深淵
「・・・ふうん・・」執務室の机に腰掛けた子どもはうつむいて続けた。
「・・あのさ、要は、その家宝を取ったのって、あの人しか考えられないってことなんだろう?」
「普通の思考を持ち合わせていたら、そう考えるな」
「で、それを探し出せってことは、あの女の人の口を割らせるってことだよなあ?」
「われるなら」
「無理」
「・・・・・早い。早いぞ、鋼の。君らしくもない」
子どもは勢いをつけて床におりる。
「あの人、産みたかった子ども、あんたと、父親のせいで、産めなかったんだろ?」
「それは、責任転嫁というものだ」
「でもさあ」
「子どもは一人ではつくれないんだよ。父親の責任はどこへいった?」
「・・・だって、相談できなかったって、あの人言ってたぜ。したくても、もう、いなかったとか、」
「死んだということか?それとも、捨てられた、という解釈か?」
「・・・・・・・」
金色の眼が、静かに怒る。
「どちらでも同じだ。どういう理由であれ、父親が責任を遺棄したならば、母親である女はその分も負わなければならない。―君たちの、母上のようにね」
ぎ、と音がしそうな視線だった。
子どもは黙ったまま踵をかえし、ものすごい音を立ててドアを閉めた。
「―ふ、こりゃ見捨てられたな」
しばらくして入ってきた部下にそうつぶやくと、彼女は口元だけ笑んで紙束を置き、こたえた。
「さっきから、休憩室で、お茶をがぶ飲みして待っていますが?」
「―それは、この書類を後にしてもい良いという意味かな?」
「あと五分、待ってもらえるようにエドワード君に伝えます」
五分間は、他のことを考えなくても良いということだ。
まず、どうするかと言えば、「まあ、現場だよな」と子どもがうなずき、反対する理由はないと男が運転する車で、再度あの屋敷をめざした。
「どう思う?父親に対する復讐か?」
「うん、まあ、確かに嫌いみたいだったけど、それならもっと他に方法もあるんじゃねえの?」
「そのとおりだ」
もう陽が傾き始めた空を見て、男も思う。家宝を隠して嫌がらせ。このタイミングで確かに効果的ではあるが、感情的な女には似つかわしくないやり方だ。
うっそうとしたあの樹木の影が見える位置まで走ると、その手前にある集落で車は止まった。
降り立った男は、看板が出た小さな食堂にさっさとはいる。
「頼んだものはできているかな?」
一人の客もいないそこで、いきなりそう声をかけた。
奥から小太りな男がのろのろと顔をだし、二人をいぶかしげに見比べると、まえかけからくしゃりとした紙をとりだした。
さっと眼をはしらせた男は、「助かる」とその男へ、何かを握らせた。
太った男は子どもを一瞥してから何もいわずに奥へといきかけたが、思い直したように体をひねった。
「あんたら、もし、あそこを何か調べたいんだったら、夜、日が落ちてからいくんだね」
「夜?」
「それには載ってないが、一年近く前に、よその土地の人間に、何かの工事を頼んだはずだ」
店主はそれ以上なにもない、というように手を払い、今度こそ奥に消えた。
「それ、なんだよ?」
「あのお屋敷に納品された商品のリストだ」
こんな辺鄙な場所にあるお屋敷には、この集落の人間がやとわれている。しかも、昔からあそこに仕える口の固い偏屈そうな年寄りばかりで、そこからせめていっても、攻め込めないなと判断した男は、その年寄りたちが使っている人間に目をつけておいた。
「料理人が一人。中の下働きに二人。庭の手入れに二人だ。アザン家に代々仕えている家系というのがこの集落にはあるようでね。他の家とも一線を画している。が、やはりそういう家には先がないようでね。跡継ぎがいるのは一軒だけらしい。したがって、重いものやかさばるものは、段々と近場で済ますようになったようだ」
止まった車の中、その一覧を確認してゆく。
生活に必要なもの。雑貨。園芸用品。食料品。
「どうだね?とても、一人の女性のために必要な量ではないだろう?」
「じゃあ、もっと大勢が住んでる?」
「かもしれない。あれだけの敷地だ。しかも、屋根のついた建物は、あの屋敷だけではないはずだ。狩猟もするのであれば、厩(うまや)もあるだろうし、獲物をさばく小屋もあるだろう。猟犬も飼っていると聞いたことがあるが、今はいないのか?」
犬の用品は載っていなかった。
「―夜だけ、人の出入りがあるのかも」
「では、確認しよう」
改めてみると、生き物の気配は、木々の上で鳴く鳥たちぐらいだった。
「あの、屈強そうな門番は、外からの不審者に備えて、昼間だけ置かれているらしい。なぜ、夜も置かないのか不思議に思わないかね?」
「あんたみたいに、夜、中に入ってから不審な行動をするのもいるのにな」
子どもの意見に大人は、先日の己を思いおこしながら諭した。
「わたしなら、爆弾を両手に抱えたままでも入れる自信はあるね。―よけいなことを質問させないための、階級でもあるのだよ」
ごくろう、としゃちほこばった男の横を通り過ぎるとき、「そういえば―」と今思い出したかのように犬の話をする。まだ力のこもった礼をする相手は、自分がこの配置に来たときには犬など見かけなかったが、前の人間は、夜によく犬が吠えるのを聞いていたと教えてくれた。半年以上前らしい。
「・・ふむ・・」
腕を組みながら進む男は、屋敷へ続く道をさっそくはずれる。
「なあ、ただぐるっとまわるのかよ?」
「ああ。ただぐるっとまわるつもりだ」
もう陽が沈み始め、森の中は暗い。
足元は枯葉がたまったような土で、なんだか柔らかかった。こういう感触は、好きではない。子どもがその足元を睨みながら進んでいたとき、それに気づいた。
「あ」
「ほう。すごいな」
むこうのほうで、黒いかたまりがうごめいている。野鼠だった。
躊躇する子どもを置いて、さっさと近付いた男がそれらを追い払えば、白い骨が暗がりの中に浮かぶ。
「―どうやら、犬たち。のようだな」
ばらばらになった大量の骨。わずかにまだ肉がこびりついてはいるようだが、ほとんど骨と化していた。
男はさらに壁沿いを歩き出す。
しばらくゆくとドアのない小屋が見えた。
黒い影が上から下がっている中を、懐からライトを出した男がさっとなでる。
大きなつり鉤。太く渡された綱。大振りなものばかりの刃物は手入れがされて、鈍く光ってみせた。下にはどす黒い汚れがついた木の平台がある。
「埃がたまってるな」
うっすらとしたそれを確認し、次へゆく。
「ふたつめだ」
見えてきた小屋を子どもに示した。
窓に明かりは見えない。近寄り、のぞけば、どうやら園芸用の納屋のようだ。
ドアには鍵がついている。
こちらをうかがう子どもにひとつうなずく。
ぱん、と音が響くと、それが開いた。
暗く湿った匂いのする中は、壁に並べられたビンや、そこかしこに積まれた麻袋。土にまみれたシャベルが静かにあるだけだ。
この独特のにおいは、植物用の殺虫剤か、肥料などだろうか。
ビンのラベルを眺めていた男が、とんとんとん、と足を鳴らす。そのまま移動しながら鳴らしてゆき、はじのほうで顔をあげた。