仰げば尊し
一年の初めで履修申告するつもりのなかった教職課程の講義を間違ってとってしまって以来、なし崩し的にそのまま続けていた。練習の邪魔になっていたらとっくに辞めていただろうが、何とかなっていたので今まで落とした単位はギリギリ無いはずだ。休学中を除けば。ふと、微笑みが浮かぶ。久しぶりに浮かべた、心からの笑みだった。
確かめてみよう、そう思った。
教えるのに向いているのかどうかを、確かめてみようと。
そんなことで、と人は言うだろう。オレ自身もそう思う。教師というのは、もっと志の高いものがなるべきだと。こんな逃げのようにしてなるべきものじゃないって、分かってる。でも、それでもようやく見つけた未来への小さな欠片は、手離せなかった。
「スイマセン」
遠慮がちに堂々とした声がして、片目を開ける。すると見覚えのない制服を着た幼い生徒が立っている。オレは寝転がっていたベンチから起き上がり、あくび交じりに尋ねた。
「お前、ここの生徒じゃねぇだろ?どしたよ?」
他に人がいなかったのでイヤイヤ声をかけました、という姿勢を隠そうともしなかった子供は、やはり嫌そうに説明した。
「……この春、ここの生徒になるんすけど。部活見たくて」
「……何部?」
「野球部」
まっすぐに放たれた言葉に思わず目を瞬かせた。オレの反応を見て、ガキは不思議そうに首をかしげる。それを見ているとなんとなく楽しくなって笑った。
「な、何ですか……?」
変なヤツに声をかけてしまった。後悔を隠そうともしない様子にますます楽しくなる。うっくらしょ、と掛け声をかけて立ち上がった。そのまま歩いていくと、後ろに気配が無い。振り向くと、ガキは呆けた表情のまま突っ立っていた。
「何やってんだよ。行くぞ」
「……どこへ?」
「野球部のグラウンド。オレ、顧問」
ニィッと笑って自分を指差すと、ナマイキそうな目をしたガキは悔しそうに顔を歪ませて近付いてくる。それを確認してまた背中を向けた。ついてくる気配を感じながら空を見上げた。春の空だ。あのときのような。
溺れるオレがつかんだものは、藁よりもずっと小さくて脆いものだ。それがこの先どんな風になるのかは誰も知らない。この先ずっと小さいままなのか、それとも壊れてしまうのか。分からないけれど、でも。
いつか、もしかしたら、大きくなるかもしれない。
開き直ったようについてくる足音を聞きながら初めて思った。その思いはオレを愉快にも淋しいようにもして、もれてくるのはなぜか笑いだった。
笑うオレに、足音は律儀についてくる。