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立石良則という男

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「俺の書斎の第二種・・・白い軍服のポケットに入っている布袋を取ってこい」


小娘は、はい、と返事したかと思うと急いで立ち上がり、まるで上級生に厄介ごとを押し付けられた兵学校の生徒のように、あるいはネズミのように慌しく部屋を出ていったかと思えばすぐに息を切らして戻ってきて、布袋を俺に献上でもするように大仰に差出し、俺はそれを受け取り、厚手のハンカチごと娘に手渡した。手渡された娘は俺とそのハンカチとを見比べて困惑する。


「お前に土産だ」


娘は急いでハンカチを開き、中に入っていた桃色の珊瑚細工の簪に目を見開いて驚く。
フィリピンで手に入れたものだった。珊瑚細工で女たちは特別な折に着飾るらしいが、内地の女にとっても珍しい品だろうから、近頃付き合いのある女にでもやろうとふと手に入れたものだが気が変わりなんとなしに小娘にくれてやったが、しかし小娘はその程度のことで、俺の気まぐれでその手にあるというだけの品を手に持ったまま、そのままぼろぼろと泣き始めた。髪を後ろにひっつめただけの色気のない黒髪をちらりと見て俺は口角を持ち上げて笑い、女を抱き寄せ、その手から簪を奪って髪に挿してやれば、泣いた小娘の顔がその珊瑚のように赤くなる事に満足した。


いい暇つぶしが転がり込んだ。










それから堀田さんに倣うではないが、出先で珍しいものが手に入れば小娘に送ってやった。
帝都で女たちがこぞって買うという化粧水というものやら、白粉、帯止め、それから時にフィリピンやマニラで手に入れた異国の品を送りつけてやれば、その都度緊張した筆の字で礼の文が送られてきたがそれは読みもせずに捨てていた。しかし、あの老いた女中からの文が送られてきた時はさすがに手紙を開封した。金の工面だろうかなにかだと思ったからだ。しかしそうではなかった。


―――――娘を女にしてはいけない。貴方はあの子の父親となったのですから、と。


そんな内容の事を仄めかす文面に俺は笑った。誰かに見せて回りたいような滑稽な内容だったが、俺はその女中を首にした。すぐに小娘から考え直してくれという懇願の手紙が送られてきたがそれも無視した。女中の言葉が不愉快だったわけではない。ただ私生活に口を出すような女中など俺に必要なかった。









半年振りに家へ帰り着けば、岩のように口のかたい無愛想な新しい女中と、小娘が出迎えた。

小娘は幾分娘らしく成長し、やせ細った子供のようだった身体からいくらかふっくらとした器量の良い娘になっていた。年を聞けば今年で18になるという。女を酒の場に呼び、今度は酌をさせていれば女がぽろぽろと泣きながら、何故あの女中を首にしたのか、と恨み言を言った。出過ぎたからだ、と答えてそれ以上を聞きたがる娘を無視して、杯を進める。それから新しい着物や帯、砂糖菓子に紅をやっても女の表情はしょげかえったまま、18になるというのにまるで子供のような弱さに俺は面倒になる。しかしふいに、その肌がまっさらの、俺の送った白粉も何もつけぬ肌である事に気づいてその小さな顎を掴んで顔を見る。小娘は戸惑ったように唇をかたく結んだまま、脅えたように俺を見上げる。


「お前は白粉ひとつつけられないのか?」


空いた手で紅の蓋を開け、女がやるように薬指に少し紅を塗りつけ、それを小娘の唇へと走らせた。
顎をつかまれたまま逃れられない小娘は驚いたように硬直していたが、その化粧気のない顔に途端に映えた赤が不釣合いに色気があった。小娘の、まだ小娘然とした無知さの中に無理やり与えられた女の色香。それを目茶目茶にしてしまいたいような衝動を覚え、そのまま小娘を押し倒した。




それから小娘は俺の女になった。






しばらくそんな倒錯した関係が続いた。
俺は小娘を小娘と呼ばず、ふみ、と名前で呼び、ふみは俺を良則さんと呼んだ。
ふみは迷ったのだろう。こうなっては俺はもう“養父”でもない。しかし“夫”でもない。その過ちの延長線が名前で呼ぶ事へと落ち着いていったのだろう。好きにすれば良いと捨て置くうちに、ふみは女になっていく。妻でもない。養女でもない。小娘でもない。しかし、完璧に女となったわけでもない。まだ小娘のようにあえかな面立ちの娘を抱いているのは流石に妙な気分になった。

ふみが俺の背中に額を寄せて、時折泣いている事も、俺からの手紙の返しを待っている事も知っていた。ふみが悩めば悩むほど愛しいと思ったが、抱いている間、その子供のような鎖骨に手を置き、戦争孤児の養女に手を出す、という落ちぶれた自分に嫌気が差すのも事実だった。ふみが小娘から脱皮しようとしている。その一番美しい瞬間を無理やりもいだのは俺だ。
蝉が羽化する、その殻をじれったいと破いてしまうような残酷な事をした、その事実は変わらない。


それでも俺はふみの項の黒子に唇を寄せながら、人並みではないだろうが、それでも腕の中の弱い娘を愛しいと思った。


しかし何を焦っているかといえば堀田さんがこの事に気づいているような様子であることだろう。
俺が養女に土産の品を、それも着物や帯び留めや簪や紅を送るというのを聞きつけたらしい、堀田さんはわざわざ陸に上がった俺の所にまで顔を出して、俺を酒に誘った。普段ふらりと行くような大衆居酒屋ではなく、個室の料亭だった事に、おや、と思ったが、堀田さんの口からふみの事が出たときに堀田さんの言いたい事は悟った。


――――――――――――その娘も年頃なのだろうから、養父がそう女の品を送るのはどうか、と。


さあ、生憎子を持った事がなければ俺も妾腹の子、世間様の父親と娘の事は知りませんからね、と言ってしまえば堀田さんはもう何も言えないようだったが、その沈黙は俺のしている事を知っているようだった。そしてそろそろ潮時だという気もしていた。そうだ。こんな関係があと5年も10年も続くはずはない。


ふみをなんとかしてやらなくてはならない。










「お前バー(童貞)だったのか!」


どっと声が上がったかと思えばげらげらと下士官たちの笑い声が響き、俺と廊下を歩いていた参謀がぎょっとして怒鳴り込んだ。ピタッと沈黙が降りた中に顔を覗かせれば、下士官達が顔を青ざめて直立不動の体勢を取っている。参謀が俺にバッターを渡して頷くが、それを手に持ったままぐるりと下士官らの顔を眺める。下士官らはもう尻をひっぱたかれるものだと覚悟したのか歯を噛み締めている。可愛いやつらだ。


「それで、誰がバーなんだ?」
ごくりと息を飲む沈黙が緊張したように空気に震え、周りの下士官らが横目でひとりの男を示す。胸に米田と書かれた男だ。米田は顔面蒼白にして歯を噛み締め、自分です、と名乗りでる。その米田の顎をバッターでぐいっと上げさせ、上から下まで観察するように眺める。米田は規律を乱すような男ではない。そう臆病でも卑怯でもない。したたかでない事がとりえだが、田舎の次男坊といった甘さと誠実さがある。海軍の男らしく、目鼻立ちも整い男ぶりもまあ悪くはない。
俺はにやりと笑って米田の胸先をバッターでぽんぽんと叩く。


「米田、お前女もいないのか?」
「い、いないであります」
作品名:立石良則という男 作家名:山田