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庭火の花

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男は青紫の花を白い指先で軽く撫で「しずやしず」という初句を繰り返した。幼い口調だった。臨也は目を瞠る。
ついさっきまではきつく吊り上げていた眦を下げて、子供みたいに瞳を輝かせている。嬉しげで――美しい顔だった。臨也は知らず息をのんでいた。
「お前、意外と物知りだな」
感心したように臨也を見上げて、ちょっと笑って見せた。臨也は目を逸らすことさえできない。目を見開いたまま何も言わない臨也を、男は不思議そうに覗き込む。地味だが高級品だと分かる白に青の模様が施された内掛けがさらりと流れて、宵闇にあってさえ眩いほどの金の髪が近づく。
「…っ、君こそ、よく花の名前なんて知ってたね。そういう風流なこととは無縁そうなのに」
ようやく体の端から動けるようになったので、臨也は慌てて目を逸らして嫌味を言った。彼の気分を害する意図があったが、それは成功しなかったようだ。彼はただ、どこか寂しげな表情を浮かべただけだった。寂しげで、遠い何かを想うような。
「弟が、好きな花だったんだ。だから覚えてただけだ」
「……ふうん」
遊郭に売られてくる人間の身の上など、似たようなものだ。臨也は目の前の青年のことを何も知りはしないが、彼がその弟とやらに再会できる日が遠いことだけは分かる。むしろ、もう会えない可能性の方が高いだろうということも。
男はしばらく、簪の一つも挿していない金の髪を少しだけ傾けて手の中の青紫の花を見ていたが、やがてふと顔を上げた。
「俺はそろそろ戻る。ほんとは部屋から出るなって言われてるしな」
臨也にそう言った男は、手に握った花を軽く持ち上げて見せた。言外に、謝礼を示したつもりなのだろう。そうしてそのまま、振り返りもせずに、座敷の帳に消えていった。
臨也はその後姿をらしくもなくぼんやりと見送る。そしてしき降る雨の音をすぐ近くで聞きながら、彼の名前すら聞かなかったな、などと考えた。残されたのは、青紫の花の感触だけだった。




                 ○               ○




「できれば俺は直に会いたくはなかったんですけどね」
朱塗りの粋な杯で豪快に酒を飲みながら、不快そうな表情を隠そうともしないのは、楼主の四木である。
「酷いなあ、これでも結構、金払いのいい上客だと思うんですけど」
「上客でも下衆、って輩はたくさんいますよ」
底冷えのするような声で罵られる。いくら吉原広しと言えども、ここまで客に暴言を吐ける楼主には滅多にお目にかかれない。もっとも、四木は元来理知的に会話をする人間なので、相手が臨也でなければここまで悪し様には言わないだろう。害虫のごとき嫌われようである。
そんな扱いにも慣れている臨也は、薄ら笑いを崩すことはない。それを見て、さも気分が悪そうに四木は悪態をついた。
「で、わざわざ俺に頼みごとってなんですかね」
「その前に、ちょっとどうでもいい近況の話とかしてみませんか?」
「…用件を早く言ってほしいんですよ。酒が不味くなりそうなんでね」
「はいはい。四木さん、今度この妓楼で新しい花魁の突き出しをするそうですね」
近況、と言いつつも話は本筋に切り込んでいる。臨也は注意深く四木の様子を窺っていたので、杯を持つその手の動きが止まったことにも気付いていた。
「結構この妓楼の情報も持っているつもりですが、突き出しするような新造なんてここにはいなかったように思いますけど」
新造が初めて客を取ることを突き出しという。普通の娼妓であれば、これは盛大に行われるが、当然突き出しされるのが男の場合は表立っては目立たず、ひっそりと行うだろう。
「知らなかっただけでしょう」
「そうですねぇ。俺は男には興味がないから、陰間には疎いですし」
「……本当に性格が悪いな」
陰間、という言葉を臨也がすぐに出したことで、臨也が既にある程度の情報を得ていることを察したのだろう。四木は忌々しげに顔を歪ませた。臨也は「おかげさまで」とにやりと笑って言い返した。
「でも不思議ですよねえ。その陰間、最近ここに入ったばかりの、廓言葉もほとんど使えないような男でしょう? しかも別に若くもない」
通常、吉原で花魁になる人間は、まだほんの子供の頃に売られ、教養や廓言葉を身につけてから水揚げされる。しかし昨夜会った男は、教養深いようにも見えず、何より吉原独特の廓言葉をまったく使っていなかった。それに、いくら陰間は表には出さないとは言っても、あの長身と金髪、それにすっきりと整った容姿では、目立たないわけがない。妓楼に働く者の口にのぼって広まれば、臨也の耳にも入っただろう。それが今までなかったのだから、あの金髪の青年が吉原に入ったのは最近だと考えて間違いはないだろう。
四木は、互いの腹を探り合う問答に嫌気が差してきたらしい。知的に煌めく瞳に剣呑な色彩を加味して、「いい加減、本題に入ってくださいよ」と低く言った。
「じゃあ手っ取り早く言います。その男娼の水揚げ、俺にさせてくださいよ」
「……波江はどうするんです?」
吉原では、たやすく敵娼を変えることはできないし、複数の敵娼の客になることも基本的に許されていない。どうしても相手を変えたいならば、流儀にのっとらなければならない。だがそんなこと、臨也にとってはなんの問題もなかった。
「波江花魁には話をつけますよ。手切れ金も弾みますし」
もともと割り切った仲だ。波江が渋るとは思えない。
四木もそれが分かっているのだろう。その件についてはそれ以上深くついてはこなかった。ただ、訝しそうな顔で臨也を見ている。どうしてそこまで男娼一人にこだわるのか、不思議に思っているのだろう。
「どこかで静雄を見たのか」
四木は、臨也がこだわる理由をそう結論付けたらしい。そしてそれは外れてはいない。
臨也は答えずに、ただ内心で、静雄、という彼の名前らしきものを繰り返した。しずお。なるほど、だからしずやしず、で反応したのか。
「あれは確かにここに来たばかりだ。愛想はないし年も二十を超えてる。廓言葉もまったく覚えねえ。だがな…間違いなく売れる」
いい加減、臨也に対して丁寧な言葉遣いをすることに疲れたのか、四木の話し方がぞんざいになる。そうすると、この男が持つ研ぎ澄まされた刃のような雰囲気がさらに増した。
「…随分と自信があるようですね」
「ああ。何せ静雄は、俺が買って来たからな」
「…四木さんが?」
「ああ」
普通、どこかから子供を調達し、遊郭に売るのは、女衒と呼ばれるそれ専用の人間だ。楼主が直々に調達に行くことはない。
だがこの楼主は気まぐれに、女衒の真似事をして、遠方に子供を買いに行く。商売品を見繕うため、というよりは、自分が吉原から離れて羽を伸ばしたいだけだろうと臨也は踏んでいるが。それでも四木は、遠方に行っては子供を買って来る。ほとんどは垢抜けない子供だが、これがいい花魁に育つ。おそらく四木には、いい花魁に育つ子供を見分ける才能があるのだろう。
「静雄の水揚げは、昔からの得意先に頼んである。臨也、昔からの馴染みでもないお前に生半可な額では抱かせない」
作品名:庭火の花 作家名:サカネ