The Garbage Can Story
新羅は曲がった眼鏡をダイニングテーブルに置いて矯めつ眇めつしながら言った。
「ヒマならさあ、帝人くん送ってってよ」
「ええ?!」
帝人は仰天してブレザーを落っことした。セルティが拾い上げていそいそと着せてくれる。何を言い出すんだ新羅さんはと思っていると静雄が至極あっさり答えた。
「いいぜ」
「えええ?!」
目を丸くして静雄を見つめる。静雄はん? と首を傾げた。
「いやそんな、…新羅さん大丈夫ですよ?! そんな、子供じゃないですし、一人で帰れますよ僕!」
新羅はちっちっと指を振った。
「ダメだよ帝人くん! さっきもちょっと言ったけど、頭の怪我は怖いんだ。脳って精密機械みたいなもんだからね、今は大丈夫でも少し時間が経ってから症状が出ることもあるんだよ。一人で、しかも池袋みたいな安全とは到底言えない街を歩いてて、もし急になんかあったらどうするの。そりゃ今日は静雄はもうこれ以上暴れないだろうけど、街にはまだ物騒な人が沢山いるんだから。途中で気絶して倒れても、助けてくれる人がいるとは限らないんだよ」
「はあ…」
新羅に言われて、帝人はおずおずと頷いた。長広舌は要約するなら「経過と治安が心配だから一人で帰らないように」だ。
セルティもPDAを掲げた。
『新羅の言う通りだ。ここから帝人の家までちょっとあるだろ? 途中でなんかあったらと思うと私が送って行きたいぐらいだけど、ちょっとこの後仕事が入っちゃってるんだ。静雄なら、まあ色々心配だけど、とりあえずチンピラと足の心配はしなくていい』
静雄、帝人くん背負えるよな? とセルティが尋ねると、静雄は無表情のまま帝人の腰に腕をまわすとひょいと片手で肩に乗せてしまった。
「うわっ」
「…お前、もうちょっと食った方がいいんじゃねえの?」
静雄が不思議そうな顔をして帝人を上げたり下ろしたりする。なんでこんな軽いんだ、と呟くが、静雄にかかればサイモンだって羽のように軽いだろう。
帝人は目を回しかけながら腰に回った太いとは言えない腕にしがみついた。
「わわ分かりました! 分かりましたから下ろして下さい!」
おう、と床へ下ろされて、帝人は大きな溜め息をついてしゃがみこんだ。突然静雄の人間離れした力を体験するのは心臓に悪すぎる。
セルティがしゃがんで帝人の顔を覗き込み、PDAをさし出した。
『な? そりゃ帝人が静雄は怖いから厭だって言うなら、新羅をつけるけど』
その後に小さな文字で『新羅は喧嘩弱いからあんまり役に立たないぞ』と続ける。静雄がPDAを覗いて一瞬小さく震え、顔をそらした。
「…いえ、静雄さんにお願いします」
金髪の溢れるその首筋がなんだか寂しそうで、帝人はとうとう、静雄のつきそいを受け入れた。
ご迷惑でなければ、と続けると、静雄はびっくりしたような顔をして、それから笑う。
子供のようだなあと帝人もこっそり笑った。
「あ」
「あ?」
静雄は帝人の半歩前を歩いている。どうせなら並んで歩けばいいのに、と思うが、身体の大きさの違う二人の歩幅はどうしたって違ってしまう。静雄はできるだけ気をつけて帝人の歩調に合わせようとしてくれているようだったが、いつの間にかほんの少し前へ出てしまうのだ。
その静雄のちょっとすすけたバーテン服の背中を眺めながら、帝人は不意にあることを思いだした。
(───本)
振り返った静雄はサングラスを外している。不思議そうな顔をしてこてんと首を傾げた。
「どした?」
帝人はいえ、ちょっとと言いながら、鞄の中をかき回す。
(やっぱり、ない)
「あの、静雄さん、僕が倒れた辺りに、本が落ちてませんでしたか?」
これくらいのハードカバーで、と手で示してみせるが、静雄は少し考える素振りをして、首を振る。
「あー…いや、気がつかなかったな。落としたのか」
「落としたっていうか、…今日図書館で借りてきたんです」
静雄は池袋図書館か、と呟く。帝人が頷くと、苛立ったように頭をかき回した。
「あー、悪い。俺のせいだな」
「いえ、」
確かに静雄のせいなので、帝人は言葉を濁した。どうしよう。もうなくなっているだろうか。なくしちゃったら弁償なんだよな、と帝人は財布の中身を心配した。
静雄はしばらく所在なげにしていたが、不意に帝人を見つめた。
「お前、身体大丈夫か」
「え? いやもう、全然平気ですよ」
そんなに自分はダメそうに見えるんだろうか。きっかけはどうあれぐっすり眠ったせいで、昼間より体調はいいぐらいだ。
そう答えると静雄はふっと笑った。
「じゃ、ちょっと行ってみるか。劇場通りだろ。そんなに遠くねえ」
お前が行きたければだけど。
そう言うと静雄はまた前を向いた。
「、はい!」
その背を追う。静雄はちらと振り返って、今度は少しばかりゆっくりと歩き出した。
劇場通り界隈には某コンビニエンスストアが死ぬほどある。あそこにもここにも青と緑と白のマーク。
その内の一軒が、帝人の借りた本を拾ってくれていた。
「図書館のだったから返しときゃいいかなと思ったんすけど、取りにきてくれて助かったす」
へらと笑う店員には前歯が無い。帝人はぺこんと頭を下げた。
「すいません、ありがとうございました」
「いや、いっす。あれでしょ、昼間の騒ぎに巻き込まれたんでしょ。もう全然だいじょぶなんで、今度なんか買ってって下さいよ」
帝人はじゃあ、とデザートの棚から新作らしいスフレを手にとった。死ぬほどホイップクリームが乗っていて、もう何がなんだか分からない。
「あ、すんませんなんか」
店員は申し訳なさそうな顔をしてレジを打つ。帝人もへらりと笑った。
「や、甘いもの好きなんで。お礼にもなんないですけど」
あっしたー、と間延びした声を背に店を出る。
ぼんやりと煙草をふかしていた男に声をかけた。
「すみません、お待たせしました」
「おう」
静雄はぱちぱちと瞬きをして、帝人を見下ろした。
俺が行くとどうせ騒ぎになんだろ、と自主的に店外に残った男は、多分煙草が吸いたかっただけなんじゃないかと帝人は思っている。
店のガラスに預けていた背中を起こし、静雄は帝人を見て首を傾げた。
「なんか買ったんか?」
「あ、はい。───お礼代わりに」
そっか、と静雄は頷いて、なぜか少し笑った。今度は帝人が首を傾げる番だった。
静雄は行くか、と独り言のように呟いて、ふらふらと劇場通りを戻り始めた。
帝人は慌ててその背を追う。
夜も浅い時間の池袋は人で溢れている。
その中をすいすいと静雄が歩いて行く。まるでモーゼが海を渡るように、狭い歩道を掻き分けて行く。帝人はそのすぐ後ろをちょこちょことついて歩きながら、静雄の随分高いところにある頭を眺めていた。
(ずいぶん、───静かなんだな)
街は騒がしい。
静かなのは平和島静雄だった。
新羅の家ではきちんと平和島静雄らしい平和島静雄だった、と、思う。
キレやすくて感情の振れ幅が大きくて、まるで獣か子供のような。この間、図書館で出会った静雄も子供のような顔をした。
───でも。
帝人は小走りに静雄の横へ並んで、その横顔を盗み見た。
作品名:The Garbage Can Story 作家名:たかむらかずとし