紅の識者
スルリと解かれた胸元に、一護は安堵し深く深呼吸する。
一体何事かと思ったが、一護を放した夜一は何も言わずさっさと去っていく。
なんだったんだ?一体・・・。
茫然自失の一護は、まだこれから自分の身に起こることを予測すら出来なかった。
※ ※ ※
霊術院に入って一週間後、浦原はすでに最上級生の特別クラスに飛び級していた。
能力も年齢もずば抜けているその人物は、教室の一番後ろでスヤスヤと心地よい寝息を立てている。
もちろん授業中であったが、教壇に立つ指導員は見て見ぬ振りだ。
むしろこのまま何事もなく卒業してさっさと護廷十三隊へ言ってしまえと思っている。
「・・・嘘だろ」
霊術院を取り囲む高い塀の上から、一護は目から上だけ乗り出して、浦原のいる教室を盗み見る。
浦原の噂は、一護が聞きたくなくても、護廷十三隊隊舎にまで届いてくる。
もう飛び級した、卒業間近だ、護廷十三隊配属後の席官が既に用意されている。
浦原の文字が聞こえてくるだけで気が気でない。
浦原という人物を、一護は一番隊の山本から勧誘して来いと言われるまで知らなかった。
実力があるのに死神になろうとしない人物がいる。
山本から聞いたのはたったそれだけである。それから浦原の家に行くために多少の情報収集をして、当の人物が夜一と旧知であること、なかなかに曲者で所在を捕まえ難いということが判明した。
案の定、一護が昼間に行くと、屋敷の者から主は留守だと言われ、また夜に来るからと言い残し、流魂街で暇つぶしをしてから再度訪ねた。山本自ら勧誘して来いというだけあって、霊力感知能力が高いとは言えない一護でも、初めて見た浦原から感じる霊圧はそれなりに高かった。
しかし、相手は一護がいると知るや、帰ってくるなり踵を返し、また出掛けようとしたのだ。以前、浦原を訪ねたことがあるという者が、一年かかって一度も会えなかったと言っていたことを思い出す。
誰が一年も通うか。そう思って一護が声をかければ、浦原は一護をしばらく見つめて、いきなり恭しく手を取り求婚してきたのである。
変人であるということは、収集した情報から知っていた。
なにより夜一の知り合いであるというところが説得力を付加する。
だが、男に求婚する変態とは知らなかった。
「どれだよ、その浦原って」
一護の隣で、一護と同様に顔半分覗かせた恋次が、教室を伺う。
「一番上の右端の教室だ。後ろの方で昼寝してる金髪」
「お、あれか。なかなかいい男じゃん」
「どこがだよ!お前、目ぇ腐ってんじゃねぇか!?」
勢い大声を出し、身を乗り出した一護に、恋次は慌てて一護の頭を押さえつけ、塀に身を隠す。
「馬鹿!姿曝してんじゃねぇよ!仕事サボってんのバレるだろーが!!」
「おぅ、スマン・・・」
副隊長に隊長が叱られるというなんとも情けない姿だが、恋次は六番隊であり、何より回りに誰もいないということで、つい昔のような砕けた口調になっている。
霊術院の生徒に見つかったところで、生徒が隊長である一護を咎めるなんてことは決してない。
しかし、隊長格が隠れて視察に来ていたことは、確実に噂になり、そして噂は耳敏い山本の耳にまで入ることだろう。
こういう時、山本は面と向かって叱る上に、虚討伐のオマケが付いてくるのだ。
「でも、何でそこまで気にする必要があんだ?総隊長から言い渡されたのは勧誘して来いってだけだろ?手こずらせずに霊術院入ってくれたんだし、面倒見ろって言われてるわけでもないんだから、放っていいんじゃ」
「俺だって好きでこんなことしてるわけじゃねぇよ・・・・」
段々と一護の声は小さくなった。
恋次は何も知らないから、そんなことが言えるのだ。自分の身になったら、絶対にそんなことは言えない。
浦原はしつこい。そう言っていた夜一の言葉を、一護は思い出す。常に無く夜一が真剣に言っていたので、よく覚えている。だが、いくら実力があったところで隊長格である一護のところまで昇ってくるのには、それなりの時間が掛かるはずだと高を括っていた。
一護とて力と戦闘の才能はあったが、霊力コントロールが上手く出来ず、隊長に昇るまで時間がかかった。
それをあの男がホイホイ出来る訳がないと思っても仕方ないことだろう。
霊力があっても死神になれるのはほんの一握り。
その中で席官となり隊長ともなれば、砂の中から一粒の金を見つけ出すのに等しい。
どうやって浦原を近寄らせないか
「マジで考えとかないといけねぇな」
「アタシとの結婚考えてくれるんですか?」
「するわけねぇ、だろ・・・っ!」
明後日の方向から聞こえた声に、一護がバッと振り返れば、先ほどまで教室の後ろで昼寝を貪っていた浦原が塀の上にしゃがんでいた。
「アタシに逢いに来てくれたんスか?嬉しいなぁ」
「誰がテメーなんかに逢いにくるかボケ!学生の分際で、授業サボって昼寝してんなよ!」
そういう自分は仕事サボってこんなところに来ているではないか。
他人のことを言えた立場ではないだろう、とは恋次の心の中だけの呟きである。
「だってあんなに熱い視線送られたら、悠長に眠ってなんかいられないッスよ〜」
一護が霊術院に来ていることに、浦原は直ぐに気がついていた。
本人達は姿さえ隠せばバレないとでも思っていたようだが、浦原には通用しない。
自分が逢いに行くのではなく、一護の方から来てくれたことが、素直に嬉しかった。
あの時はつい何も考えなしに求婚してしまったが、一護がノーマルということを考えると、少し話が早すぎたかもしれないと思える。
ゆっくり廻りを固めてから、手堅く行った方が良かったかもしれない。しかし、これはこれで落とし甲斐があるだろう。
拒む一護をじっくり時間をかけて落としていく過程は、どれだけ楽しいことだろう。
一護の意思は完全無視して、そんなことを考えながら両手を頬にあて、頬を染めながら身をくねらせる浦原に、
「送ってねぇよ!キショイ真似すんな!」
一護の鉄拳が再び浦原の頬を捉えた。
目の前で繰り広げられる光景に、恋次は全くついていけなかったが、最初に言われた一つの単語が頭に引っ掛かり、
「結婚って何?」
「もちろんアタシと黒崎サンの結婚に決まって」
「ねーつってんだろが!!」
慌てて一護は浦原の言葉を否定するが、既に恋次の目元と口元は緩んでおり、体がかすかに痙攣すらしている。
笑うのを懸命に堪えているのが丸分かりである。
しばらく震えていた体が収まり、ゴホン、と一つ咳払いすると、恋次は一護の肩に手を置いてから、
「幸せになれよ、一護」
満面の笑みを浮かべ祝福する。一護は石化した。
「二人で幸せな家庭作りましょうね」
ニッコリと浦原が微笑み振り返った瞬間、一護は隊長格の霊圧を開放し、辺りの壁を浦原、恋次ごと吹き飛ばしていた。
(20100919)