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立石良則という男

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「お前のところに、娘がいるらしいじゃないか」

ふいに堀田さんが呟いた言葉に一瞬何のことだか思い出せなかったが、ようやく思い出して曖昧に頷いた。娘、といえば娘なのだろう。どこからそんな話を聞きつけてきたんですか?と皮肉るように笑いながら冷めた出し巻きを食べる。滋養になる、と堀田さんが好んで注文させるものだ。竹箸でその柔らかな目に鮮やかな黄色を割ってやれば中に入れられた刻んだ切り干し大根が顔を出す。大根おろしを一山乗せて口に運んでその子供じみた味を噛み締めながら、うちにいるという“娘”のことを思い出そうとしてみたが何一つとして思い出せない。

アレはどういう顔立ちをしていただろうか。何を好んだだろうか。いや、そもそもその“娘”の顔すら見た事がなかったな、と思い出し架空の娘の何を思い出そうとしていたのか、とその愚かさに苦笑しながらその旨を伝えれば堀田さんが咎めるように眉を顰める。


「遠縁の娘らしいのですが、空襲で親を亡くしたとかで親類中を盥回しにされた最後に俺にお鉢が回ってきたんですよ。どこも“産めや増やせ”やで餓鬼ばかりぼこぼこいても、そう食い扶持があるでもない。どこにも持て余されたのでしょう。うちなら少佐地位の金はある。常々家を任せている下女に引き取りに行かし、空き部屋を与えて月々入用の金を下ろさせ、下女に世話をさせてそれっきりです」
「それじゃ寂しいだろう。頼れる親類はお前だけなんだから」
「いや、返って気楽でいられるでしょう」


堀田さんは杯を手に持ったまま苦いものでも食べたような顔で眉を寄せ、その眉間にくっきりとした皺が寄り、何かを考え込むように押し黙る。堀田さんがこういう状態になってしまえばもう何を言っても曖昧な返事しか貰えぬことは分かっていたので、俺は俺で勝手に酒をやっては肴に箸を伸ばす。
しばらくむっつりと押し黙っていた堀田さんが、ぼそりと漏らした言葉に目を細める。

「“アレ”が生きていればうちで引き取ってもよかったが・・・」

頷いた堀田さんはしばらく押し黙ってから手に持ったまま一口もつけずにいた杯をぐいっと飲み干して、曖昧に頷く。



――――――――――どん亀(潜水艦)乗りの堀田少佐といえば、えらく細君を大切にしてらっしゃるようだな



下士官たちのそんな声は俺の耳にまで届いていた。
潜水艦乗りは被弾でもした場合の生還率が陸軍や船とは桁が違う。いや、深海から這い上がれるわけもない。それゆえ潜水艦に配属されれば特別手当やら食料の配給がある。若い士官らはそれを持って花町へ繰り出したり娘を口説いたりする道具に使ったり、親元に全て送ってやったりするらしいが、堀田さんはそれを全部きっちりと細君へ届けてしまうと有名だ。特別に出た菓子類などもハンカチに包んで持ち帰ってしまうというのだから呆れる程律儀な人だ。


そんな律儀な男に丁寧に愛される女の気持ちというのは分からないが、それでもそう悪いものではないだろう、と俺には関係ないと思いながら聞いていたのを思い出す。しかし、その細君が空襲であっさり死んでしまったという話を風の噂で聞いた時はさすがの俺も何か哀れな気になった。堀田さんはそんな事は誰にもいわずに葬式だけ出てしまうと家を引き払って一人で小さな家に移り住んだというのは聞いている。確か子供もなかったはずだ。






「その子はどうしているんだ?家に置いているだけで、何も手続きもしてやっていないのか?」
「まあこれ以上どこかへやられるのも不憫なものだから、一応養子として籍を入れておきましたよ。俺に何かあっても俺には妻も子もありませんからね。駆逐艦の艦長で少佐、ここまでくれば戦死でもすれば軍からも結構な金が出ますから、それをその親なしの娘にくれてやる位してやっても良いと思いましたからね」

