つくりものの温度
「僕がこれからすること、君がこれから目にすることは、全部、現実じゃない」
彼の薄いくちびるが、ゆっくりと動いた。まるで、時間が間延びしたみたいだった。声が、天から降ってきたみたいに。
「でも、現実じゃない。でも、現実だ」
彼が矛盾を口にする。現実じゃない、現実。つくりものが、現実になる。境目は、どこにあるの。
「な、に、を」
「僕が君にふれた時から、君は現実から剥離されて、別の世界へ迷いこんだ」
低い、声が耳の奥へとすべりこみ、ねっとりと、こもった。耳の奥をくすぐる感覚。
「―――電脳コイルということばを、知っているかい?」
そこで彼は、ことばを切って、ぼくを窺った。ぼくの反応を、注意深く観察していた。つくりものみたいな、切れ長の目がそこにあった。イリーガル、ということばが浮かんだ。
「僕は君に、一度、そう訊いたことがある。君は、知らなかった。そうさ、ほとんどの人間がコイル現象を知らない。それは、隠されている。隠したい誰かに、よってね」
ぎりぎりと、容赦なく、彼は手を握る。
「でも、もう君は知っている」
「なに」
ぼくが訊くと、彼は、に、と笑った。
「これが、コイル現象だ。今、君が体験をしていること」
「…なんで」
ぼくはぞっとした。足下が、ぐらぐらと歪んでいる心地がした。恐怖が喉元にこみあげたのに、叫ぶことはできない。
「選ばれた、子供にしかできない」
彼が、何を言っているのか、わからない。なのに、それは、呪いのように、ぼくのこころに刻まれていく。
「君は、僕がイリーガルじゃないかと言ったが、違う。ここが、普段の世界こそが君にとっては、異質な空間だ」
「なんで――」
声の震えを止められなかった。男は、そんなぼくを嘲笑うように、目を細めた。
「何故なら、君が、この世界を望んでいない」
「ぼくは――」
「君は、夕暮れの交差点に佇んでいた。虚ろな目をしてね。僕は、そういう子供を知っている」
彼はそっと声をひそめてつぶやいた。
「葦原カンナ」
その名前は、あまりにも無機質に響いた。例えば、ぼくの周りのひとびとが、その名前を呼ぶ時、泣くように感情が揺らめくのに、それがなかった。
まったくの他人だから? でもそれだけじゃない、と感じた。無機質さは、冷たい苛立ちによく似ていた。
「君は葦原カンナに会いたかったわけじゃないんだろう」