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仰げば尊し

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冬はスパイス



シュンシュンと音を立てて、旧式のストーブの上に置かれたやかんが湯気をあげている。向こう側で、窓ガラスについた結露がスルリと落ちて透明な筋を作った。曇ったガラスに出来た透明な間隙から見えるのは、やはり曇った校舎の姿だった。光も熱も閉じ込めた冬の雲の下で、何かを守るようにしてやかんは湯気を出している。阿部が固い椅子に座り、何となくその様子を見守っていると、横からふいに手が伸びてきた。大きな手だ。特に何の感慨もなしに顔を上げると、視線の先には慣れた手つきでマグカップにお湯をそそぐ榛名の姿があった。コポコポと音が立つ度にコーヒーの香りが辺りに充満していく。阿部はただぼんやりとその様子を見ていた。何かを考えてはいけないと思う。例えば、この姿を見るのは一体何回目なんだろうとか、随分でっけぇ手だな、とか。あえて頭を空っぽにして、それでも目だけはやかんから出る湯気を追いかけていると、榛名は何を勘違いしたのか、きょとんとした目を向けてきた。
「何、お前、欲しいん?」
マグカップが微かに持ち上がる。揺れたであろう中身に苛立たしいほどハラハラしている内心を、どうにか押し隠して阿部はそっけなく答えた。
「いらないです」
「まぁ、そう言うなよ」
どうしてこの男は人の話を聞かないのだろう。元から腹の奥で熱を持っていた苛立ちは、また別の苛立ちになって阿部の頭に上っていく。こうなったらどちらも無駄なような気がするのだが、それでも口を開いて何とか思いとどまらせようとする。どちらを、かは分からない。
「いらないです。だってアンタどうせビーカーに入れるでしょう」
不機嫌極まりない阿部の言葉にも、榛名は何も気にした様子はない。
「当たりめーだろ。お前のカップなんてねぇし」
阿部が榛名を見た。一瞬だけ真空になった視線の先で、榛名は何も気にせず、気付かないまま一番端の薬品棚からビーカーを取り出している。阿部は口を開き、諦めたようにため息をついた。そのまま机に置いていたスコアを広げ始める。先週にあった練習試合を反芻し始めた阿部の前に、榛名がコトリと置いたのはビーカーになみなみと注がれたカルピスだった。ほかほかと湯気の出るそれに目を瞬かせている阿部に、榛名は軽い笑い声を上げる。
「……コーヒーじゃないんすか」
「だって、ガキにはカフェインより乳酸菌だろ?」
ピッタリじゃねぇか、と笑う榛名に頷けるはずも無い阿部はただジッとビーカーを見ていた。ゆらゆらと揺れる白い液体を前に、ぼんやりとこれだけは聞かなくてはと思う。
「……賞味期限は」
「切れてねぇよ」
準備していたかのように言葉が返ってくる。そして「かわいくねぇの」と笑い声も。どちらにも反応できなくて、阿部はしぶしぶセーターの袖を伸ばし、カップ代わりのビーカーを包み込むように持ち上げた。それを見て、榛名はますます笑って自分のコーヒーに息を吹きかけた。また部屋にコーヒーの香りがふわりと広がる。目の前のビーカーからの香りと相まって、何ともいえない不協和音だ。それでも生物室から出て行けない自分は本当に始末に負えない。そもそも、この場所になんだかんだと来てしまう時点でもう、ダメなのだろう。理由はある。スコアとかその辺の理由はしっかりと存在する。だから野球部員である阿部が、顧問の榛名を訪ねるのに何もダメなことなどない。でも、ダメだと思う。なぜか、何て考えたくもないほどに、ダメなんだ。阿部はそっとビーカーに息を吹きかけて、中身を飲んだ。懐かしい味のする液体が喉を通って胃の奥まで熱くなる。
ほら、ダメだ。
榛名が自分にくれるものは、いつだってそうだ。
熱くて、痛くて、そしてふいに甘い。
だから自分は、離れられない。

作品名:仰げば尊し 作家名:フミ