二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

ゆっくりとおとなになりなさい

INDEX|13ページ/16ページ|

次のページ前のページ
 

 フェンスのくぐり戸を抜けるときにはふたりとも自然と、ちわす、と声に出している。染み付いた習性を変えることは難しい。かつてそうすることが自然であった場所ならば尚更だ。阿部と榛名の上げた声に呼応するように、グラウンドのあちこちから幾重にも重なった声が返る。そのどれもが自分達をいぶかしがる様子だった。地域ではそれなりに上位をキープしていた戸田北では、時折見学やスカウトらしき人影がグラウンドを眺めている光景にあたることもあったが、阿部も榛名も明らかにそのどちらでもない。予期しない闖入者。そんな風に映っているのだろうと思うと少し気が引けたが、榛名にそんなことを感じる神経はないようで、物怖じした風もなくホームへと歩いていった。阿部はその背を追いながら、今更ながらなぜ自分がここにいるのかわからなくなった。少し遠くから見るグラウンドの上は、設備も散らばる団員の背格好も、数年前と何も変わらないように見えるのに、その中に自分の見知った顔がいないという事実にだまされたような気分になる。今にもあのうちの誰かが振り返って、隆也、今日は遅かったな、とでも笑いそうなのに。
「元希! 隆也!」
 気持ちを見透かされたように懐かしい呼びかけ方をされて、阿部はびくりと肩を震わせた。声のした方を向くと、ゆったりとした足取りで近づいてくる人影が見えた。榛名は大またでそちらに向かう。阿部は慌てて足を速めた。
「ちわす」
「おお、来たな!」
「お久しぶりです」
 親戚の子供でも迎えるかのように相好を崩して手を広げた人に、阿部は軽く会釈を返す。丸顔の監督は顔中を笑顔にして阿部の肩を叩いた。
「ずいぶん久しぶりだなぁ。でっかくなって。入ってきたときはこんなだったのになあ」
 監督は冗談めいた口ぶりとともに胸の下で手のひらを水平に動かしてみせる。いくらなんでもそこまでちいさくなかったと思うが、この顔を見上げていた時期は確かにあったのだ。今では並んだ背はほとんど同じか、阿部の方が肩先少し分高いくらいだった。
「野球部はどうだ? たしか新設だったよな」
「まあまあです」
 投手が良くて、と続けようとして、榛名が隣にいることを思い出し飲み込む。今日はこうして言いかけた言葉を飲んでばかりいる。監督はそうかそうか、と頷いて隣と視線をめぐらせる。
「元希も。電話ありがとう」
 爪の先まで形良く整えられた榛名の指先が、野球をやるには長すぎるように思える前髪を掻きあげる。手を下ろした榛名は真っすぐ頭を上げた。
「来期からプロんなります」
 阿部は自分の瞼の端が震えるのを感じた。
そうだ、榛名はこれを言いに来たのだ。榛名の声で聞いて初めて阿部にも榛名がもう同じ高さにいないのだという実感が湧いた。夏大会が終わって感じた、もう二度と榛名と対戦する機会はないだろうという淡い思いの比ではなかった。監督はすっかり見上げる角度になった榛名の顔をしみじみと眺め、深く、長い息を吐く。
「うん。良かったな」
「うっす」
 いくぶん砕けた様子で答える榛名が、照れの滲んだ笑みを見せる。阿部はそれにも信じられないものを見た思いで目を瞬いた。小馬鹿にしたように肩を寄せて喉を震わす笑い方や、マウンドの上で不敵に笑んでみせる姿は見慣れていたけれど、そんな風に柔らかいものを含んだ顔で笑う榛名を初めて見たのだった。そういう表情をするのかという純粋な驚きの後ろで、それよりも深く淡く感じる違和感がある。よく知っていたはずのものが、突然知らない何かに変わってしまったような居心地の悪さ。
