つくりものの温度
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ヤサコと別れて、薄闇の中、あの交差点にたたずんだ。彼と逢ってしまうと思ったのに、ぼくはどうしてもここに足が向いてしまっている。彼の姿がないのにがっかりして、でも安堵して、交差点を渡ろうとしたとき、そっと背中に、声を掛けられた。驚いて振り向いた。
「また、来たんだ」
口元は確かに笑っているのに、目は笑っていなかった。眼鏡の奥の鋭い目は、彼をまるで偽物みたいに感じさせるのだ。これは偽物のにんげんだ。きっと、メガネを外したら見えなくなってしまう。
「原川研一君」
ぼくは息をのんで、彼を見上げた。長身で、ぼくよりもずっと背の高い。高い所から、目をすっとほそめて、ぼくを、注意深く観察しているみたいだった。冷たい興味と、他の何か。ぼくは生け贄にだされた生き物のような気分になる。古代のどこかの帝国のように腹を割かれて、祭壇に置かれるようだ。
目を合わせることは怖かった。見透かすような目だった。視線が合えば、絡め取られてしまう。
はじめて会った時、ぼくが心の底に必死に隠していたものを、確実に言い当てられたのがいけなかった。それから、ぼくは、彼を苦手だとかんじていた。彼の口が何を語るのか、怖かった。でも、彼は何かを知っている。イリーガルに、ミチコさんに、そしてカンナにたどりつく、なにかを。
「ぼくは、ただ、事故現場を見に来ているだけですから」
「そう?」
彼は声に出さずに、肩だけを揺らせて、笑った。歪んだ表情に見えた。得たいの知れない。なぜだか、ぞっとした。正体のわからないものへの、おびえかもしれない。あるいは、ぼくは知っていた。彼は、なにかに似ている。
つくりものの、何か。
「ダメだよ、道路に飛び出しちゃ」
「もう、しません」
「そうかな、今にも」
彼のことばが続く前に、「違う」と否定した。自分でも、声に力がないことに気づいた。
時折、この時間、車の走る向こうに、うっすらと影が見えた気がしていた。カンナが亡くなった次の日、ぼくはそれを見て倒れたのだ。
あれは、ぼくへと手招きしていた。その影を期待して、ここにきた。見えなくとも、耳の奥で、けんいちと呼ぶ声が、聞こえる気がするのだ。ただの幻聴かもしれない。でも、ぼくにはそれしか寄る辺がない。