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紅の識者

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その時だった。部屋の中に湿った空気が入ってきて、浦原は顔を上げる。
「雨みたいです。窓閉めますね」
昼まで晴れていた空が、書類と格闘している間にすっかり雲が空を覆い隠していた。
窓に背を向けて仕事をしていた一護は、気付かなかった、と独り言のように呟く。
その瞳が微かに陰っていることに浦原は気付き、窓を閉めながら
「どうかしましたか?」
「いや、・・・なんでもない。空、結構暗いな。大雨来んのかな」
浦原が窓を閉めると、それにあわせたように窓に水滴がついた。
雨が降り始めたのだ。
勢いを増しながらガラス窓に当たる雨を、一護はじっと見つめている。
「夕立で済みそうな感じじゃないので、今晩くらいはずっと降ってるかもしれませんね」
「・・・そうだな」
降り出した雨を眺めたまま、心ここに在らずという風情で呟いた一護に、浦原は奇妙な違和感を覚えた。
まだ出会って短いが、これまで見てきた一護とは、一歩違うような印象だろうか。
だが、どうかしたのか、と問う前に、一護がそれまでの憂い顔を一変させ振り向いたので、浦原は言い出す機会を逃した。
「今日の仕事ってこれで終わりだろ?」
トントンと浦原が渡した書類を指で叩きながら一護は聞く。
「はい」
「帰っていいぜ。明日も休んでいいから」
どうせ残っても仕事が無いなら何もすることは無い。
それに浦原が副隊長になってから、一度も休みを与えていない。
一週間に最低一日は休暇を。
一護が隊長になって最初に決めた十二番隊独自の規則だ。
毎日仕事に明け暮れては、いつか体を壊すだろ、と隊員を気遣う一護に、隊員からの人気は急上昇した。
そこに一護自身が堂々と休んで遊びたいから、という隠れた意図があっても、休みが貰えるなら文句は一つもない。
前十二番隊隊長であり、現技術開発局局長であるマユリの時は、一ヶ月に一日、休みがもらえるだけでも嫉妬モノだった。当然体調を壊すものが続出したが、規則が緩むことはない。
一護が隊長になった今では、全十三隊の中でもっとも優遇の良い隊だ。
いくら浦原の副隊長になった動機が不純でも、例外扱いするわけにはいかなかった。
「別にアタシは疲れてないですし、休みなんていいですよ。隊長の仕事お手伝いします」
「ウチの隊じゃ一週間に一日は絶対休むことになってんだ。副隊長だけ休まなかったら、規律決めた俺の立場無いし、隊員達も気兼ねなく休めなくなるだろ」
だから、休め、と視線が命令してきて、浦原に反論出来なくなる。
休みは嬉しい。しかし休むと一護に逢えなくなる。
元々、仕事を仕事と浦原は思っていない。
一護に逢うためのオプション程度に捉えているから、書類仕事くらいなら何の苦にもならない。
「・・・絶対?せめて今日一日までは・・・、」
一護と同じ部屋にいたい。
休みを貰えて悲しむのは、浦原くらいのものだろう。
一護もなんで休みをやると言って、非難されるのか理解出来ない。
捨てられた犬のような縋る目を向けてくる浦原に、
「ったく、今日一日までだかんな。明日はちゃんと休め」
渋々と一護が許可を出せば、
「はいっ、お茶淹れ直します!」
浦原はいそいそと嬉しそうに給湯室に向かった。
浦原の姿が消えて、また一護は湯飲みを手のひらで持ったまま窓を見やる。
勢いを増した雨が、ガラスを音を立てて叩く。
先ほどと違い、一護の顔から感情は消えていた。
「まだ、雨は嫌いか?」
一護の様子に、夜一は目を細め、頬を舐めた。
そんな夜一に、一護は似合わない苦笑を浮かべ、その毛並みの良い背中を撫でた。
「・・・嫌い、ではなくなったと思うよ。でも、好きには、なれない」
「泣きそうな顔にならなくなっただけ、少しは成長したか」
「子供でいたいって言ったって、いさせてくれないだろ?」
「誰も子供のままでいられぬものじゃ。掛かる時間は其々でも、生きる時間の積み重ねが、人を成長させる」
どんなに子供のままでいて欲しいと願っても、子供はいつの日か親や大人の手を離れていってしまう。
「夜一さんも子供でいたかったクチ?」
「逆じゃ、早ぅ大人になりたかった」
いつになく真面目な答えを返した夜一に、一護は目を大きく見開く。
「マジ?意外〜」
「貴族の手前、生活全てに制約が多かった。だから、早く大人になればマシかと思おておった」
「四大貴族の女当主様だもんな〜」
貴族の中でも頂点に位置する四大貴族の一族であれば、その規律の厳しさは想像するに気が重くなる。
結婚ともなれば相手にも相応の立場が求められるだろう。
流魂街出身の一護には遥か遠い話である。
生まれた時から死神になることが決められ、幼い子であろうと容赦無く重圧が圧し掛かることを、流魂街にいた頃は知らなかった。
ただ、餓えも無く、凍えることもない住み良い場所という認識しかなかった。
「その点、浦原は同じ貴族出身でありながら、わしとは違いあの体酪じゃったから、心のどこかで羨ましいと思っていたことは否定出来ん」
「・・・そこでその名前出す?」
夜一の口から出てきた名前に、一護は眉間の皺が二割増す。
珍しくいい感じで会話が出来ていたのに。
だが、夜一は一護に構うことなく話を続ける。
「浦原にはずっと死神にならずにいて欲しいと思っておったから、ワシも上からしつこく催促が来ても、適当にはぐらかしておったと取れる」
「俺が行って浦原が死神なったこと恨んでんの?」
深い意図無く言った言葉を、捻くれた解釈で受け止めたらしい一護に、
「なる理由が面白いから許す」
「何だよ、そりゃ・・・」
ガクリと肩を落として一護は脱力した。
結局はそこに辿り着くわけである。
だが、夜一に一護を責める気持ちは毛頭無い。
死神にならないと思っていた浦原が死神になってしまった落胆より、死神になった理由が断然勝る。
「無駄な意地は捨てて、早う浦原を受け止めたらどうじゃ?」
「意地なんか1ミリも張ってないし、何受け止めろってんだ!」
「何とはナニに決まっておるじゃろう」
「ナッ・・・!?知ってるよ!分かってたさ!つーか、女が下ネタ堂々と言ってんじゃねーよ!!ちった恥じらえよ!!」
一瞬で茹蛸になった一護に、夜一は髭をピクピクさせた。だから一護がからかい甲斐があって面白い。
「初心なヤツめ。お子様にはまだ早かったかのぅ」
「初心って何のお話ですか?」
熱いお茶を容れ直したらしい浦原が、盆に急須を載せて部屋に戻ってきた。
しかし、部屋に戻ると、一護は顔を真っ赤にさせ、夜一は猫の表情ながら、愉快そうな気配がする。
自分のいない間に一体何が起こったのか興味が沸くが、
「うるせぇッ!お前もういい!やっぱ帰れ!即帰れ!お前の顔なんて一秒でも見たくねー!!」
「えっ!?どういう経路でそんな結論なってんスか!?」
話についていけずオロオロする浦原と、恐らく浦原のナニを想像したのだろう一護を尻目に、夜一は機嫌良さ気にヒゲをぴくりとさせ、窓の外の雨を眺めた。


(20101009)

作品名:紅の識者 作家名:シイナ