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立石良則という男

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養父



ここは最後になるだろうか、と心細い覚悟をしながら駅に立っていた。


一体何度サイコロを振ったのか、一緒に暮らしていた母や弟たちが亡くなり、それまで親しい人だと思っていた親戚の家をいくつもいくつも盥回しにされていき、最後に行き着いたのは帝都に家があるという、顔も見た事のない遠縁の軍人さんの家だという。まだ若い独身の、しかし少佐さんという雲の上の人だという事は聞いていたけれど、わたしの頭の中にある軍人さんというのはとても怖い人ばかりで、わたしは心細くてたまらなかった。女学校で正しい婦人という事を話していた軍人さんはなにかとても怖くて、その前に出るとわたしは上手く言葉も話せなかった。

初めて立ち入る帝都の駅は、国の駅とはまるで比べ物にならない珍しい西洋風の大きな建物で、わたしなんて見たこともないような珍しいものや、戦時中とはいえ美しく着飾った人がいたけれど、これだけ沢山の人がいてもわたしはひとりぼっちなんだ、と思えばさみしい気持ちはじゅんじゅんと溢れて溶け出し、わたしはますます小さくなって簡単な衣類の入った風呂敷包みをぎゅうっと抱き締めているしかなかった。


「ふみさま、ふみさまですね?」


ふいにどこからともなく名前を呼ばれて顔を上げると、人ごみを掻き分けるようにして一人のお婆さんが走ってきた。すぐに迎えの人だと気が着き、たまらなくほっとして走りよって来たおばあさんの手をしっかりと握り締めて、安堵で込み上げる熱をうまく飲み込めないままわたしは何度も何度も頷いた。おばあさんはしっかりと手を握るわたしに少し怪訝そうな顔をしながら、少し呆気にとられたようにわたしを見ていたけれどわたしはようやく迎えの人がきてくれたことに、わたしは忘れられていなかったことに、嬉しくて嬉しくてたまらず、できれば抱きつきたいくらいの気持ちで何度も何度も頷いた。


「はい、はい、わたしがふみです・・・!」
「あ、ああ、そうでしょうとも。町田の奥様から話は聞いていましたが、何分手間取りまして遅くなって申し訳ありませんでした。私が立石様の女中頭をしているタエです」
「はい!ふみです、どうかお世話になります。あの、それでその、おじさま・・・立石さまは・・・」


会ったこともない、それでも親類だとはいう軍人さんをなんと呼べば良いのか分からず、おじさまでは少し図々しいようで、立石さま、と呼ぶ事にしてみたけれど、その立石さまのお姿は見えない。タエさんは顎を引いて唇を結んで首を振り、それが立石さまの不在を意味していた事にわたしは少なからず失望してしまった。どんな人かは分からないけれども、長い間びくびくと脅えるよりは早くに挨拶をしてみたいような気持ちでいたのだから、立石さまがいないということには少なからず拍子抜けしてしまった。

「旦那様は滅多と家に寄り付きませんから」
「どうしてですか?」
「旦那様は国軍少佐さまです。それも海軍のお船の艦長さまなのですから、家に寄り付かないのは当然です」
その程度のことです、と言い切ったタエさんにわたしはほっとしたような、がっかりしたような気持ちになった。


こうなっては最後の親類だという人ですら、わたしは会う事ができない。
怖い人でも良いのだから、やはりお会いできればよかったのに、とさみしさがまた足元から込み上げるようでわたしはそれを追い払うように頷いて、これからお世話になります、と改めて頭を下げた。





初めて乗る輪タクという人力車に乗り込み、通り過ぎていく家々のひとつひとつに何か胸を緊張させながら、そうしてたどり着いた立石さまの家は、帝都の中でもきちんとした家柄の家が立ち並ぶ住宅地の奥にひっそりとあった。トウカエデや背の低い木々がその小さな平屋を囲み、壁にひっそりと西洋朝顔が蔓を撒きつけている。玉砂利の敷かれた玄関先までの小道を一歩一歩踏みしめて、これから住むことになるという家の敷居をまたぐ。


ああ、いつかまた追い出されることになっても、嫌いになんてなられないように、嫌いじゃない理由で追い出されるように勤めよう。








それからしばらく三ヶ月も過ぎた頃、ようやくタエさんが立石さまが一時帰宅されるという事を教えてくれた。

わたしは飛び上がって喜んで、タエさんの手を取ってダンスまで踊り出したいような気持ちになって、呆れたタエさんに雑巾を一枚渡されて掃除の手伝いを頼まれた。普段からタエさんきっちりと綺麗に掃除をするのを手伝っていたのだから、それはきっと頭を冷やして来いという事だとは分かったけれど、それでもうきうきと飛び上がりたい気持ちに変わりはなくて、はぁい、と声を上げて家中を掃除してまわった。それから最後に立石さまのお部屋も掃除しなくては、とそっとその部屋に立ち入る。普段はタエさんが窓の開け閉めをして、布団を日干しする程度のことしかしていないという部屋は、まだ見ぬ立石さまの輪郭を切り取ってそっと残しておいたような、不思議な感覚がしてわたしは少し照れてしまった。そういえば、男の人の部屋に入るというのも初めてのこと。


8畳の部屋、西洋風の洒落た出窓のあるお部屋は、前にいたお家のような飾り気も賑やかさもなかったけれど、ゆっくりと落ち着いた時間が流れているようで、わたしは少しどぎまぎとする。土壁の部屋。壁の本棚一杯に何か難しそうな本が並んでいる。駄目な事とは知りつつも一冊手に取って見れば、帝國海軍録という難しそうな本から、お船の事、気象の事などの書かれた本が並んでいた。それから文机の上には羊皮紙や肌触りの良い質の高い紙が雑多に置かれていて、わたしはそれを種類別にまとめて机の上に置いておいたけれど、すると今度は収まりが悪いような気がして、なにか文鎮のひとつでもあれば、と思ったけれども部屋に無駄なものなどひとつもなかった。


そうだわ・・・、作ってさしあげれば良いのよ。


わたしはすぐにタエさんに断りひとつ入れて、川原へ行って形の良い石を探してまわった。ようやくツルツルとした丸くて形の良い石を見つけ、慌てて家に帰り戻って、自分の宝箱入れにしていた西洋菓子の空箱に詰めていた端切れから一等綺麗なものをとりだして、それで石を飾るように大きさを整えて、糊で貼り付けた。するともう立派に綺麗な文鎮になったようで、わたしは思わず笑みが漏れる。立石さまは喜んでくださるだろうか。そもそも気づいてくださるだろうか。


ああ、少しだけでも気に入ってくだされば、それでもうお腹いっぱい嬉しいのだけれど・・・。







次の日の夕暮れになって、立石さまが帰宅された。

玄関先で、初めて見た立石さまに、わたしは呆気にとられてしまう。
まだお若いとは聞いていたけれど、自分への自信というものが溢れ出るような雰囲気。そして真っ直ぐに、射抜くような、鋭いわけではないけれど嘘の申し立てなどできないような光を持った目に、わたしは息を呑んでしまう。なんだかとんでもない所へ来てしまった、とその目を見た瞬間に思い、わたしはもう自分が何を話しているのかも分からないでいたけれど、立石さまはそんなわたしに興味も関心もないように部屋に上がりこんで行ってしまった。
作品名:立石良則という男 作家名:山田