっかりと抱き締め返してくれた。その腕には戸惑いや不安こそあれ、躊躇いや迷いは一切無かった。やっと、俺の所に、君は、