もうひとつの日常2
眉を寄せた僕を、アルフレッドはもう見ていなかった。ただ嬉しそうに、子供の僕よりもずっと子供みたいに目を輝かせて、アルフレッドはしっかりとハンドルを握った。
「なんだ、球場じゃないんだ・・・」
「そりゃそうさ!君なんていっつも良い場所で見物してるんだろ?なんてつまらないんだ!そういうの日本じゃなんて言うか知ってる?高みの見物って言うんだってさ!」
良いご身分だって事なんだってさ、と笑ったアルフレッドは大リーグ球場の近くにある公園だった。芝生になっている公園に腰を下ろしたと思ったら、その場にごろんと寝転がって随分と旧式の大きなラジオを取り出した。僕の手のひらの大きさくらいの大きくて見るからに重たそうなラジオ―きっと電池は単一に違いない―のチューナーを嬉しそうにいじりながら、局を選んで目的の局が見つかったのか音量を上げる。
『いよいよワシントン・ナショナルズとフィラデルフィア・フィーリーズの試合が始まります!!!』
アルフレッドはもう僕に関心もないようで、頭の後ろで腕を組んでごろんと寝転んだまま目を閉じてしまう。
ちょっと待ってよ!僕は一体なんのためにここに連れてこられたわけ!?このまま寝てしまうなんて無責任だ、とばかりにアルフレッド、と呼びかけたのに自分の声がなんだか心細げで気まずくなって口を閉じる。アルフレッドは目を開けてくれたけれどまた日の高い空が眩しいのか片目だけでまぶしそうに目を細めて僕を見たと思えば、がばっと起き上がって僕を抱きかかえて、そのまま芝生にごろんと寝転ばせる。あ、アルフレッド、と急なことに怒る僕にアルフレッドは笑ってすませてしまう。
「芝生がちくちくするけど、土がやわらかくて気持ちいいだろ?」
「・・・うん、まあ・・・」
「靴も脱いで目でも閉じてなよ、すぐに眠たくなるからさ!その眠たいうとうとしてるって時が気持ちいんだよ」
「でもそうじゃなくて・・・」
「大丈夫!君が寝こけても置いてったりしないから」
アルフレッドは笑って、もう僕なんか眼中にないように熱心にラジオに耳を傾ける。
どうやらワシントン・ナショナルズが先制らしい。ワシントン・ナショナルズびいきの地元ラジオ局からは勢いよく今シーズンのピッチャーの成績が飛び出していく。
もうどうでもいいや、とリラックスするように芝生に身体をやれば、首筋にちくちくと芝生の青くて、先の尖った草が突き刺さる。シャツの繊維を越して刺さってくるような草がなんなくむずがゆいけれど、アルフレッドにじっとしてれば大丈夫だよ、とくすくすと笑って言われた通りに大人しくしていれば、だんだん芝生が自分の体の形に折れていき、すると今度は芝生の下の土のやわらかさを感じる。少し濡れたような土の匂いがする。空が眩しい。近くを公園を走っていくジョギングをする人の息遣いが通りすぎていき、相変わらず傍からは試合の様子がこと細かく音楽のように放送され、なんだか目を閉じてしまいたいような気持ちになって目を閉じる。すると瞼の裏は真暗な黒色じゃなくて、太陽や空の光を受けて赤いような黄色いような色が浮かんでちかちかと光って、やがてそれが落ち着くと体が日の光でぽかぽかと温まって眠たくなる。呼吸をするのに合わせるように、背中で土がふくふくしたり、しおれていったりして、だんだん体に馴染んでいくと、アルフレッドが言った通りなんだか眠たいような気持ちになっていく。
耳にはっきりと試合の様子が聞こえてきて、眠たいような中で目の前に試合の様子が浮かんでいく
午前中のリトルリーグの試合の疲れも思い出すようで、気がついたら僕はぐっすりと眠っていた。
―――――――変な夢を見た。
ワシントン・ナショナルズの人気投手になっているパパの夢だ。パパは地元の子供達のヒーローで、試合前にスタンドに集まったファンから投げられるボールにサインをしたり、手を握ったり、自分のかぶっていた帽子を投げてやったりする。僕はそのファンの中に混じって、その人が自分のパパだって事を誇らしく思いながら、立っている。
するとアルフレッドが横からひょっこり現れたかと思うと、パパに「あの子にもボールをやってよ!」と叫んで、パパはようやく僕を見て、まっすぐに、その真っ白いボールを投げてくる。
しかしそこで僕に投げられたのはボールじゃなくて水だった!!!
わっと驚いて飛び起きると足元から飛び出したスプリンクラーがギュゥィンンギュウィイインと派手な機械音を立てながら勢いよく回転して大量の水を撒く。慌てて立ち上がろうとしたけれど、濡れた芝生はツルツルとして、スニーカーを滑らせて転んで今度は背中に向かって水が撒き散らされる。だけど僕はまだマシな方だったらしい。隣から「なんだいこれ!!!うわ!ちょ、タンマ!タンマって!!!うぎゃああ!!!」と大騒ぎする声が聞こえる。木の傍で寝ていたらしいアルフレッドは、木にかけるための水の出の太いスプリンクラーに思いっきり狙い撃ちにされたらしく僕よりもぐっしょりと濡れて、そのフライトジャケットがすっかり色を変えてしまっている。首元のファーなんてバスタブに突っ込んだ猫のようにぐっしょりとみっともない。
アルフレッドはこけた四つんばいのぬれねずみの格好のままぽかんとそんな様子を観察する僕と、ラジオを抱えて芝生から公園内の歩道へと逃げ出して、近くで犬の散歩をしていた男の人から「運が悪いな、にいちゃん!弟風邪ひかさねぇようにな!」と声をかけられていた。弟、という言葉にどっと疲れたけれど、なんとなくむず痒いような気がして、僕は唇をもごもごと噛む。
「ああ、なんてこったい!スプリンクラーなら人のいない深夜にやってくれよ!!」
「公園がいつスプリンクラーかけるか知らなかったの?」
「正義のヒーローにだってちょっとミスする位の愛嬌が必要ってことさ」
そういけしゃあしゃと答えたアルフレッドに脇にかかえられたまま、顔を見合わせる。アルフレッドは眼鏡までぐっしょり濡れている。僕だってシャツをびちゃびちゃに濡らしている。なんだかたまらなくくだらなくて馬鹿らしくなって、最高で、僕らは顔を見合わせて声を上げて笑った。
そして、アルフレッドの手の中のラジオが、興奮したようにワシントン・ナショナルズの勝利を叫んだ。
ぐっしょりと濡れたままの僕をベンチに座らせて、公園の近くの観光客向けの店で「I love DC」と書かれた馬鹿みたいなお揃いのTシャツをアルフレッドは買ってきた。どこで着替えてきたのかloveが星条旗柄のハートになったTシャツを得意そうに着込んだアルフレッドが、更に得意そうに僕に同じTシャツを見せてきたときは眩暈がした。
「馬鹿なことは、とことん馬鹿になんないとね!」
「僕、アルフレッドが羨ましいよ・・・」
「世界中の少年はヒーローに憧れるものさ!」