ジャミング
ぞんざいに手を振りながら念を押すと、なぜか残念そうに、おう、と返事が返ってくる。
「ケチー」
「お前がバラの名前が分かるようになったら、束にしてくれてやるよ」
「……そりゃ楽しみだね」
花束を背負って帰るなんて、花に集まる好奇の視線を想像するだけで寒気がする。その前に、生花は空港の検疫で通るのかなあ、とぼんやり考えていたら、ジャケットの中で無事検疫を通過できたものを思い出した。
「あ、イギリス。君に渡すものがあったんだ」
ぱちぱち、と何度も金のまつげを震わせて、期待に胸を膨らませているイギリスに向けて、ポケットから取り出したものをテーブルの上に置いた。
「お前から?」
「違うよ。日本からだよ」
一瞬だけ緑の瞳が翳ったのに、日本、という言葉に再びうれしそうな顔をする。
「日本は、バレンタインには今度は友人同士でチョコレートを送ることにしたらしいよ。イギリスへ、だってさ」
「おう、すまないな」
彼の数少ない友からの贈り物に、心底うれしそうに瞳を輝かせるイギリスを見ていると、無性にイラついた。ピンクのリボンを解いて、二重にラッピングされた中から出てきたのは、四角いチョコレートの台座に薄いピンクで描かれた漢字一文字だった。
「俺も似たようなのを貰ったよ。漢字は複雑で読めなかったけど」
「俺読めるぞ。これ、コトワリ、とか読むやつだ。前に少し日本から習った。理性とか理由とかに使う漢字だったかな。お前の貰ったのには、どんな漢字が書いてあったんだ?」
テーブルの上に置き直し、宝物でも眺める目つきで、一向に手をつけないイギリスを密かに笑いながら、ソファーの背に置いていた腕を何気なく膝の上に持ってくる。
「も少し複雑なやつ」
「ああ、それから?」
「美味しかったよ!」
「覚えてねえのかよ!」
「うん、だって複雑な漢字だったからさ。表意文字って苦手だよ。どこが出口か分からない迷路みたいなかたちをしてるじゃないか」
「お前からしたら、ギリシャんとこのアルファベットだって迷路に見えるだろーよ」
こいつは、という目で睨まれる。そ知らぬ顔でテーブルの上に視線を注ぐ。イギリスはカップで冷えた両手をあたためていたので、アメリカがテーブルに伸ばす手を止めることができなかった。チョコレートを引ったくって口に放り込む。
「ちょ、おまっ、あああーーーー!! 俺のー!!!」
「なんふぁいうるはいなあ、」
もぐもぐ顎を揺らしながら、俺の、俺の、とカップを抱えたまま情けない声を出してよろよろと立ち上がったイギリスを仰ぎ見る。甘さが足りないが、上品な味だ。
「うん、やっぱり美味しいんだぞ!」
「これ、……日本が、俺にくれたやつ、」
絶句しながら、カップが震える手でテーブルに置かれる。ざっと百年くらい前も同じようなものを使っていたから、さすがに年代ものは割らないようにとイギリスなりに自制しているらしい。
「さっさと食べないから君は要らないのかと思ったよ!」
それに、日本の考えそうな悪巧みなんて、イギリスの考えるものと違い、いくらか善良で分かりやすいから、アメリカからすれば全てお見通しだ。せっかくの日、日本からしてみたら、友である二国に、普段の諍いはやめ、日本を橋渡しにして友好を深めてくださいね、という日本なりの善意だろう。まだまだ君の見通しは甘いなあ、と、脳裏で思慮深げな顔をした日本にいってやる。アメリカからしてみれば、イギリスは日本の望むような友でもない。親子でもないし、兄弟というには色々ありすぎた。
「これ……っ、日本が俺にくれたものだろ? バカアア!!! 出せ! 吐け!」
隣に駆け寄った彼に襟首をネクタイごと掴まれて強く揺すられた。ぼろぼろ泣き出して爆発一歩手前の癇癪を、揺らされるまま受け流す。
「えええー、そうしてあげてもいいけど、そんなグロテスクなもの、イギリスも見たくないだろう?」
いくつかの罵り言葉が滑らかに彼の口から滑り落ちて、やがて一番いいやすい莫迦が連発されるようになった。
「バーカ! バカバーカ! もうお前なんか知らねえ! 夕食だって作ってやんねえ!」
「ああ、夕食なら要らないよ! 君のところでまともに食べられるものって、朝食だけじゃないか。三食とも朝食でいいんだぞ」
「うるせえクソメタボ! 帰れ! ばーか!」
「……君の車、左ハンドルじゃないからヤダよ」
「左通行右ハンドル莫迦にするな! あれは元々剣を持つ騎士のためだ! ばぁか!」
涙と怒りに声を詰まらせているのに、莫迦という単語だけはやけに音量が大きい。
「さっさと食べないから、こういうことになるんだよ。さっきさあ、君、ケースに入れて飾っておきたそうな顔してたぞ? そんなの、この家じゃ絶対カビるからね。どうしても欲しいんなら、また日本から貰えばいいじゃないか」
「だってこれ、俺に、今日、友情の証だってくれたんだろ……?」
溢れる寸前の涙をこぶしで拭いながら、みっともなくイギリスは鼻をすする。でも一度たりともイギリスは、バレンタイン・デーの証とやらをアメリカにくれた試しがないので、これでイーブンだろうと内心舌を出す。
「別に証明なんてなくてもいいじゃないか。だいたい、みんな、聖人が処刑された日なのに浮かれすぎだよ! 日本はチョコレートを世界中に売りたいだけに見えるし。美味しかったけど!」
「やっぱり日本のチョコレートは美味かったのかあああ」
大粒の涙をぽたぽた垂らし、アメリカの肩にうなだれるイギリスの背を叩いてあやしながら、イギリスはやっぱり確実に触れられる物にしがみつくタイプだなあ、と改めて思い返していた。
妖精や魔法、あやふやな疑似科学には頑固に縋るくせに、好意は贈り物で、感情は花を添えて、手の掛かるバラや石造りの家、日本からのチョコレート、イギリスが感情を込めたり好意を素直に受け取ったりする入れ物として選ぶのは、確かに手で触れられるものだけだ。それ以外をイギリスは信用しない。だから、大切に育てた花一輪たりとも、感情を滲ませるようなものは何ひとつ、アメリカには寄越さないのだ。だからこそ。
「証明がなくても、君と彼は友だち! それだけだろ?」
それでも不安げにイギリスは唇を歪める。どう言い繕ったところで信用できないのだろうから、アメリカに出来るのは、彼の中にぎっしり詰まっている不安を和らげる言葉を一滴注いで、わずかに薄めることだ。
「お前が、何だか良いこと言ってるように聞こえるけど、俺……耳がおかしくなったのか」
イギリスは目元をこすっていた手で、自分の耳を確かめている。ついでに収まりの悪い金髪を振ってみたり、涙を拭ってみたりと、忙しない。
「耳も含めて君は全部おかしいよ」
「……ばーか、アメリカのばーか。やっぱり俺のチョコレート返せよう」
涙声に握りこぶしで肩を軽く何度も叩かれると、どっちが年上なんだか分からない。
「あーもー、うるさいんだぞ! 俺はこんな辺鄙なところまで、君の泣き言を聞きにきたんじゃないんだよ」
「俺が日本から貰ったもんを勝手に食ったお前が悪いんだろ! 俺のせいじゃねえ、……は?」