紅の識者
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周りを囲む観衆は、隊長格が生徒の視察に来る時と、引けを取らないだろう。
貴族でありながら真央霊術院に入学するには、完全に遅れている。
大概は二十歳になる前に入学し、卒業後、死神となるのだ。
それが既に百歳を越え、しかも力は上位席官クラスで、上級貴族出身、腰にはしっかり始解された斬魄刀。
貴族出身の者の中には、何かしら噂を聞いている者もいたようで、遠巻きに見ている者達もいる。
変人浦原が今頃になって入学してきたという話は、一日もかからず、霊術院中に広まった。
しかし、当事者は至って普通で、集める視線もどこ吹く風。
真新しい制服の着心地に慣れないのか、袖を伸ばしたり捲くったり忙しなく、かと思えば、遠くを見つめては溜息をついたりしている。
最も廻りの目を引いているのは腕に抱いた黒猫だった。
生き物なら小鳥や猫、犬くらいなら瀞霊廷でも見かける。
しかし、腕に抱かれた猫は、普通の動物とは完全に異なり、喋っていた。
「全く似合わんのぅ」
黒猫は前足を舐めながら、視線だけで制服と人物を見比べ、そう零す。
「そうですか?アタシは結構気に入ってますよ?これをあのヒトも着たのかと思うと、こう心が弾むというか、飛んで行きたいというか、今すぐ抱きしめたいなぁ〜」
「そのまま地獄の果てまで飛んでいって帰ってくるな」
自分の世界にどっぷり浸り、魂を飛ばす浦原に、夜一は呆れて果てる。
興味が無ければ指一本動かさない性質ということはよく知っていた筈だが、こうも態度が変わると、夜一も何も言えない。
あれだけ死神になることを渋っていた浦原が、何の前触れもなく突然四楓院家にやってくると、開口一番『死神になります』とのたまったのだ。
何の冗談かと夜一も勘ぐったが、どうも本気であるらしく、それなら気が変わらないうちにと、たちどころに次の日の入学が決定された。
「浦原殿、こちらへ。貴殿が編入するクラスへ案内しますゆえ」
緊張した上級生が浦原へ声を掛けてくる。
「それじゃ、行って来ます」
「またからかいに来てやろう」
「あんまりサボってると砕蜂あたりが泣きますよ?」
夜一を下ろしてやり、教材を肩に背負うと浦原は軽口を叩き、瀞術院の建物の中に入っていく。
その後姿が消えるまで見送ったあと、夜一はようやく踵を返した。
護廷十三隊と隠密機動は似て否である。
工作と諜報活動に重みを置く隠密機動と違い、護廷十三隊はあくまで人間の魂を守り導き、虚と戦うことにある。
それでも任務遂行のため、護低十三隊と隠密機動は切り離せない関係にあった。
ゆえに隊長格と隠密機動の総軍団長とは同格とされている。
「お、いたいた」
陽気な声に、瀞霊廷の廊下を歩いていた一護は、顔を反対方向に思いっきり反らした。
出来ることなら逃げたかった。
隊長である一護が瞬歩して逃げれば、捕まえられる者は一握りだろう。
しかし相手が悪すぎる。
相手が瞬神夜一であれば、流石の一護も逃げ切れる自信はないし、もし逃げたら後でどんな目に逢うか考えるだけでも恐ろしい。
「なんだよ・・・」
ニヤついた夜一が何を言わんとするのか手に取るように分かり、一護はやはり逃げていた方が良かったかもしれないと後悔した。
「なんだよとは、釣れないヤツじゃのぅ。礼が言いたいだけではないか。」
「・・・別に礼なんていいし。俺、仕事あるから、じゃ」
「待て」
そそくさと夜一の隣を通り抜けようとして、一護は首根っこを掴まれた。
「あれほど死神になるのを厭うておったやつが、そなたが行ったら二の句もなく応じたらしい。どんな妙なる技で誑し込んだ?」
