透明の向こう側
「うん! 俺もうお腹ぺこぺこだよ」
席を立った勇人のあとを文貴が付いて行く。
同じ年に生まれた二人が打ち解けるのにそう時間はかからなかった。
文貴がまだ栄口の家に来て間もない頃、貸していた教科書が入用になった勇人が夜に文貴の部屋を訪ねたあの日から二人の距離はぐっと近くなった。
サイドテーブルにぼんやりと光るオレンジ以外の明かりが全て落とされた真っ暗な部屋をそっと開いた勇人が見たのは、ベッドの中で身を丸くし静かに涙を零す文貴の姿だった。
気丈に、明るく振舞う常の文貴とは違う様相に驚き、けれど文貴が涙を零すことの方が普通の状態であると気付いた時には遅かったのだと勇人は歯噛みした。
数年前、彼の母が息を引き取った時のことを思い出す。
自分の中で絶対で、大きな存在を失うというのは己の身を引き裂かれるよりも辛いことだ。ましてや彼は、その母をまだ戦乱に荒れる故国に一人残して来てしまったのだ。そう決断するしか道の無かった文貴を責める者は誰もいないけれど、己自身を責め続ける文貴を宥められる者も誰もいなかった。
ベッドサイドにそっと膝をついて、掛け布団から覗く柔らかな茶色の髪に指を絡めた。驚きに見開いた文貴の茶色い瞳から零れおちた透き通った涙がシーツにまたひとつ染みを増やしていく。
この家に来てから、夜が来るたびにずっとこうして泣いていたのだろうか。
オレンジ色の明かりに照らされた白い肌が赤くなっているのを撫でてやりながら、放っておけないと、勇人は思った。己の短く切りそろえられた髪とは違う、長さのある髪を掌全部で撫でてやって、すぐにそのベッドに乗り上げた。
温もりのこもったベッドの中で、温かさで文貴を包み込むベッドに負けないようにと強くその身体を抱きこんで目を閉じた。
どうして気付かなかったんだと己を責める。
国を捨てたのだと、言い切らなければならなかった亡国の王子の気持ちを。肉親を失いたった一人見知らぬ国の見知らぬ家へやって来なければならなかった文貴の辛さを。
じんわりと目尻から滲んだ涙が文貴の来ている寝間着にじんわりと染みて色を変えていく。
守られるものを無くした彼を、守ってあげたいと思った。
嗚咽を漏らし始めた文貴の一回り大きな身体を抱きしめながら明かした夜は、勇人の中に大きな意味を持って残っていった。