内縁の妻じゃ水交社は金は払ってくれませんよ、と片頬で笑って酒を煽る俺に堀田さんは「そこまでしたのなら良い」と頷いた。どうやら一応の及第点はいただけたらしい。それから関係ない話を交わしながら酒を煽り、そうして別れた。








家に帰ったのはたまたまだった。
長い演習も終わり、艦の整備や陸での作戦会議などなどが重なり、そうして家へ帰り着いた。夜にはまた出ていき近頃通っている女のところにでも行こうかと思っていたところで、老いた女中に連れられてやってきた娘に眉を寄せる。娘は慌しく俺の帰還への労わりの言葉から自分を引き取った感謝などをたどたどしく早口に述べ、後は言い切ったとばかりに頭を下げる。ひどく緊張しているらしい娘の細く白いうなじが和装の間から見え、そこにぽっつりと小さく黒々とした黒子があるのを見下ろし、そうか、と一言言って家に上がり女中に洗濯から酒の用意を言いつけた。



久しぶりに自分の私室に入れば、そこが掃除されている事に気がつく。
軍の機密に関わるものは金庫に入れてあるが、しかし他人に私物を触られる事を嫌う俺は、換気だけしてくれと言いつけてあった筈だが、文机の上の紙類がまとめられ、そこに見覚えのない文鎮が置かれている。それを手に取ってしげしげと眺める。川原で拾ってきたような女の拳程度の大きさの丸い石に、色鮮やかな布が張られている。血が乾いていくような赤茶色の布に金糸で彩られた牡丹が縫われている。女中だろうか、と考えてふとあの娘を思い出した。余計な事を、と舌打ちして、軍から着てきた第一種を脱ぎ捨て、簡単な着流しに着替える。これからこうして生活を侵略されるのならば、なんて面倒な事だ、と腹の内でまた舌打ちをする。望んで女を家に入れる奴の気が知れない。軽く酒を煽って女を買いに行こうと思い顔を出せば、すっかり飯の仕度が整えられている事に眉を寄せる。



「久しぶりのお帰りですから、ゆっくりなさってください」
土間から顔を覗かせた女中の後ろでまたあの娘が緊張した面持ちでこちらを見ている。
文字通りお膳立てされたという事だ。戸籍上父親となってしまった事を思い出し、やはり面倒な事をしたと腹の内でまた舌打ちして席に着く。まだそう腹は減っていなかったが出されたものは食う事を習慣付けられた身体が黙って箸を取る。娘は女中らの傍をうろちょろとしていたが、女中に追いやられるように俺の隣に腰を下ろす。


「あ、あの、お酌をさせてください」
「俺は好きなように手酌で飲む」


花町の素人娘にするような、女たちの言葉でいう“意地悪”をしてやり、にやりと笑って杯越しに娘を見れば、娘は戸惑ったように自分の手元やら土間の女中へ目をやっておろおろとする。気の弱い小娘だ、と鼻で笑えば小娘はしゅんとしたように正座した膝の上で手を握り締める。

「俺の書斎に文鎮を置いたのはお前か?」
娘はぱぁっと顔を上げて、はい、と蚊のなくような声で頷き、白い首筋を赤くした。器量は悪くないな、と酒を飲みながらそれを眺め、小娘がその先の言葉を何か欲しがっているのを知りながら捨て置き、焼き茄子を口に運ぶ。じゅわっと茄子の汁が溶け出し醤油を混ざる。この女中のとりえは精々料理の腕と寡黙さ位だと思っていたが、書斎に小娘を立ち入らせるのを許すほどのお人よしだった事に苛立つ。しかし、小娘はそんな事は知らぬだろう。


「おい」
「はい」
作品名:立石良則という男 作家名:山田