Shall We Dance
狭い階段を降りながら、えらいとこに足を踏み入れてしまったという後悔の念がむくむく湧いてくるのを感じていたが、ここまで来て逃げ帰るわけにもいかない。しかしフロアに出て古びた電球の描く大きなハート型を見、やっぱり逃げ帰るべきだったのだと悔やんだ。ハートって。そんなかわいいもんじゃないだろうが。
踊っているのは言わずもがな全員男だった。人目でそうと分かる奴もいれば、ヘテロにしか見えないのもいた。ワンツーはボブに目を移した。こいつもゲイっぽいのだろうか、女と遊びまくっている姿しか見てこなかったから、考えたことがなかった。ほら、とボブはワンツーの手を取った。思わずふりほどくと、
「踊ってくれるんだろ」
ボブは眉をひょいと上げて笑った。自分のテリトリーにきたせいか余裕が生まれている。ワンツーはというと、ボブにあちこちをさわられるたび誰かが奇異の目を向けているんじゃないかと気が気じゃなかった。
「離れてる方が不自然だって」
「何てこった……」
「ほら」ボブが両手とも指を絡めてきた。「時間がない」
それを言われると弱かった。
「……ああ」
でもこの繋ぎ方だけは勘弁してくれ、俺たちはそんなロマンティックな関係じゃねえだろう。ワンツーの願いは、抱きつくという代替案によって解消された。いやちっとも解消されていない、むしろ悪化したが、小さな身体でぎゅっと抱きついてくるボブを無碍に扱うこともできない。――できない? どうしてだ? いくら親友でもやっていいことといけないことがあるって、こいつを突き飛ばせないのはどうしてなんだ。一秒ごとにつのっていくフラストレーションに行き場はなく、ワンツーはフロアに流れる間抜けな音楽と、その選曲者を呪った。「ホー」じゃねえよクソッタレ。
「夢みたいだ」とボブが囁いた。「あんたとこんなふうに踊れるなんて思ってもみなかった」
ああそうかよ、とワンツーは投げやりに返した。ボブの背中に腕を回してしまったのはだから、自暴自棄の結果なのだ。お前のためを想った結果じゃない、だから人の胸元でやたら艶のある吐息をつくのはやめてもらいたい。
限りなく密着して揺れながら、そろそろと腰のあたりに下がってくる手を阻止したり、首筋に吸いついてくるのをやめさせたり、またも首筋を狙う唇を引きはがしたりと、ワンツーは一分たりとも気を抜けないひとときを過ごした。ようやく離れられたとき胸に誓った――男相手にダンスなんて二度とするもんか。
壁際でひと段落ついていると、酒を手にしたボブが近づいてきた。ヤバいもん入れてないだろうな。つい疑った自分を少し恥じ、けれど警戒は解かずに受け取った。一口飲んで、喉が乾いていたのを自覚した。ずっとひどいストレス下にあったからだ。酔っぱらって忘れられるなら忘れてしまいたかった。
「なあ」
鼻先数センチのところにボブが迫っていた。ダンスによって狂いの生じた距離間を直すつもりはないらしい。下がろうにも後ろは壁である。
「何だ」
「キスしてもいいか」
むせた。気管に入った。咳きこんだ。苦しかった。ひとしきりげほげほやって、息ができるようになってから、やっとのことで言った。「いいわけあるか」
ボブは動じなかった。「今は、そうかもな」
「は?」
「五年のつとめを終えてからならお前の気も変わるんじゃないかと思ってさ」
「何が言いたい」
「あんなとこに五年だぜ。そんな長い間、何の希望もなく生きていけるわけないだろ。お前だって知ってるはずだ、あのしみったれた塀の中での生活ががどんなもんか」
「……ボブ、俺はお前のことを親友だと」――思って『た』? 『る』? どっちでもいい、「とにかくだな――」
「ワンツー」ボブは笑った。「冗談だよ」
どこまでが冗談でどこからが本気なのか、教えを乞うたら墓穴なのは間違いなかったので問わなかった。五年後のことは五年後に聞いてくれとだけ言った。ボブは楽しみにしていると言った。正確には、楽しみができた、と言った。小さな差異に目くじらを立てるほど、意地悪にはなれなかった。
作品名:Shall We Dance 作家名:マリ