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LOST CHILD

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 やがて凭れかかっていた身体を起こしたクラウドは、大剣の柄を握りこんだ。
 正中に構え、深い呼吸とともに一閃する。
 高い反響音を立てた巨石は、だが剣を向ける前と何ら変わらぬ威容を保っていた。クラウドは眉を顰める。いったん剣を引いてその表面を検めると、白く線を引いたような痕がひとすじ残っただけだ。
 もはや彼の凶刃さえをも越えるクラウドの剣で斬れぬものなどない。
 そのはずだった。
 見つめるうちに結晶の表面からは刀痕さえも消えてゆく。そしてまた曇りひとつない輝石へと姿を戻した。クラウドは表面に触れていた手を握りこむ。己の剣が及ばぬ理由は明白だった。斬れぬのではなく、亀裂を負った端から再生しているのだ。
 彼我の周囲には淡緑色の粒子が数限りなく大気を舞っている。そしてクラウドは確信した。これは星の意思だ。彼らにとって敵であり、異分子である存在を永遠に隔離せんとする、ライフストリームの意思なのだ。
 クラウドは己の眼前にあるものを見た。
 この美しき宝玉は彼の棺ではない。牢獄なのだと明確に認識する。
 ……この星は、どこまで彼を排除し続けるのか。
 瞬間、クラウドの胸を吹き荒れていた嘆きは、鮮やかな怒りへと塗り替えられた。瑠璃の青から炯々たる翡翠へと色を変えた虹彩が縦に裂け、全身の細胞が鳴動する。
 クラウドは剣を構え直した。
 そして流れるままだった涙を拭い、燃えたぎる瞳を見開く。
 同時に渾身の力で跳躍した。振りかざした大剣を精緻なギミックにより六分割して中空へと散らす。深い怒りの象徴たる青炎をまとったクラウドは、鋭い切っ先を持つ刃のすべてを次々と手にして光速の斬撃を叩きつける。硬い鉱石と金属とが衝突する反響音が地殻を揺るがす。
 剣を振り下ろすごとに砕け飛んでゆく生命の欠片がクラウドの視界を塞ぐ。網膜を焼くほどの強光を放っては消えてゆく。新たな粒子が欠損を埋める時間を与えず、それを上回る亀裂を刻み込む。
 長い滞空を経て着地したクラウドは真正面を見つめたまま、主人を追うように降ってくる剣を残らず受け止めた。そして再度ひとつの大剣となった刃に、自身のすべてを込めて振り下ろす。裂かれた大気から青の炎が噴き上がる。
 その切っ先が触れた瞬間、眠れる死者を覆っていた結晶が粉々に四散した。
 星の胎内に轟音が鳴り響く。まるで警報だと荒い息の下でクラウドは思い、目を伏せた。
 牢獄は砕かれた。

 彼我までほんの僅かな距離を、動くことができなかった。
 心臓が重い。
 すべて自ら望み、選びとった行動だというのに、苦く溶けた鉛を飲み込んだようだ。
 怪我を負ったわけではない。疲労もさほどでは。
 にもかかわらず、顔を上げることさえできない。 
 わだかまる大気にライフストリームの粒子が浮遊している。星を巡る死者の思念。その膨大な情報量の中から、聞き覚えのある呼び声を確かに感じる。
 クラウドは瞼を閉じた。
 網膜へと最後に映し出された彼の姿は、その思念体であるカダージュたちだ。
 そしてリユニオンによって一時的に再臨した、かつての。
「――長いあいだ、思い違いをしていた。俺もあんたも」
 考えるより先に唇が動いていた。
「あの頃、子供だったのは俺じゃない。あんただ」
 ……そして今も。
 セフィロスの思念を具現化した彼らはみな残酷で無邪気な、泣き虫の子供だった。
 そして、悲痛なほど母を求めていた。
 ただ会いたいのだと、それだけを繰り返し訴えて。
「あの教会で彼女に伝えたんだ。俺は、ひとりじゃないって。去り際に笑ってくれたよ」
 クラウドはゆっくりと顔を上げた。
「俺はもう、ひとりじゃない。……けど、あんたは?」
 目の前には、長く捜し求めてきた男が横たわっている。
 殆ど無意識のうちに手を伸ばし、剥き出しの皮膚に触れていた。
 冷たい。記憶にあるのと変わらぬほど。
 クラウドは亡骸の手をとり、自分の頬へと押し当てた。かつて彼がそうしたように。
 かつて感じた体温を、今ふたたび確かめるために。
 この冷え切った身体を、その細胞の起源を、もっと早く知ることができていたなら。
 あるいは別の結末を迎えることができただろうか。
 クラウドは深く静かに息を吐く。己の肺胞にわだかまる澱みを吐き出すように。
 埋めようのない温度差の意味を、今ならば理解できる。
 それは胸に秘めた情熱の差ではない。孤独さの差だと。

 眠る男を覗き込み、その髪を梳いた。
 長く細い白銀は何年も囚われたままだったとは思えぬほど絡まりもなく、さらさらと滝のように流れてゆく。クラウドの指をすり抜けて一筋も残らない。ただの一筋も。あまねく全てが記憶にあるものと重なり、鮮明に脳裏へと蘇ってゆく。
 つい先刻、彼を嘘つきと呼んだ。その言葉こそが嘘だ。
 彼は約束をたがえない。誓い通りに、クラウドのすべてを奪っていった。
 ただひとりの母を、故郷の村を。そして、誰よりも助けたかった女性さえ。
 かつて自分をはぐくみ、慈しんでくれた、かけがえのないもの全てを。……けれど。
 そのいずれもを、生まれてから死ぬまで、一度も手にすることのなかった彼は?
 
 大気中にただよう淡緑色の細かい粒子が不規則にクラウドの視界を横切ってゆく。その輝きは一定ではなく、ふいに明るくまたたいては消え、やがてまた強く発光する。その繰り返しだ。まるで何らかの危険を知らせる警告灯のように。
 遺骸を見つめる視線を上げず、青年は唇を動かした。
「いるんだろ、セフィロス」
 視認できなくとも知覚していた。幾多の生命が混じり合った魔晄の霧を縫って、それとは異質な思念の波がたゆたっている。
「だったら戻れ。あんたの身体だ」
 彷徨える精神を、本来の肉体へ。
 青年の呼びかけに、見えない揶揄の気配が向けられた。
『どういう風の吹き回しだろうな。かつてその双方を消し去るために、私を追ったおまえが』
「うるさい。戻るのか戻らないのか、どっちなんだ」
 くっくっと笑う声が響いた。鼓膜を通さず、直接に脳髄へと。
『変わらないな。おまえは常に、矛盾だらけだ』
「うるさい」
 咄嗟に同じ口答えしか浮かばないのが自分でも忌々しい。
 クラウドは声を荒げた。
「さっさとしろ。傷を塞ぐのに新しい細胞が必要なら、やる」
 言い終えないうちに愛剣を手にし、一閃のもとに己の左腕を切り裂いた。
 眠る男の身体に鮮血が降り注ぐ。
 ぱっくりと縦に裂けた腕を掲げて真紅の雨を降らすクラウドに、囁くような声音が贈られた。
『……いいだろう、聞き届けよう。それがおまえの望みならば』
 直後に視界が閃光で埋めつくされる。
 幾度か目にしたことのあるそれは、リユニオンの輝き。
 散った細胞が再統合を求むように、逝き場をなくした精神もまた、肉体へと還るのだ。


作品名:LOST CHILD 作家名:ひより