別世界へ
いつしか少年ふたりは壁グラを背もたれにし、地べたに座って語り合う。
「リツはなんで今日ここに来たんだ?俺を連れてくるだけか?嫌なことがあったのか?」
「あったよ。だってネクにムシされたから」
「………」
「ウソウソ!ウソだってば。…ちょっと親とケンカしたんだ」
リツはため息混じりに電線に囲まれた空を仰ぐ。
「俺んち、ずっと続いてる医者の家なんだわ」
「…へえ。意外」
「だろうな。でも、学校の俺だけを見てたら、それっぽいなーとか思ったろ?」
「あ…確かに…」
ネクは空を仰ぐリツを見る。
「ギャップが激しすぎなんだよなー。
俺自身はさ、あんま医者になりたくないわけよ」
「…なんでだ?勉強が難しくなるからか?」
「ちげーよ。医者ってのはさ、他人の命の為に自分の身をすり減らしてるだろ」
「ああ、そうだな」
ネクとリツの視線は合わない。
「俺はそんな尊い事出来る人間じゃない。
自分の事で精一杯なのに、他人の体に責任とれない」
「リツ…?」
「俺は弱いんだよ。怖いんだ。命救うのが怖いんだ。
だから親とケンカしたんだ…」
いつしかリツはうつむいていた。体育座りで体を小さくし、顔をうずめていた。
ネクは何も言えなかった。リツが弱いとも感じなかった。
命を救うのが怖いというリツが、真っ正面から自分の将来を見据えているように
見えた。弱さゆえに悩むのではなく、逆に逃げない強さから悩んでいるように見えた。
「でも、諦めたくないんだろ?」
「え」
ネクの一言にリツは顔を上げる。
「俺はさ、他人と関わるのあんまり好きじゃないし、興味もない。
だから普通の人がどう考えるのかよくわからないけど、
お前は変人だから考えも変わってるんだよな…」
「あのなあ…」
ネクはリツの方を向いて言う。
「リツは強いと思うよ」
そう言われてリツは目を丸くした。まばたきを数回して、
今言われた言葉を噛み締めていた。
「俺だったらそんな事考えない。
医者になれと言われたら、そんなの無理だって切り捨てる」
「おま…」
「リツは強いから大丈夫だ。
今悩んで落ち込んでたって、いつかいい結果が出ると思う」
リツは真面目な落ち着いた顔でネクを見た。ネクはリツの方に顔を向けたが、
リツと目が合ってしまい咄嗟に前を向いた。
リツは満面の笑みで朗らかに喋る。
「そーだよなぁ。なんとかなるよな。
ナハハ、またなんかあったら言っていいか?」
「俺は別に、なんもしてないけど…」
「いやぁ、ネクと喋るとびっくりするよ。余計な言い訳とかなくてさ。
他人の考えに惑わされないっていうか…」
「そうなのか…」
「ナハハ」
リツは笑った。ネクも少し笑った。
それからネクはリツとよく絡むようになった。
ネクの他人嫌いは相変わらずで、学校でもリツ以外と関わる事は無かったが、
お互いそれでいいと思っていた。
朝、リツが他のクラスメイトや教師を後回しにして
最初ににネクに挨拶をするのが習慣になった。
ネクは相変わらず一人で過ごす。リツはクラスメイトに囲まれて過ごす。
それが当たり前だが、学校が終わると二人は当たり前のように壁グラの前にいた。
そしてなんの気無しに語り合った。
ネクはそれだけでよかった。リツがいれば、それだけでよかった。
ある、いつもと変わらない放課後。
「リツ、いつものトコでな」
「ああ、生徒会終わったらすぐ行くよ」
「絶対だぞ」
ネクは一足先に学校を出て、家路に着いた。
すぐに着替えて壁グラの前に向かった。
季節は春か、夏か。
季節の変わり目の天気は不安定で、昨日は寒かったのに今日は温かい。
しかし日が沈むごとに寒くなってきそうだった。
ネクは壁グラの前でリツを待っていた。
「リツ…遅いな」
特に何をするわけでも無いのだが、相手がいないと会話にならない。
かといって、リツ以外に誰かと親しくなる気にもならない。
あの独特な雰囲気に惹かれて、ネクはリツと一緒にいる。
クラスメイト達がリツに惹かれているのは知っている。
ただ、リツと波長が合うのはネクだけだった。
壁グラに寄りかかり、空を見上げると、やはり不安定な天気なのだろうか、
空が曇りはじめていた。
「ちょっと寒くなってきたな…リツ、遅いな」
それほど生徒会は忙しいだろうか。
まだ一年生であるリツに、それほど仕事はないはずだとネクは思った。
思考が頭を巡った。
教師に呼ばれたか、クラスメイトに捕まったか、忘れ物をしたか、
家に着いたが親に止められたか、それとも…。
ぽつん。
「うわ、つめてっ」
雫がネクに落ちてきた。
曇り空が完全に雨雲となったのだ。ぽつりぽつりと、雨が降ってきた。
「うわあ…強くなりそうだな…」
リツの奴、いくらなんでも遅すぎる。とネクは呟く。このまま待っても濡れるし、
かといってリツがいつ来るかもわからない。
ネクは悩んだ。その末に、リツが通ってくるであろう道を遡る事にした。
「落ち合えればいいけど…」
宇田川町の路地裏から、渋谷のメインストリートに向かえば向かうほど、
喧騒が聞こえてくる。
耳障りなノイズが大きくなってくるが、スクランブル交差点に近付くと、
明らかにノイズとは違う声と雰囲気が漂ってきた。
一歩進む度に、嫌な予感がする。
人だかり、悲鳴、携帯のシャッター音、ボンネットのへこんだ車、青ざめた人々…
救急車のサイレン。
「………え……?」
ネクはゆっくりとその中心に近付いた。
近付く度に脂汗と冷や汗が滲む。まさか、そんなはずは…。
「リ…ツ?」
赤い血溜まりに手が見えた。
吐き気が込み上げて、ネクの顔が青ざめる。ネクの足が動かなくなった。
冷たい雨が渋谷を打ち付ける。
リツ、と口にしてしまった自分を呪った。
まさかそんな、バカな事があってたまるか。
違う誰かに違いない…絶対に。
血溜まりの周りに、その手の主の持ち物であろう物が吹き飛んでいる。
色の褪せた、スニーカー。
「うっ……ああ……!」
ネクはふらりと、右足を進める。
かつん。
と、軽い音が、右足に当たった。
投げ出された傷だらけのバッジが、赤く染まっていた。
ネクの体が震えあがり、歯がガタガタ止まらない。
「ウソだ…ウソだ…!ウソだ!!こんな、こんな…!!!リツが…リツが…!!」
雨がネクを打ち付ける。救急隊員の声が聞こえる。目眩がする。吐き気がする。
涙が出る。足に力が入らない。体の震えが止まらない。気持ち悪い。耳鳴りがする。
ネクは地面に頽れる。
「ウソだ………」
「ウソだああああああああっ!!!!」