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「我は何もしてやれぬ」

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 その日も雨が降っていた。
 戦場の喧騒すら厚く塗りこめ、外の世界から全てを切り離してしまうかのような激しい雨音の中、三成の絶叫だけはなぜか大谷の耳に届いた。
「あ……あ……ああ……ああああああああああ……ッ!!」
 まだ温かい、しかし二度と目を覚まさぬ秀吉の骸に縋り付いて泣き叫んでいるのである。
 無理もない、と思えた。
 ここで何が起きたのかを、大谷はほぼ正確に把握できている。突然離反し、秀吉に凶刃を向けたのは家康だろう。先刻、家康を背に乗せた本田忠勝が、尋常でない勢いで飛び去っていくのが目撃されている。何事かと思ったが、主君を手にかけて逃げ出したというのなら合点が行く。
 三成はかなり早い時点でその異変を察したようだった。だがそれでも一歩及ばなかったらしい。もしも三成が間に合っていたら、秀吉がここで倒れることもなかっただろう。あるいは逃げようとする家康に、一太刀なりとも浴びせていたはずだ。
 だが三成の愛刀は、ぬかるみの中に無残に放り出されたままだ。家康も深手を負ったようには見えなかったところをみると、三成の剣は家康には届かなかったらしい。
 そうして、後には悲しみと後悔に泣き叫ぶ三成だけが残されたというわけだ。
「秀吉様、秀吉様、秀吉様ああああああああ!!」
 ひどい有様だった。その細い体のどこからそんな声が溢れるというのか。絶叫と嗚咽を繰り返し、ひきつけのように身を震わせる。このまま息を詰めて死んでしまうのではなかろういか。そんな風にさえ思える泣き声だ。
(せめてもう少しで落ち着けてやらねば)
 そう思い、大谷は三成へと手を伸ばす。
 だがその手が三成に届くことはなかった。見えない壁に阻まれたかのように、宙で止まってしまったのである。
(手を伸ばして、なんとする?)
 壁は大谷の自問であった。抱きしめてでもやるつもりか。それとも肩を抱いて一緒に泣いてやるつもりか。
 できるわけがない、と思った。業病は既に大谷の身を深く侵している。下手に触れて膿でも飛んだら、今度は三成が病を得かねない。家康がこうなった今、豊臣最後の重臣となるであろう自分たちが揃って病の身では笑い話にもなるまい。
(……難儀な身よ)
 包帯に巻かれた己の手を、大谷はしげしげと見つめた。人に見せられぬ面相になったことも、脚が萎えて馬にも乗れなくなったことも、決して不自由とは思わぬようにしてきたつもりだし、それを理由に遅れを取らぬようにと妖しの技も身に着けてきた。なのに今、その病が三成に手を伸ばすことを躊躇わせるのである。
 その間も三成は泣き続けていた。
「私のせいだ……私が秀吉様のお側を離れなければ……いや、もっと早くに敵を殲滅して本陣に戻っていれば……!」
 私のせいだ。私が死なせた。私が秀吉様を殺してしまった。何度もそう繰り返しては、三成は己の髪を掻き毟る。爪が皮膚を剥がしたのだろう。銀色の髪の中に一瞬赤いものが浮かび、雨に流されてすぐに消えた。だがその痛みすら感じないのか、三成は髪を掻き毟るのをやめようとしない。
(ああ、これはいかん。本当に狂ってしまう)
 自分を責めて、なじって、苦しめて、その果てに少しずつこの男は狂っていくだろう。これはそういう類の苦しみのように思う。一思いに狂ってしまって、己がどこの誰かも思い出せなくなった方がまだ楽だろうに、それすらも許さない苦しみだ。
「……憐れな男よな」
 思わず、そう漏れた。それでようやく大谷の存在に気付いたらしく、三成の嗚咽が吸い込まれるように止まる。
「……刑部か……良いところに来たな」
 しかし、それで狂気と苦しみまでもが止まったわけではない。三成は腰から自分の刀を外し、大谷に投げて寄越した。
「介錯しろ。私は腹を切る」
「なぜぬしが腹を切る?」
「私が遅れたために秀吉様は死んだのだ。死んで詫びねばならぬ」
 どうやら本気であるらしい。答えを待たず鎧の掛け金を外し始める三成を見ても、大谷はさほど驚かなかった。こうなることを予測していたと言っても良い。
(いっそ死なせてやるべきか)
 むしろそう思いすらしていたのだ。じわりじわりと狂うよりは、まだその方が良いように思う。秀吉を守れなかったことを悔いての切腹となれば、死んだ後の体面も守れよう。
(あるいは我が殺してやる、という手もあるやもしれぬな)
 後はその罪を家康に擦り付けてやれば良い。二人分の弔い合戦ということで軍の士気も上がるだろうし、秀吉を護って倒れたということになれば三成の名も上がるはずだ。
(……それが上策かもしれぬ)
 幸いなことに、家康も大谷も刀を使わない。それに三成と大谷の仲は家中でも有名だ。親友を縊り殺しただなどと疑う者は誰もいないだろう。
(せめて竹中様が生きておられれば、違う手もあったやも知れぬが)
 数ヶ月前、長い病の果てに斃れた軍師のことを、大谷は思わずにはいられなかった。三成がそれまで以上に秀吉に心酔するようになったのは、同じく慕っていた半兵衛が死んでからのことだ。それまで二人に捧げられていた崇拝の念が、ひとつの的に絞られてしまったのである。もし今も半兵衛が存命であれば、三成がここまで狂乱することもなかっただろう。
 しかしその半兵衛はもういない。秀吉は倒れ、家康も去った。三成の元に残ったのは大谷だけだ。三成を救えるとすれば己以外に誰もいない。
 だというのに、その自分ができることとは介錯だけなのか。そう思うと大谷であっても気が滅入る。
(しかし、我には他に何もしてやれぬ)
 そう思った時のことであった。
 半兵衛の涼やかな美貌が、なぜだか急に思い出された。いつだったか、今と同じ篠突く雨の中、半兵衛の居室で話をした時の記憶だ。珍しく三成は――佐吉はそこにおらず、竹中様は「二人でお食べ」と枇杷の籠を差し出して……それから何を話した?

『お止めよ紀之介。それは楽な生き方ではないよ』

 そうだ。あの方はお止め、と言ったのだ。
 我にはたった一人がいれば良い。それ以上は望まぬ。他がどうであろうと構わぬ。それをお止めと諭されたのだ。
 だが強情にも考えを改めようとしなかった我に、あの方はこうも言われた。

『佐吉がいつも笑っていられるように、強くおなり。そうすれば、きっと君も笑っていられるから』

(それがこのことか……!!)
 かつての疑問が、やっと解けた瞬間だった。
(苦しいとは……このことか……ッ!)
 佐吉がいればいい。佐吉だけが己の傍にいればいい。少年の頃は無邪気にそう考えていた。それだけで世界は穏やかであると信じていた。
 だがそうではなかったのだ。その穏やかさは佐吉が、三成が穏やかでいなければ成り立たない。三成が泣けば大谷の世界も泣く。三成が狂えば大谷の世界も狂う。
 しかし何よりも彼を苦しめるのは、三成を泣き狂わせるその悲しみの前に、大谷がまるで無力なことであった。

『強くおなり、紀之介。強くなって、佐吉を支えておやり。全ての苦しみから佐吉を守っておやり。君はそうするしかない道を選んでしまったのだから』

(我は何をしていた……竹中様はあの時既に、そう仰っていたではないか……!)
作品名:「我は何もしてやれぬ」 作家名:からこ