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家庭教師情報屋折原臨也2

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 街に人があふれ始めた頃、臨也はまだ池袋にいた。人の多い広い道ではなく、入り組んだ裏道を、体を伸ばしながら歩いていた。
「さて、あとは粟楠会の所に行って終わりかぁ」
さらに欠伸を一つして、上着のポケットに手を入れ、粟楠会に行ったあとは朝食だ。適当な喫茶店で食べようかな、それともサンシャインの中で探そうかな、と考えていたところ、深緑色のニット帽をかぶった男が自販機の前に立っていた。
「あれは…」
相手は臨也に気がついていないようだった。臨也は口元に笑みを浮かべ、そっと背後に立ち、その肩を思いっきり叩いてやった。
「おはよう、ドタチン!」
「うおぁっ?!」
男は驚き、まさに開けようとしていた缶コーヒーを足の上に落としかけた。幸いすぐに宙に放ってしまった缶を素早く掴み取り、足に被害は及ばなかった。
「臨也……」
高校時代からの友人、門田京平だった。彼は振り返り、自分を驚かせた人物が臨也であることを視認するなり、溜息をついた。
「吃驚しただろう?」
「当然だ。というか、何度も言うがその呼び方は止めてくれ」
「べつにいいじゃない」
全く悪びれる様子もなく、臨也は自販機の前に立って、コーラを一本買った。
「珍しいね、一人だなんて。仕事の帰りかい?」
しかし缶を開けることなく、臨也は門田の横に移動し、背後のフェンスに少し体重をかけた。
「まぁな、昨日は遅かったからあいつらには先に帰ってもらったんだ」
門田からは真新しい溶剤の臭いがした。袖口やズボンの裾に薄汚れた白い斑点が幾つもついていた。夜中の左官仕事からの帰りなのだろう。門田の顔はどこか眠たそうだった。
「そういえば、臨也」
「ん?」
門田は飲み終わったコーヒーの缶をゴミ箱に入れ、臨也の方を向いた。
「この間運び屋から聞いたが、お前まだ家庭教師やってんのか?」
「あぁ。高校生なら話も合わせやすいし、何より嘘か真か分からない面白い情報が流れてくる」
「そういうところは相変わらずだな。今度もまた早々に飽きるんだろ」
かわいそうに。門田は臨也を指名した生徒のことを思った。それを見て、臨也はそうじゃないと笑った。
「今回はちょっと違ってね」
「違う?」
門田は首をかしげた。一方で、臨也はコーラの缶を片手で弄びながら楽しそうに話し始めた。
「すごくできる子なのに親の自己満足で受けているらしい。いや、受けさせられているかな。あぁ、ちなみにその子、男だよ。髪の毛を金色に染めていてさ。不良かと思えばただの口下手で妙なところで礼儀正しいというか固いんだ。人並み外れた馬鹿力を持った化け物だけど、本人の体格見てもそんな感じはまったく無い。むしろ現代の若者って感じがする」
つらつらと澱みなく続く臨也の話を聞いて、門田は一人の高校生が思い当たった。直接話したことはないが何度か見かけたことがある。何度か彼の喧嘩にも直面したことがある。
「まさかとは思うが、そいつの名前って平和島静雄じゃないか?」
門田のいった名前に、臨也は少し目を見開いた。
「何だ、知ってるんだ。残念。俺よりも先にあんな人とは何かが違う面白い魅力を持った奴に先に出会っていたなんて。俺に教えてくれたって良かったじゃないか。まぁ、でも家庭教師っていう便利な立場にいて彼に出会えたからいいか。彼を見てさ、初めて心の底から欲しいって思ったよ。世の中にはまだ俺の知らない、人間という種族以外に俺が気に入るものがまだまだ存在するんだね。」
「……臨也」
だんだんと臨也の話に違和感を感じてきた門田は、名前を呼ぶことでその話を止めた。
「何?」
「お前、今自分が」
「ドッタチーン!」
門田が、思ったことを口にしようとしたところに、女性の自分を呼ぶ声が入ってきた。その元の方を振り返ると、白いワゴン車がこちらに向かって走ってきており、後部座席の窓から身を乗り出すという危険極まりない体勢で大きく手を振る人が見えた。
「……狩沢」
「お迎えのようだね」
ワゴンは少し離れたところで停車した。
「じゃあな臨也」
「うん、またね」
門田が乗り込んで、首都高沿いに走り去っていったワゴンを見送って、臨也は携帯を開いた。表示された時刻は粟楠会との約束の時間に迫っていた。
 ――― これは急がないと
そう思って走り出そうとしたところ、見知らぬ人物に声を掛けられた。
「おい、兄ちゃん」
そしてすぐに周りを囲まれた。十代後半から二十代前半の八人の男の集まりだった。皆同じような上着を着ており、カラーギャングの一つのようだった。
「何か用かな?」
「さっき平和島静雄つったか?」
さっき、ということはずっと彼らは立ち聞きをしていたようだった。
 ――― 趣味が悪いなぁ
心中で臨也は一つ舌打ちをした。彼らに対してもあるが、彼らに気づかなかった自分に対して、も含まれていた。
「ソイツについてちょっと話が聞きたいからさ、一緒に来てよ」
「えー、それは困るなぁ」
両手を軽く上げ、臨也は大げさに困った、という感情を示した。しかし表情は笑っており、片手に持っていたコーラの缶のプルタブに親指を引っ掛けた。
彼らの羽織る上着に、臨也は見覚えがあった。それは以前見た、誰かが隠れて撮影した静雄の喧嘩の様子を撮影した動画の中で投げ飛ばされていた男たちが着ていたものと同一であった。確かにあそこまで理不尽に、たった一人を相手に大敗を喫すれば、その無駄に高いプライドから報復もしたくなるだろう。しかしそんなものは臨也にとってどうでも良いことで、彼らが報復しようが知ったことではない。ただ、そのたかが報復のために自分が気に入った平和島静雄という人物を利用価値のなさそうな集団に売るのは出来ない相談だった。
「俺はこの後、粟楠会に行かなくちゃいけなくてさぁ」
「粟楠会?」
臨也と対峙していた集団は相当世の中を知らない集まりのようだった。皆初めて聞く、池袋の裏を支配する一大勢力の名前に顔を見合わせた。そして彼らの背後にいる人物たちを見て、臨也は手を下ろし、苦笑した。
「そう。今君たちの後ろにいるこわーい人たちの所」
そう言って背後を見るよう促せば、スーツを着た大人が四、五人ほど立っていた。人数でいえば若者たちの方が上だったが、経験の差、彼らの持つ重く危険な空気にしてやられ、若者たちは為す術もなく、走り去っていった。
「怖いだなんて折原さん、人聞きの悪い」
「いや、事実でしょう。四木さん」
臨也は中央に立っていた白いスーツの男に向けて言った。
「ところで、どうしてこちらに?」
「私達も、たまには出歩かないと鈍りますからね」
――― 鈍るどころか、溜まったものを発散しているようにも見えましたけど
それを言葉には出さず、臨也は「そうですか」と相槌を打った。
「では、事務所の方に行きましょうか」
周りの男たちに合図をし、四木は歩き始めた。
「あぁそうだ、四木さん」
呼びかけられて振り返った彼に対し、臨也は笑顔で話しかけた。
「ちょっとお願いがあるんですよ」