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ラブレター

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Spiral -螺旋-



 人気のないテニスコートで、断続的に球を打ち鳴らす音が響いている。
 既に日は落ち、夕暮れを過ぎて宵闇に辺りが包み込まれる時間になっても、まだ響き続ける弾む球の音と荒い息遣い。
 とうに通常の部活動時間は終了し、今は夜間活動の時間帯に入っていた。それでも始めは何人か残ってはいたが、今ではその姿もなく、たった一人コートに立つ者だけが時間に取残されたように、変わらず球を追い続けている。
 漆黒の髪を、汗で濡らして。
 岳人はコートの端にあるベンチに座って、そんな忍足を見ていた。普段、年のわりに冷静な相棒の、なりふり構わず必死にもがいている姿を。
 少しもこちらを顧みない忍足から眼を放し時計を見る。
 午後八時十分。
 岳人は溜息を吐いて、再び走り続ける忍足を見た。
「なあ、侑士ー。もうそろそろ帰ろうぜ」
 半ば返る答えを予想しつつ試しに声を掛けてみると、
「岳人は先に帰ってええよ」
 思った通りの答えが返ってきた。
 告げられたセリフに、やっぱりと、岳人はまた溜息を吐く。
「オレが帰る時は侑士も帰るんだよ。……もうそろそろ本気で止めねぇと、返って調子悪くするぜ」
 岳人の、どこか呆れを含ませながら向けられる心配を宿した視線に気付いて、忍足は籠から取り出した球を宙に放るのを止めて岳人を見る。自分を真っ直ぐに見つめている岳人の姿に、次第に冷静さが戻ってくるのを感じた。荒い息が、少し落ち着く。
「なに今更熱血してんだよ」
 眼を半眼にし、気に入らなげに低く問い掛ける。
 いや、実際気に入らないのだろう。当たり前だ、今までの忍足を知っている者なら皆岳人のように不可解と感じたに違いないのだから。
 何故、と問われても、答えなんて持っていない。この自分の中に蟠るごちゃごちゃした感情を的確に云い表せる言葉を忍足は知らない。ただ、無性に気持ちが焦って高揚する。こうして身体を痛め付けるように、くたくたになるまで練習していないと落ち着かない。
 早く、もっと強くならなければ。
 そんな脅迫じみた思いで、ただひたすら腕を振るい球を打ち付けている。
答えられなくて黙り込む忍足に、岳人はまた大きく溜息を吐いた。
「なあ、本気で最近のお前おかしいよ。別に無理に理由を知りたい訳じゃないけどさ。……でも、八つ当たりでテニスすんのは止めろよ」
 厳しい言葉とは裏腹な柔らかい口調に、忍足を気遣う岳人の優しさが窺える。忍足は、黙ったまま眼を閉じた。
 岳人はそんな頑なな忍足を見て、また吐きそうになる息を呑み込むと、仕方なさげに髪を掻き毟りながら立ち上がる。次いで足下に放り出していた鞄を担いだ。
「岳人……」
「帰る。付き合ってらんねー」
 動く気配に気付いて振り返る忍足に、岳人はそっけなく云い放つ。
「……すまん、岳人」
 小さく呟く忍足の声に、岳人は振り向かないまま後ろ手を振って去って行った。
 その後姿を少しの間見送って、忍足は再び視線をコートに向けると中断していた練習を再開し始める。
 時間が経つごとに集中が切れていくのか、思うような軌道が打てない。狙った箇所から逸れ、フォームが崩れる度に、脳裏に浮かぶのはあの日に見た跡部の姿。今まで見たこともない生き生きとした笑みを浮かべ、見たこともないプレイでその場を圧倒していた彼。
 けれど、あの熱いコートの中でまさしく王者の輝きを放ち、見る者を魅了する彼の姿に、あれが自分達を背負う部長なのだという誇らしさを感じたのは一瞬、すぐに誇らしさや嬉しさなど打ち消す程のドロドロとした嫉妬に侵された。
 跡部が見ているのは自分ではない。
 跡部のあの表情を引き出したのも、自分ではない。
 そのことに、自分がどれだけ激しく苛立ち不愉快を味わったのかを知る者は居ないだろう。跡部の視界のどこにも、自分が存在する場所はないことを痛い程思い知った瞬間だった。
 悔しい、と思う。
 そして、情けないとも。
 まるで今まで自分がやってきた行動の報いを思い知らされた気分だった。いつもは氷のように冷えた胸の淵が、焼け付く業火の舌先で舐められたようにじりじりと熱い痛みを発していく。どんなに抑えつけても込み上げては火傷のようにひりついた。
 醜い嫉妬。
 忍足は疲れたように眼を伏せ、唇を噛み締める。
 瞼の裏に焼付いている白い背中。しなやかに伸びる手足、その躍動。どれ一つをとってもまったく知らない彼が居た。ゲーム中の彼は今まで自分が見てきた彼ではなくて、無意識に口の端を上げるその表情すらいつもとどこか違って見えた。
 ずっと見続けて、彼のすべてを知っているつもりだったが、所詮それも〝つもり〟知った気になって、何一つ見えてはいなかったのだからとんだお笑い種だ。一人相撲にも程がある。
 だから、なのか、それとも違うからなのか。それは自分でも判らないけれど、それでも一つだけ云えることがある。
 それは跡部にとって、自分の存在など取るに足らないちっぽけなものだということ。
 同級生としても、……テニスプレーヤーとしても。
 彼の眼に映るのはいつだってたった一人で。
 決して特別を作らない彼の唯一をもぎ取った人物。それがテニスにおける純粋なライバル心であったとしても、自分には向けられることのない表情を眼にしているというだけで、無様な妬心が芽吹いていく。これ以上そんな姿を見たくない。
 そう痛感したから、今こうしている。
 どれだけ強くなればその眼に映るのか。
 どれだけ想いを募らせたら意識にとめてくれるのか。
 直接当たる勇気もない愚かな自分を誰が笑うだろう。意気地なしと、どこかでせせら哂っている声が聞こえる。
 たとえ誰が見ていなくても、自分だけはすべて知っている。
 哂っている。それでも止めることは出来なくて、頭の隅でバカバカしいと嘯きながら、また彼を想い滑稽な自分を演じ続けた。
(誰に云われんくても、こんなことに意味なんてあらへんことくらい、判っとるんや)
 けれどどうしても我慢できない。彼と自分の、この果てしない距離を埋めたくて、無様に足掻いている。形振りなんて構っていられない。他人の眼なんて、そんなのどうでもいいと思うくらいには。 哂いたければ哂えばいい。それでも自分は、彼に近付きたかった。
 見えない引力に惹き付けられているかのように。
 恥ずかしくも動かずにはいられない、嘲り疲れた、
 愚か者の、恋。
 忍足はゆっくりと瞼を開いて、眩しいほどの照明に照らされたコートを見渡す。
 何かを探すように眼を眇めるその姿は、見えない何かを懸命に手繰り寄せる仕草にも似ていて、どこか寂しげに佇んで見える。暫くすると小さく吐息を零し哂い、思い出したようにまた黄色の球を放り身体をしならせ無心に打ち付ける。
 再びコートに響く共鳴。
 今夜もまた、長い夜が訪れた。


作品名:ラブレター 作家名:桜井透子