「カントクー!」
 ブルペンの方から駆けてきた少年は、榛名と阿部の姿を認めると足を緩めた。
「ちわっ」
 まだ変声期を終えきっていない少し高い声で礼儀正しく挨拶をする。短い髪の下の面立ちはずいぶん幼く見えた。背などはそれこそ監督の胸元までしかないほどだったが、体にはしっかりと防具をまとい、手にはミットを持っている。キャッチャーなのだ。
「はじめてていっすか?」
「うん? ああ、ごめんごめん」
 指示されるメニューを真剣な眼差しで聞いていた少年は、指示が終わるとそれを復唱した。頷きを返されてきびすを返す。走り去る前にほんの少しだけ躊躇うような仕草をみせたが、榛名と目が合うと棒を飲んだように背筋を伸ばしぱっと目を伏せた。おじゃましました、と声を響かせて駆けていく。不思議な反応を見せられて榛名は首を傾げている。
「なんだあいつ? つか、ずいぶんちっせーキャッチっすね。何年なんすか」
「ははは。元希から見たらみんなちいさいってなっちゃうだろう。二年生で、正捕手なんだ。よく頑張ってる、良い子だよ。そうだな、……タイプは隆也に似てるかなぁ」
 遠ざかっていくちいさな後姿を見つめながら、感慨深げに呟く監督に阿部は嫌な目を向けたが、どこか遠い目をしている監督はそれに気付きもしなかった。
「へえ。まあ、サイズは似てっかもしんねーけど」
「……あそこまでちっさくありませんでしたよ」
 さすがにここまで寄ってたかってちいさいちいさいと言うのは、言われている本人に悪いような気がするのだが、榛名にまで口を出されるとさすがに我慢し切れなくなる。阿部の苦い表情に気が付い監督は、おお、すまん、と表情をあらためた。
「なんだかね。もう何回も卒業生を出してるけど、立派になってる姿を見る度に、ここにいた頃が嘘みたいだと思うんだよな」
 年寄りの感傷だな。そう言って快活な笑いを響かせる監督に、阿部は掛ける言葉を持たなかった。まったく同じ気持ちを抱くことはなくても、後半の部分には同意だった。嘘みたいだ。たった三年前だ。あんなに幼かったのだろうか、自分は。そして、榛名は。
 なにもかも手に入れたいと願っていたが、それが手に入らないと知った頃。まだ大人にはなれないと、それは知っていたけれど、でも自分は子供でもないと思っていた。
 良い子だよ、の言葉がまだ似合っていた後姿は、揃いのユニフォームに混ざってもう見分けがつかなかった。
「さてと」
 監督は空気を入れ替えるような勢いで榛名に向き直ると、
「少し投げていくか?」
と、冗談めかして言う。
「今度プロになる卒業生が来るって話をしてあったから、みんな気にしてるんだよ」
 ああ、それでさっきの視線か、と阿部はやっと合点がいった。榛名と目を合わせて、弾かれたように姿勢を正した少年の姿を思う。滲んでいたのは本人を知らないからこその憧れか。ただ立っているだけの榛名は、体格も醸し出す雰囲気も、ずいぶんと理想的なピッチャーに見えたことだろう。
「捕れるキャッチがいねーっすよ」
「はは、そりゃあ難しいな」
 投げられないと自ら言いながら、榛名は不服そうに腕を伸ばす。肘を掴んで筋を伸ばすやり方は、阿部と組んでいたときにも投球練習に入る前に榛名がよく見せた仕草だった。逸って疼く腕を押さえ込むようにも見える。
 グラウンドの一角からは革がボールを捕える乾いた音が響いていた。対になった人影の間を鮮やかな軌跡を描いて行き交うボールは、時折ライトの明かりを受けて溢れるように輝く。目を細めて眺めていた榛名は、何かに思い至った顔をして阿部を振り返った。
「お前座る?」
「嫌です」
「なんでだよ」