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もうひとつの日常

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「艦長不在の禁断症状ですね」と笑ったのもたった三日。四日目からは様子がおかしい。手を、もみもみと動かす。え、何あの動き?と全員がぎょっとするのも気づかず、てきぱきと指示をしながら、右手だけが何かをこねくり回すようにもみもみと動く。そんなこと、今までなかった。だが隙あらば山中の右手がもみもみと何かを握るように動く。気持ち悪いことこの上ない。そのうち一週間が過ぎた後、ついにはそれに左手まで加わって両手でもみもみと何かを揉む。何を揉んでいるんだろうか、という推測は恐ろしくて誰もできない。


「絶っ対、艦長不在の禁断症状ですよね、中毒、相当やばいんじゃないですか?俺たちも空気感染するかも・・・」
なーんちゃって、と笑った内海に、クルー全員まったく笑えない気がした。・・・・・・ありうる。
そんなクルーの心配もよそに、今日もやっぱり山中の手がもみもみと動くのだった。







「よぉし、今日からシャリを握ってよし」

ぱぁっと顔を輝かした山中は「ありがとうございます!」と両津にしっかりと頭を下げて礼を言う。両津は「うむ」とまるで寿司の大先生か何かのように偉そうに頷き、山中の肩をぽんぽんと叩いてやる。深夜2時。そんな二人の前、テーブルの上にずらりと並んだのは、寿司のシャリのような形に握りこまれた“おから”だった。



両津から初めて寿司職人としてのレクチャーを受けた初日、山中の目の前にどん!と置かれたのは大きな樽一杯のおから。両津はふぅと額の汗をぐいっと手ぬぐいで握って「いやぁ、こんだけ奪ってくんのは大変だったぞ。豆腐屋の親父めケチりやがって」とぶつくさと文句を言ったが山中には状況が分からない。自分は寿司の握り方を教えてもらいに来たのであって、豆腐職人になりに着たのではないと困惑していた。しかしそんな山中の困惑などお見通しの両津は、途端に表情を厳しくして腕を組み、ついこの間までは海自の幹部だなんて扱っていた山中相手に威張りかえし、怒鳴り声をあげた。

「馬鹿野朗め!!いきなりシャリを握れると思うな!んな事したら米がもったいねぇだろ!まずはこのおからをキチンと握れるようになってから米に触らせてやる!!いいか!?わしはもうアンタを人間扱いしない!見習いの、ど素人の、無知なうちの従業員、いや下僕として扱うからな!!」

ギンッと表情と変えた両津に山中は思わずしっかりと頷いた。うっかり敬礼までしたくなったが、「はい!」としっかりと返事をしてそれだけは飲み込んだ。いかん。こうも正面切って威張られてしまうと防大時代に染み付いた根性がむくむくと蘇るような気分だ。だがその予感は正しかった。

一時間、いや、30分としないうちに二人のヒエラルキーは完璧に、はっきりと分かれた。



「ばっきゃろぉ!!んなでかいシャリでネタが包めるかッ!!てめぇの手の大きさに合わせて客の口は開いちゃくれねぇんだぞ!!」
「だからなんでおからをンなに丸めちまんだ!馬鹿野朗ッ!!パンこねてるんじゃねぇんだぞ!!」
「お前いい加減にしろォッ!!ひとつ握るのにんな時間かけちまえば、その分シャリが人肌に温まっちまうだろうが!」
「お前米粒を潰す気かッ!!?んな力入れて握ったらせっかく炊いた銀シャリが濁るだろうが!!」



馬鹿!ボケ!クズ!しんじまえ!!とまで怒鳴られ、時折ハリセンが容赦なく飛んでくる。
教えるとなると両津は真剣だ。それに凝り性だ。教えられる山中も山中で頑固で凝り性。それに器用ときている。これはちっとスパルタやってでも厳しく仕込めば、化けるな、と気づいた両津はそうなってはもう容赦はしない。化ける逸材を前に容赦なく罵声を飛ばす。一度やると決めたらやりとおす山中も一心不乱におからを握り続ける。暑苦しい体育会系の、ど器用で、頑固者二人が揃えばもう手がつけられない。


両津の従兄妹、超神田寿司のまといが家の両津の怒鳴り声と、それから聞きなれない男の答える声に厨房を覗いて「うるさいよ!こんな夜中までなにやってんだ!」と叫ぶも二人の耳に届きやしない。それを脇からひょいと覗いた夏春都(ゲバルト)が山中の握る背中を品定めするようにじっと睨み付け、ふん、と頷く。

「まとい、好きにやらせときな。一郎が見つけてきたあの角刈り、ありゃ良い筋だよ」
「でも誰なんだ、あれ?」
「んなもんは知らないよ。さあもう寝た寝た。一郎の好きにさせときな」

と答えてさっさと奥へと引っ込んだ。そんな二人のやり取りに気づくはずもない山中と両津は、結局明け方までおからと格闘し続け、樽一杯あったおからがすっかりなくなってしまった朝5時、仕入れ業者が超神田寿司へと顔を出し、それにようやく朝が来たことを知った山中が慌てて飛び出すように海自に向かおうとしたが、両津に呼びとめられる。艦長に喜んで欲しくて寿司の握りを覚えようとしているが、しかし職務を怠っては本末転倒。遅刻だけはいけないと焦る山中の手に、両津が握らせたのはお手拭で作ったシャリだった。


「いつもコレを握って形を手に馴染ませとけ」
たった一言そういわれただけだが、山中はすぐにしっかりと頷き、海自の制服のスラックスに忍ばせたそれをいつも隙あらば握っていたのだ。






艦長不在。それも海自の方から定期的に行われる特別教官の任。
そうなると海自の方でも特殊任務などを任せることができない事は分かっているし、機密も多く、選ばれたものしかなれない潜水艦のクルーとなれば教育にも力が入る。残留組というか、横須賀に残されたやまなみの連中には重要な仕事はさほど回ってこない。当直でもない限り、山中は勤務時間が終わると念入りに最終チェックをして、完璧に仕事をこなしてからすぐに超神田寿司まで車を飛ばす。そしてまた朝までみっちりとおからと格闘する・・・という日が三日続き、今、ようやく、目の前に現れた酢飯はまさしく銀シャリと形容するにふさわしいほど光り輝いて見えた。


「先生・・・!ようやく・・・ようやく・・・・・・!」
うっ、と深夜と疲労も手伝ってすっかり暑苦しいテンションになる山中にまた暑苦しい両津が大げさに頷く。この「先生」というのも両津が山中に呼ばせているものだが本人達は満足しているようだからそれで良いんだろう。


そしてまた山中の銀シャリとの格闘の日々が始まった。








「両ちゃん、最近随分羽振りが良いみたいだけど、また何か悪い事でもしてるんじゃないかしら」

特別仕様のピンク色の警官服に身を包んだ麗子が心配そうに見つめる先、派出所の両津だ。両津は普段はカップ麺かマリアからの差し入れで済ませる昼飯を、ここ数日、幕の内弁当をがっつりと口に運んでいる。それにどうもプラモデルも増えた様子だし、競馬新聞だって転がっている。どうもまたどこからかお金を集めてきたらしい様子だ。
「悪い事だなんて心外だな、麗子。お前のそうやってすぐに人を疑う癖はどうにかした方がいいぞ」
麗子の顔を見もしないでガツガツと弁当を口に運んでいく両津に、麗子は内心で腕組みをする。


(あやしいわ。絶対誰かに迷惑をかけてるんだから・・・・・・被害が広まる前に釘をささなくっちゃ)
作品名:もうひとつの日常 作家名:山田