雨に似ている
イザークは己の過去を振りかえって頭を抱えた。確かに捕虜の5人とはそれぞれベッドで楽しんだし、三人同時どころかニコルも交えて四人で遊んだこともある。けれどステファニーとロザモンドは自分やニコルに媚を売って、身の安全と待遇の向上というそれなりの見返りや、打算や下心があってのことだ。
「キラ、俺が女を口説いていたことがあるか?」
馬鹿正直な彼女は、真剣に考え込んでくれた。小首を傾げてうんうん唸っているが、記憶の何処をつついても、見つからないらしい。
あたりまえだ。イザークは一度だって自分から、女達をベットに誘ったことはなかった!!
「俺が本当に愛した女は、貴様が最初だ。そして、きっと最後だ」
そう言いきらないうちに、彼自身の顔が火照っていくのがわかる。鏡がないのが幸いした。きっと今ごろ、酒に酔っ払ったように真っ赤に染まっているだろう。
「キラが好きだ。愛している」
「……イザーク……」
彼女を抱き寄せ、耳元に唇を寄せる。どんなに恥ずかしい告白でも、彼女の顔さえ見なければ何とか口説ける。
「例え貴様がどんなに変わり果てた姿になろうと、俺は必ずキラを迎えに行く。この命ある限り、決して俺は諦めないから……。どんなに過酷な未来が待っているとしても、その果てにキラがいるのなら、俺は絶対に耐えて見せる。もう二度と自暴自棄にならない。
だから…だから、俺の愛を受け入れてくれ……」
「……イザーク………」
「例え、お前が娼館に売り飛ばされてもだ。決して死なないと……俺と今ここで約束してくれ。俺は必ずキラを助けに行く。キラが何処の誰の物になっていても構わない。必ず迎えに行く。
何年かかってもいい。生きてさえいてくれたら、必ず……迎えに行く。だから決して、どんな目にあっても死なないと約束してくれ!!」
掠れる声を無理やり引き絞り、イザークは彼女の柔らかい体を抱き寄せたまま、土色の髪に顔を埋めた。
いつか売るかもしれないから、彼女には綺麗な肢体を保たせるため、贅沢な化粧品が与えられていた筈だ。何本も香水も渡してあるにも関わらず、彼女の髪からは石鹸の香りしかしない。何一つ化粧っ気もない。
そんな素朴さがキラらしい。
もどかしげに彼女の襟首に左手をかける。
利き腕でないので時間がかかったが、緩めた服の中から艶めかしい真っ白の肌が零れている。
イザークは迷うことなくキラの首筋に顔を埋め、きつく吸い付いた。
「……イザーク、……ごめん……」
キラがぴしゃりとイザークの頭を叩き、彼の身を引き剥がした。
上目遣いで見上げる紫水晶の瞳に、迷いは一切ない。
「駄目なものは駄目だよ」
「キラ!!」
「本当に駄目なんだ、イザーク。今ここで君に身も心も全部あげられたら、どんなに幸せだろうって思うけれど、僕にはまだアスハの第二王女の役割が残っているかもしれない。嫁いだ王女が生娘でなくては困るんだ。外交問題どころか将来僕が生むバレル家の嫡男まで、出自が疑われる。生まれてくる子供に罪はないのに、父に愛されない子供は不幸だ、そうでしょ?」
それは一体誰のことだろう?
過去、親しかった誰かの境遇に重ねているのは間違いないが、そんな事はイザークの知った事ではない。
だが、こうなったキラは、絶対に自分の意思を曲げない。
彼女は絶対に自分の意思を貫き通す。
それは過去、半年一緒に暮らしていて、とても良く知っている。
「……キラ……俺は……」
痛かった。拒絶された手も痛いが、心が千切れそうに痛い。
「本当に……お前が好きなんだ……」
この愛を得るためには、何でもやってのける。絶対に手放せない。この女だけは誰にもやれない。例えニコルにも……。絶対に渡したくない。
「……あのねイザーク、……今は駄目だけれど、未来はどうなるかわからないでしょ?……」
項垂れる自分に、聖母のごとく優しい声が降りかかってくる。
「待ってるから」
イザークが見下ろすと、キラは静かに微笑んでいる。
「この島を出たら僕、君が迎えにくるのを待っているよ。その時は売春宿かバレル殿下の奥方になっているかはわからないけれど、君が沢山の女の子達が選り取りみどりで選べる世界に戻って、それでも僕を必要としてくれるのなら、……来て。そして、僕を浚って。その時は何処だって付いていくから。絶対、僕は君を受け入れるから」
「必ず行く!!」
例え、一筋の希望しか残されてなくても、何もないよりも断然マシだ。
「なら、イザークも約束して。決して自暴自棄にならないって。死なないって」
「約束する!!」
そう答えた瞬間、キラが背伸びしてイザークの唇にキスをしてきた。
生まれて初めて、女のほうから唇を奪われた。
(……ああ……キラ……)
彼女の唇は、なんて柔らかくて甘いのだ?
望んで欲してやっと得た愛情は、なんと甘美でくらくらするのだろう。
初めて『愛する』ということを知った気がした。
愛を得た幸福を、初めて知った気がした。
(……俺は一生、キラだけを愛し続ける……)
イザークは何度も何度も、心に刻み付けるように誓いの言葉を繰り返した。
だが。
「悪い、取り込み中だったか?」
どこか陽気で酷く艶のある低い声と同時に、ニコルの寝室へと続く、廊下の扉が開いた。
イザークは直ぐにキラを背に庇い、振り向いた。
其処には旅用の長く黒いマントを羽織ったムウ・ラ・フラガが、静かに佇んでいる。
「父上!!」
イザークはほっと緊張を解き、息を吐き出した。
半年ぶりの再会だった。
彼はいつもの作り物めいた嘲笑まじりの笑顔ではなく、親しい者にしか見せない優しい笑みを浮かべている。
「どうしてここに?」
「おいおい、勿論お前たちを迎えに来たんだよ。本部からの決定により、イザーク・ジュール及びにニコル・アマルフィ、両名の拘束を本日で解き、ロゴスへの復帰を認める。良く耐えたなイザーク」
「それは、お咎めが無しってことですか?」
「ああそうだ。新たな領主も後ろ暗いことてんこ盛りだったおかげで、奴を殺したい依頼人が直ぐ見つかったことがラッキーだった。大変だったぜもう、依頼日と実行日の辻褄あわせるの。俺ってば、地道な裏工作なんて向いていない実動隊なんだから、もう二度目はないぜ。いくら息子でも、次は庇えねーからな」
軽快な父の言葉に、イザークの心から重苦しさが消え、羽根が生えたように軽くなった。
キラも後からとんっと彼の背中を、こっそりと小突いてくれた。
父に頭をわしわし撫でられている手前、振り向けないから顔はわからないが、おめでとうと確かに伝わってくる。
「イザーク!!」
ニコルもよれよれと赤い顔をしながら、怪しい仮面の男の肩を借り、部屋へ入って来た。
「貴様は。具合が悪いときは大人しく寝てろ!!」
「そんな、ムウ小父様とクルーゼ小父様が来てるのに、下っ端の僕がベッドで指令を聞くわけにはいかないじゃないですか♪」
高熱で荒い息を吐いていたが、彼はすっかりいつもの巨大な化け猫を被っていた。
「ってことは、もう依頼が?」
「ああ。俺がここに、指示書を預かってきている」
ムウは懐から、紫に染めた一通の小さな書状を取りだし、二人の見ている中で開いた。