「人聞き悪いこと言ってんじゃねぇ!おれは殴っただけだ!」
いきなり手を握り男に求婚してきた変態を、力の限り殴り飛ばし、その場にいるのも嫌で、任務そっちのけで振り返りもせず逃げてきた。思い出しただけでも鳥肌が立つ。
「だいたい、なんで俺が説得役に廻されんだよ!そこ等辺の暇なやつ等に行かせときゃ良かっただろ!」
「安易に考えて引き受ける方が悪いんじゃろが。大方、堂々と仕事をサボれるとでも思って引き受けたのだろう?」
「う・・・」
図星を指差され、一護は反論出来ない。その様子の一護を見て、ここまで馬鹿正直な隊長もいないだろうと夜一は思った。
実力なら文句無しだが、性格はまだまだ幼いままだ。
簡単な引っ掛けにも騙されるし、大人の汚いかけ引きや曲がったことを何より嫌う。
よくこんな子供が隊長になれたものだ。
「・・・あいつ、霊術院入ったのか?」
聞きたくもないが、気になって仕方ないのだろう。
視線は反らせても、耳と好奇心が夜一に集中している。
「喜び勇んで今日から霊術院じゃ。あの調子ではすぐに上まで昇ってくるぞ」
今朝の様子では、飛び級を重ねて一ヵ月後には一護の隣にならんでおるかもしれんと、夜一は無責任なことを考える。
周りは浦原の実力を上位席官クラスと思い込んでいるようだが、とんだ間違いである。
実際はとっくの昔に卍解まで習得している。
それを知るのは共に鍛錬した夜一だけだ。
その気になれば、卍解出来ることを周囲に見せるだけでいい。
たったそれだけで即座に護廷十三隊に正式配属されることはもちろん、隊長格と同格として待遇されることだろう。
正式な死神ではなくとも、貴族である浦原ならそれくらい簡単に分かる筈である。
なのに卍解をしないというのは、何かを企んでのことか。
「俺の隊には絶対配属させねぇ・・・」
「職権乱用か?」
「一度くらいいいだろ?」
睨み上げる一護に、
「そうじゃな、自分を自分で護る甲斐性くらいないとのう」
「甲斐性って何だよッ・・・」
「一護、わしはアレと幼い頃からの付き合いだから分かるのだが、浦原はしつこいぞ。とてつもなくな。興味を持ったものに対して、どこまでも追い求める。草の根分けてでもな。しかも、人間に興味を持ったのは、恐らくお前が初めてじゃ」
そこで一度間を置いてから、一護に人の悪い笑みをニンマリ浮かべ
「浦原から逃げるのは並大抵でない。覚悟しておけよ?」
「笑って脅しか?」
「忠告しておるのじゃ」
忠告にしては、やり方が捻くれ過ぎている。
そう思っても一護は夜一相手に口には出さないくらいの学習はしている。
「・・・冗談だよな?」
「何が?」
顔を俯かせた一護に、夜一は何の話かと聞き返した。
「結婚してくださいって・・・、性質の悪い冗談だろ?」
「・・・結婚じゃと?」
「うん。アイツ、俺の顔見るなり手握ってきて、結婚して下さいとかほざいたんだぞ・・・俺女に見られたのかな・・・そんなこと無ぇよな?」
聞いてない。夜一は浦原から好きな人が出来た、運命の人と出会った、そこまでしか聞いていない。
浦原と一護がどんな出会いをしてどんな会話をしたかまでは、詳しく聞いていなかった。
「・・・一護、それを誰かに言ったか?」
「言えるわけねぇよ!」
誰が好き好んで男に求婚されたなんて言えようか。
むしろ恥だ。
副隊長がまだ不在だったお陰で誰にも見られなかったのが、せめてもの救いだった。
「では誰にも申すな。誰にも、じゃ。よいな?」
いきなり胸倉を掴まれ、間近に夜一の顔が迫った一護に否は無かった。
「は、はい・・・」
「よし」