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黄金の鳥かごの中で

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腐乱



奴隷の娘の、金粉を塗った瞼が震えていた。
娘の処女の肌が脅えと緊張としかし興奮という熱を孕んで熱く燃え、女たちの香水や肌の甘い匂いやら高価で貴重な香辛料がたっぷりと使われた料理の刺激的な匂いやら、スルタンや神官たちがペルシャから入ってきたハッシッシを吸う退廃的な匂いが充満した豪奢な室内に頭がくらくらとする。もう何世紀もこうして退廃的な享楽の中でどっぷりと頭の先まで浸かっているようで、もう右も左も分からない。熟しすぎた果実が腐乱手前で官能的でさえあるような薫りを放出させる、その腐乱が永遠のような時間の中で続いていく。奴隷の娘の黒い瞳にはもう何も映っていない。ただスルタンの退屈を僅かばかり紛らわせるために、そのまだ子供じみた身体を身も世もなく振り乱し、あられもない踊りを踊らされ続ける。


――――――――いつまでコレを続けりゃ満足するんだ。


頭がおかしくなる。
こいつは何代目のスルタンだったか?――あぁ、いや、違う。アイツはボスポラス海峡に生きたまま袋詰めにされて捨てられたんだ。それまでこの世界で最も偉大で尊い者であり、宇宙の救い主であった筈の男の最後が頭に焼き付いている。顎を少し動かすだけで蝿を殺すよりも簡単に人間の命を扱った男が、呆気に取られた様子で、泣き出す手前の子供のようなぽっかりとした目をして俺を見ていた。黒く冷たい海に投げ込まれるその最後の最後まで。

―――サディク、お前は私の物であり、私の国だろう、サディク、サディク、サディク・・・



「サディク」
トルコ式の長椅子に身を横たえ、寵愛する女たちを侍らしたスルタンがどろりと濁った老いた目を俺に向ける。
「楽しくはないのか?ほれ、あの娘のなんとはしたない事だ」
声を噛み殺す娘ににたりとした笑みをやれば、寵愛された女たちが声を上げて笑う。するとそれに続くように臣下たちが同じ顔で笑い出す。仮面をつけていてよかった。あまりの滑稽さに笑みを作れない。ああ、駄目だ。首の後ろがチリチリとする。“予感”がする。どろりと白目が黄色く濁った目をした老いた男が、神経症じみた笑い声を上げ、その笑いはいつまでも腐乱の中に響いた。―――――チリチリとする。終わる。終焉が、みえ、る


「サディク」
目を開けると、ハークが寝台にまで勝手に上り俺の顔を覗き込んでいた。
こんな距離に近づかれるほど眠っていた事を思って腹の底で舌打ちする。身体の感覚が崩壊していくのを覚える中、この餓鬼はどんどん大きくなっていきやがる。なんだ、と答えながらその髪に乱暴に手を突っ込んでやれば、不愉快極まりないといった顔で俺の手を振り払う。乱暴な餓鬼だ。うちに来た頃は人間でいうなれば5歳か6歳程度の姿だったというのに、気がつけば13,4の立派に少年の身体になってやがる。俺の中を食い散らかしていくんだろうか。
「なんの用だ?」
「・・・別に。お前が死にそうな顔をしていたから、死ぬのかと思ってその面を見物しに来ただけだ」
「ははっ、そりゃありがたいねぇ」
笑えばハークが眉を寄せた。
首の後ろがチリチリとする。ちいさな火が燃えはじめ、火種がパチパチと音を立てて弾けるような感覚がする。焦る。焦っている。スルタンのどろりとした眼球や腐乱する匂いが頭を埋めていく。駄目だ。駄目。ちくしょうっ。哀れに虚勢を張りながら、しかし表情に「?」と脅えのようなものを浮かべる餓鬼がとたんに愛しくなった。俺の中の国がこいつを求めるのだろうか。だが堪らなくなって乱暴に腕を伸ばして身体の中に閉じ込めてしまえば、餓鬼は騒ぎながらもロクな抵抗などできなかった。


駄目だ。俺に兵を与えてくれ。俺ならば知っている。俺の中の歴史が知っている。この国の事ならどんな小さな農村のことだって誰よりもよく知っている。歴史と土地勘が戦の采配の仕方を警告のように訴える。だが、俺にはなにもできやしねぇ。この国の法が、宗教が、存在してはいけない俺に力を与えぬ。国でありながら国であるからこそ何もできやしない。


「・・・さ、でぃく?」
大きくなったと思ってもハークの身体はまだ餓鬼のままだ。ああ、餓鬼なんだ。ハークの身体はまだどこもかしこも女みてぇに乳臭い匂いがしやがる。骨も柔らかく、こんな身体で生きていけるのかと思うが、今はこいつよりも俺の方か。


「何の呪いなんだろうな」


呟いた俺の腕の中で子供が怪訝そうに眉を寄せた。
ああなんの呪いなんだろうか。この肉体が人であればと思う日はいくらでもあった。餓鬼を作る事もあったのだろうか。親面をして餓鬼を叱ったりするのだろうか。ああなんの呪いなのだろうか。何世紀も何世紀も繰り返し腐乱し続ける日々の中で俺達は。お互いを理解できる唯一である国と顔を合わせれば相手の領土が欲しくなる。ああなんの呪いなんだろうか。―――――――――何のッ!?
腕の中でもがいていた子供がゆっくりと俺の腕に額を押し付けた。より一層強く抱き締めたがもう抵抗はしてこなかった。いつかこの子供に食われる日が来るのだろうか。ああ、やっぱりなんて呪いなんだろう。


しかしそれはいくらか幸福で陳腐な――――・・・




作品名:黄金の鳥かごの中で 作家名:山田