夢のあと(短編集)
怪我の功名
それからが大騒ぎだった。
僕がなんでもないと言ったのに(実際歩こうと思えば歩くことだって出来なくもなかった)、誰も耳を貸してくれなかった。特に沢木などは酷く真面目な顔をしていた。水飲み場まで僕を引っ張っていき膝についた砂を洗い流したのも、保健室に引っ張っていったのも、保健教諭がいないと見て取れば消毒液を塗りたくりやけに大きな絆創膏を傷口に貼ったのも沢木だった。たった一言、
「菌がつくから」
と言って。
――それ程説得力のある台詞もなくて、僕は思わず笑ってしまった。
そして保健教諭が戻ってきた頃には手当てという手当ては全て終わってしまっていて、沢木は大層褒められ僕は少しばかり叱られた。サッカーで怪我をするなんて結城くんらしくもない。
「でも、歩けますよ、僕」
「あ、おい蛍!」
立ち上がろうとした瞬間、包帯で固定されたはずの膝に激痛が走った。結局沢木に倒れかかった僕に、だからだろうか、帰宅命令が下された。
「けどそれって、病院に行けってことですよね」
「結城くん、あなたさっきから病人のくせに文句多いわね」
舌打ちが堪えられそうになかったので、なんとかため息で誤魔化す。
(なんでほっといてくれないんだろう)
学校の先生の嫌な点はここだ。大きな顔をして、本当に大きなお世話ばかりしてくる。僕が黙っていると、彼女もまたため息を吐いて立ち上がった。電話をするつもりのようだが、止める術もない。
「だったら、俺が連れて帰るよ」
「は?」
「どうせ今日は半ドンだし、先生もそれでいいだろ」
備え付けの黒電話を手にした保健教諭が一瞬動きを止める。
「だからって、ねぇ」
そして彼女が考えるようなポーズを取ると同時に、4時間目のはじまりを知らせるチャイムが鳴ったのが決め手となった。
*
「蛍、お前俺のこと馬鹿にしてただろ」
「え」
「俺にお前がおぶれるわけがないって思ってただろ」
「……どう考えたらそうなるんだろう」
「くそ、こうなったら何がなんでも結城酒造までは」
「沢木、限界近い?」
「うるせー!!」
自転車にふたり乗りをしていた近くの高校の制服を着た女の子がふたり、くすくす笑いながらふたりの横を通り過ぎていった。
「ったく、こんな時に限って……ていうかこんなはずじゃなかった……」
ぶつぶつ言う沢木の肩に僕が掴まっている。気の遠くなるようなシチュエーションだった。
それに、こんなはずじゃなかった、は明らかにこっちの台詞だ。
本来ならば僕も自転車の後ろに乗る予定だったのである。しかし沢木の自転車がパンクしてしまって修理に出されていたのを忘れたせいで、結果的に僕たちは今完全に不審人物だった。場所が場所なら補導されかねない。
相も変わらず不安定な背中にしがみつきながら考える。意地を張る沢木は面白いけれど、弄り過ぎは禁物だともよく分かっているから少しばかりつまらなかったりする。
「沢木」
「なんだよ」
「こうしてると、昔みたいじゃない?」
「……俺は蛍におぶわれてばっかだったけどな」
「そうだっけ」
「お前がちっちゃいことでも無駄に大きくするから」
僕は思わず吹き出していた。結城酒造まではもうすぐ。だから遊んでみようかなとの考えは今やすっかり消えて、代わりになんとなく嬉しくなってしまう。すっかり慣れてしまって通行人の視線は最早全く気にならない。
この幼馴染みが心配してくれたこと。でもやっぱり僕の考えていることなんて沢木にはちっとも分かっていなかったのだ。
「沢木」
「……今度はなんだよ」
笑ったせいか、不機嫌気味の沢木の声。
僕はもう一度、実はあまり居心地のよくないその背中にしっかりとしがみつくと、彼の耳元で小さく呟いた。
「沢木もね」
(了)