立石良則という男
近所の上級生に妾腹の子と殴られ、顔中を痣だらけにした坊ちゃんがこっそり蔵で顔を洗っているのを見つけた。坊ちゃんは決まりの悪そうな顔をしただけでぷいっと背を向けてしまわれたけれど、蔵のかすかな光の中で見える、薄く筋肉の付き始めた背中に、わたしはかつての息子の姿を見た。
そしていつになく馴れ馴れしく坊ちゃんの介抱をする私を坊ちゃんは嫌がりもせずにされるがままとなったままでいて、私は氷のように冷えた井戸水を汲んできては泥だらけの血の滲む顔を拭いてやり、坊ちゃんの体を清めてやった。
そのうちに、ふと坊ちゃんでも女中でもないような気持ちになった。
もう乳も出ぬはずの乳房がじくじくと疼いた。失った子供を思って乳房がパンパンに張り詰めた。・・・・子供が恋しい。
そのまま私は坊ちゃんを、坊ちゃんは私を乱暴に抱きとめて、蔵の藁の上へと雪崩れ込んだ。
「坊ちゃん、もうこんな家は捨てておしまいになって、坊ちゃんは兵学校へ進まれるが良いのよ」
口から飛び出したうっとりとした言葉に自分でも驚いたが坊ちゃんはもっと驚いたらしい。
ぎょっとした目で、私をしばらく凝視していた。
そして、あの坊ちゃんは、いえ、あの方は本当に家を出られて兵学校へ進まれ、そして立派な軍人さんになったと聞く。一度も家に帰っては来られぬけれど、それが一番良いことのように私には思われる。新しい奥様・・・いや、女中あがりの女は家を傾け出した。世情の流れに聡い若い子たちは家を出始め、昔からの立石のちっぽけな権力を信仰する老人ばかりが残っている。それでも良い。好きにすれば良いのだ。滅びていくといい。そうすれば、きっとさっぱりするだろう。
夫と私の間で眠る子供を抱きしめて、私は闇の中で微笑んだ。誰にも似ていない、利発な子。
――――――嗚呼、なんて美しい子供。