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嘘吐きラバー

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ぽつりと静雄が漏らす。それは、罵りでも驚きでも嫌悪でもなく、ただの、俺の名前。
なあ、期待して良いのか。騙してきたのを赦して貰えて、お前が俺の方を向いてくれる。なんて都合の良い妄想なんだろうな! 面白味が無さ過ぎて泣けてくる! はははッ!!

「好きだ」

俺は立ち上がり、最後の悪足掻きを愛しい人に投げかけた。

「……好きなんだ、静雄が」
「っ……」

静雄が一歩、身体を引く。寄せられた眉も下がった目尻も薄く開いた唇も、もう、二度と、俺に向けては、くれないのか。偽善もプライドも全部かなぐり捨てて、俺は世界で一番最悪な愛の告白をした。

「こうでもしなきゃあんたは俺を見てくれない。……教えてくれよ、静雄。今、……今だぞ、今……俺の事、好きか?」

赦してくれ。
静雄は絶望したようなひどく歪んだ泣きそうな顔で唇を噛み、俺に思い切り手を振り上げた。熱が奔る、血が滲む。ゆるく腫れた頬を押さえながらも、俺は出ていく静雄を追えなかった。あんなに傷付いた静雄を、俺を本気で憎んだ、静雄を。

「は、は……」

俺の事、嫌いになったんだろうな、きっと。だってあんなに、本気で、


『静雄にビンタされたら正真正銘の顔面凶器だ』


ふと、そんな言葉が思い出された。
……静雄に……本気で……殴られたら、俺は……たぶん首の骨が折れて……?

なのに、頬は、少し赤くなっただけ。
あれだけの勢いで振り上げて、殴られたのに? 歯を折るどころか口の頬肉を少し切る程度で済んだ?

じゃあ、静雄は、本気を出さなかったんだ。いや、顔は、眼は本気だった。でも、……本気じゃ無かったんだ。

「っ……静雄……!」

既に影も形もない男の幻影を追い、俺は暫くしてから一階に降り、そして酒を煽っていた。
ほぼやけ酒に近い行い。一階に残った僅かな静雄の痕跡を追いかけながら、一時的な現実逃避。全部忘れてしまいたかった。

『シズちゃんになにをした、なにを吹き込んだ』

昼間、静雄を逃がしたあと、何時も人を喰ったような顔でふらふらしているあの男が、珍しく声を荒げて俺にそう言った事を思い出した。眉を寄せ、腹立たしそうに。憎々しそうといっても、大袈裟じゃないくらいに。

『はっ、情報屋なんて腐ったことしてる割に、一番大事な人間の情報は入ってこねーのかよ』

頭に血が上っていた俺は、逆効果だということも認識出来ずに挑発した。本調子の折原だったら、そんな俺を嘲笑して上手く立ち回り、得意の話術で陥れようとするんだろう。でも今日は違った。唇を戦慄かせ、ぎろりと純粋な怒りを乗せた瞳で俺を睨んだ。
なんだ、そんな人間らしいツラも出来るんじゃねえかと思ったら、あいつは手加減も無しにナイフを薙ぎ、そして俺はそれを避ける。鬼ごっこが始まったのは、それを合図にしてからだ。

『六条千景!』

土地勘があって有利なのは俺なのに、折原はしつこすぎるくらい執拗に追いかけてきた。ひょろい体躯からは予想出来ないほどに力強く、ある時は路地裏のゴミ箱を二つも飛び越える跳躍力を見せ、身軽さを生かしてじりじりと追い縋ってくる。

『あいつは俺を、なんの後ろめたさもない眼で見た。お前が何か言ったんだろう、それ以外考えられない。シズちゃんに何を言った?』

そんなことを叫ばれつつ、俺もやられっぱなしなはずは無く、時折振り返って俺に有利な状況になったら切り合った。お互いリーチの無い獲物とはいえ、手詰まりのようなジリ貧に決定打が打てず、本気でやろうと思えば出来たかもしれなかった。でも頭の中に、もし折原が怪我をしたら静雄はどうするんだろう、という言い訳にも近い考えが浮かんで苛んだ。

『答えろよ、お前はシズちゃんになにをした!』

それに俺は答えられなかった。逃げながら携帯で連絡をし、狭い路地である程度の距離をとった後に、交差点で俺を待ち構えていた仲間のバイクの後ろに飛び乗った。

『総長、メット!』

言いながら、受け取ったヘルメットを被る余裕もなく急発進したバイクに周囲は驚き、その中には息を切らして俺を睨む折原の姿もあった。俺の脳裏に浮かんだのは、数ヶ月前の真夜中、あの男と並んで実に幸せそうな静雄の、……笑った顔だった。


「っごほ! っあ、はあ」

寝転びながら酒を流していた俺は誤って気管に入り込んだ液体にむせ込む。それで一気に気分が悪くなり、喉がひりひり痛む事で疲労感にも襲われた。それ以上に俺を支配したのは、絶望的なまでの空虚感だった。

「……なにをした、か……。サイテーな嘘を吐いたんだよ」

不貞腐れるように呟いた。
酒が回っていた俺は崩れるように眠り、そして夢の中で、またあの黒い世界を見た。
静雄と暮らし始めてから初めて見るようになったその夢は、静雄に対する申し訳なさを具現化し、取り繕う存在だった。真っ黒なのは、俺の行いに何処も同情の余地が無いということだ。俺はそう思っている。

静雄の言動に、一喜一憂する日々だった。静雄を欲しいと思って、仮初とはいえ手にしたというのに、俺は満足出来なかった。
欲張りだったんだ。人のものを奪っておいて、なお。それ以上に俺の恋慕に応えて欲しいと願ってしまった。
惚れたことを後悔したことなどはない。後ろめたいとも思わなかった。だけど、俺のやり方は間違っていた。何処も彼処も。静雄が俺から離れていったのは、ある意味、相応の代償だったんだ。もう静雄には、近付けない。一度だけでも謝りたいけど、会える口実を探しているみたいに思えるから、このままにしておいた方が、良い。

ごめん。静雄。ごめん、ごめん。
何度も繰り返し夢で泣いた。

温もりがふよふよと浮いて俺の手に自ら止まる。それに微笑みかけ、それが静雄に焦がれる故に現れた幻想だと知っている俺は、静かに「好きだ」と呟いた。俺の声は吸いこまれ、全く響かない。だが、少し遅れてから、静雄の声で「知ってる」と答えが返ってきた。なんだよそれ、夢の中でくらい好きだって返してくれよ……。
でも逆にリアリティのある答え方に思わず頬が緩んだ。静雄はそうでなくちゃな。そう思っていると、今度は笑いながら「お前、酒臭いぞ」と言われた。何か可笑しい。夢の中でまで酒の効果が……あるはずないよ、な。

「っえ……?」
「未成年の飲酒は禁止だって、小学生でも知ってるぞ」

作品名:嘘吐きラバー 作家名:青永秋