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嘘吐きラバー

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平和島静雄がある日、突然倒れた。虫の知らせか、偶然池袋に来ていた俺はそれを知り、病院に担ぎ込まれた静雄に付き添った。眼を覚ました静雄は、第一声に、

「お前、誰だ?」

と、俺に問いかけた。
最初こそはショックだった。決して短くも、長くもない時間を過ごしたというのに、静雄は俺の事を覚えていなかった。
彼が覚えていたのは小学校の低学年以下のおぼろげな己や環境だった。当然、両親と弟の事は覚えていた。だが中学生以降の記憶がすっぽりと抜け、成人してから出会った俺の事など覚えているはずがなかった。幾つか空っぽになった静雄に質問をする内に、俺の中に何かがふつふつと沸き上がってきた。

「静雄はなんにも覚えてないんだよな」
「ああ。とりあえず、えーと、あんたは?」
「六条千景。前は千景って呼んでたからそれで良いよ」
「そうか、千景」

俺は此処でひとつ、嘘を吐いた。

「悪いな……俺、なんも覚えてないのに……。あんたが付き添ってくれたんだろ?」
「水臭い事言うなよ、恋人なのに」
「……は?」

俺は此処でもひとつ、嘘を吐いた。

「整理させてくれ……その、俺、と、……千景は、付き、合ってた……ってことか?」
「そう。記憶無いから、覚えてなくてもしょうがないよな……でも、ホントなんだぜ」
「……マジかよ」
「同棲しようって話になってたんだけど……とりあえず、思い出すまで俺のところ来るか?」

俺は此処でも。此処でもひとつ……嘘を、吐いた。
俺は自分を嘘で塗り固め、見返りとして何も知らない静雄を手に入れた。池袋から離れさえすれば、バーテン服を脱ぎ、サングラスを外した大人しい彼を見ただけじゃ、埼玉で平和島静雄と判る人間なんて誰ひとり居なかった。

俺はこれをチャンスだと思ったんだ。

真に静雄を求め、真に静雄が求めている人物から彼を遠ざける。本当は静雄には意中の相手が居たというのに。所謂、略奪愛という奴だ。
罪悪感なんて感じなかった。あの男にはかけらも感じなかった。でも静雄には感じた。俺がお前に沢山の嘘を吐いていたなんて知ったら、傷付くだろうし、俺も怖い。こんな酷い事をしておきながら、自分の身が惜しい俺は余りにも醜く映るんだろうな。静雄が離れていって、元々の清い友人関係すら破綻するかもしれない。これは一種のチャンスで、博打で、命がけだ。あの男をはっきりと敵に回した時点で、俺は賭けに勝たなければいけなくなったんだ。

(静雄が一番大変な時に、あいつは来なかった。……なら、文句言う義理も無い。静雄は、……静雄はもう)


「千景ー!」

そこでまた、台所であったように意識が引き戻される。何時の間にか後片付けを済ませ、廊下からリビングに出て来た静雄が俺に声をかける。気を取り直して「どうしたんだ?」と朗らかに訊ねると、静雄は実に不思議そうな顔で視線を落とす。その先にあったものに、俺は色んなものが凍った。

「なんかさ、着信が大量に入ってンだけどよ……全部同じ奴からなんだ。すっげー変な名前、知らねえけどこいつも俺の友達かなんかか?」

静雄が言っている人物が誰なのか、丁度タイムリーな想像に耽っていた俺にとっては大打撃だった。それでもなお、判っていながら、縋るように引き攣る喉から音を漏らした。

「見せてくれ」
「……? おう」

知っている人がほとんどいない為に、余り機能していなかった携帯に然程の執着を持っていないのか、個人情報の塊をあっさりと俺に手渡す。祈るような気持ちで履歴を開く俺は、残酷な現実に一瞬だけ心臓が止まったような気がした。
間違いであって欲しいという願いで、俺はその名前を、極めて正確に発音した。



「着信38件……折原臨也」


 君の無知は僕を優しく引き裂く
    (ほら、こんなに簡単に染まる)


作品名:嘘吐きラバー 作家名:青永秋