つくりものの温度
彼の指がぼくのくちびるにふれる。頬についたクリームをなでさすりやがてぼくのくちびるを割って、中に入ってきた。舌の上にクリームがこすられて、淡くとけた。味なんかしない筈なのに、甘い味が口のなかにひろがる。甘ったるい、味。これはほんとうにつくりものの感覚なんだろうか。現実じゃないか。ぼくは、つくりものの味とともに唾をのみこむ。
つくりものを受け入れてしまった。つくりものがぼくの一部になる。
――行きはよいよい、帰りはこわい。
もう、戻れない。そうカンナが、ここから出られないのなら、ぼくが。
「カ、ン、ナ――」
彼が微笑む。彼の姿が歪む。ぼくの、後ろから声が聞こえる。
「ケンイチ」
はかない呼び声。カンナの声をぼくは忘れていない。ぼくは振り返れない。
ごめん、ごめん、ごめん。
「けんいち」
カンナの声。ぼくはカンナの悲しみを消してあげたい。
ぼくは呼吸をする。そして、ゆっくりと振り返る。
カンナが悲しい顔をして微笑む。ぼくは、ほっとする。くちびるが動く。声は聞き取れない。カンナが、ゆがむ。ぼくは必死に腕を伸ばす。わずかに指先に感じた。温度だった。でもこれは、つくりもの、だ。
(わたしはもう生きてないもの)
カンナの声がはっきりときこえた。
ほんものじゃない。つくりもの、だ。つくりもの…つくりものの、温度。
でもぼくは、つくりものでも、いいのに。
幻がまぼろしのままで、途切れた。まるで電源を切られたテレビのように。
「失敗、だな」
彼が軽く舌打ちする。ぼくは彼の足下にうずくまって、喪失感にふるえた。まるで冬のように、からだがぶるぶると震えた。
今、手にふれようとしたカンナはつくりもの、だった。つくりものから、ほんものに、してあげられなかった。
「向こうが拒絶してきたな。安定していない。阻害要素があったか」
彼はぶつぶつとつぶやいた。その半分もぼくにはただ呪文のようにしか紀子エア買った。
「……カンナ」
ぼくは、藁にでもすがるように、彼にしがみついた。彼は、ようやくぼくを思い出したようで、しゃがんでぼくと視線を合わせた。
「ケンイチ君」
彼が、ぼくの耳元でささやく。低くてざらざらした声。吐息は温いのに、それはまるで、つくりものの温度だった。
「だいじょうぶだ、次はきっとうまく行く」