行って来ます
「死んだ2人の話がしたかったの」
そう静かにルナマリアはつぶやいて、レイを振り返る。彼女の瞳に悲しみは見られないし、動揺の色も浮かんではいない。ただ、何か深い、水の底をのぞき込みでもしたような、気味悪く揺らぐ光がそこにあるのを見てとって、レイは思わず見定めるように目を細めた。
「別にレイと一緒に悲しもうってわけじゃないのよ。死を悼む、とかそういう意味で来たわけじゃないの。実はこんなことを言うとメイリンに睨まれるんだけど、正直2人のことを考えても、2人が帰ってきてくれるわけじゃなし」
ルナマリアの声はいたって冷静だ。そうだな、と返して、レイはルナマリアの妹が、彼女を睨むさまを思い浮かべてみる。勝ち気な姉とは違い、妹はどうしてだか好奇心旺盛のくせに臆病で、時折恐れるような目で自分をみることがある。確かにそんな彼女なら、今のルナマリアの話を聞いて怒りもするのだろう。
「ただ、悲しむとか悼むとか、そういうこと全てを抜きにして、今夜一晩ぐらいは、ずっと2人のことを考えていなくちゃならない気がするのよ。私はきっと、明日までこの悲しみを引きずるほど優しくもないし、たくさんの時間が残されているわけでもないから、残念だけど、きっと2人のこともいつか記憶から薄れていってしまうんだろうし。だからなおさら、今ぐらいは誰かと2人のことを語り合った方がいいか、って」
偽善者ね、と自嘲するにしては薄い表情を浮かべて、ルナマリアは意見を求めるようにレイに視線を寄こした。そうだな、もう一度その言葉で会話を切って、レイは頭の中で彼女が話したことを反芻してみる。
問われれば、まさにそうとしか答えようがない。ないが、それでも勘に障らない程度の考えであるようには思えた。彼女が言葉通り薄情なのかは知らないが、レイは自分が、いつしかあの仲間たちの死を忘れてしまうことを知っている。それは確定事項だ、何せ、今まで自分に訪れた不幸さえ、今はぼんやりと暗闇の奥に埋もれてしまっている状態なのに(あの遠い悲しみの記憶はどこへ行ってしまったのだろう?)。しかし、それが失礼なことであるにせよ、悪いことではないような気がした。彼らはあの場所で戦って、ただ、ただ(どういえば良いのかはわからない)撃たれて死んでしまった。撃たれて死んで、今は暗く冷たいあの空間のどこかを漂っている。いつかは朽ち果て、塵芥と化して、それでも永遠に帰ってはこない。
頭にイメージを思い浮かべ、レイはふと考えた。花が開き、やがて枯れるように、彼らの命は終わったのだ。脈々と受け継がれる定め、たゆたうようなその永遠の流れが、今は意図して彼らをどこか意識の及ばない世界へと運んでいく。たった、たったそれだけのことではないのかと。
……それでも、それだけのことが、こんなにも暗く悲しくまといつく影を子どもたちに落として。
「それに」
ルナマリアの声で我に返ると、レイはうるさく右頬にまといついてきた髪を手で払って、優しい照明の向こうに見える、自分の機体を垣間見た。
あれに乗って、いつか自分も死ぬのだろう。
撃たれて、ばらばらに、そしてあの暗く冷たい空間のどこかを、同じように朽ち果てながら永遠に漂い続けていくのかもしれない。
けれど、きっと、ただそれだけのことだ。
それ以上の意味も、それ以下の意味ももたない、それがただ死というものなのかもしれない。
こんな夜はそんなことが何かリアルな実感をもって、忍び寄ってくる気配がする。気配がしているのに。
レイは身震いしそうになった。
彼女の言うとおり、本当に寒いことにようやく気がついた。
「レイが眠そうだから」
突然ルナマリアがそう言ったので、何故だかレイはまるで彼女が自分の胸の内を見ているような気がした。得体の知れない何かが、背中に這いよるのを感じた。
眠そうだとはどういうことだろう。彼女はいつも不可解な発言をするが、これは彼にとっていっそう奇妙としか言いようがない。自分は眠れなくて(気が高ぶって)艦内を歩いていたのに、察しのいい彼女ならそれぐらい気遣えるだろう、それなのに一体全体何を言い出すのか。
静かな雰囲気を崩したくなくてか、あえてそういう感情だけをにじませてレイは口をつぐんでいたが、わかっているのだろうに、ルナマリアは彼を振り向かない。
鮮やかな髪のその色彩が、今は目に痛い。
「こんなに眠そうなのに」
言い聞かせるように繰り返すと、彼女は彼に背を向けたまま、あいかわらず寒そうに両手をこすり合わせていたが、やっと黙ったままのレイが心配になったようだ。ようやく振り返り、あの強気な瞳に(改めて見ると、それは本当に突き刺さるほど鋭かった)彼にはわからない類の光を浮かべて、その顔を見上げる。
「レイが眠れなさそうだから」
彼女がそう言い放つ寸前、きまりわるい偶然のようにデッキ内の音がとだえて、レイは(もしかしたら自分はその言葉が聞きたくないのかもしれない、聞かなくてよいのかもしれない)そんなことを思いながら、実際は誰よりもはっきりそのつぶやきを聞き入れてしまったことを後悔した。
聞き逃せるはずもない。聞き逃せるはずもないなら、問いたださなくてはならないのに。
「どういうことだ」
途切れずに聞き返した自分に、拍手を送ってやってもよいような気がする。動揺するというにはささやかな胸の鼓動が、何かを求めてやまないように彼女の言葉を待っているのだ。
「そのままの意味よ」
しかし、ルナマリアはじらすように間を置いて、一言、謎を解くヒントしか彼に残してはくれなかった。寒そうな素振りは変わらない。彼女は普段から何かとレイにつっかかってくるが、これもからかいの一種なのだろうか。
「そのままの、意味よ」
それとも、彼女は自分の答えを待っているとでもいうのだろうか。
突然、訳が解らないような、不快で不安な思いに捕らわれて、レイは内心でだけ狼狽した。
いつもより一層、恐ろしいのか、悲しいのか、腹立たしいのか、悔しいのか、わからない。何か知らないものに囲まれて、辺りを落ち着かなげに見回るさまに酷似している。
この思いは何だ。
「わからない」
思わず口に出したその言葉が、果たして本当にルナマリアに向けてのものだったのか、それとも自分自身に対するものであるのかすらわからない。
いつもより一層、恐ろしくて悲しくて腹立たしくて悔しいようで、燃えたぎるようなその感情。
わからないし、わかりたくもない。それなのにどうしても落ち着けない。
ならば、わかりたくないのは何故だ。
身が細るようにそら恐ろしいような気分さえする。その理由は、何だ。
答えを聞いてしまいたいのに、きっと体面も忘れて叫びだしてしまいたいのに、自分の奥底で時間が経って、錆びついてしまった何かがその邪魔をしてしまう。
「ルナマリア」
追い打ちをかけるように彼女の名を呼ぶと(つまりそれは彼の我慢が限界に近いことを2人に知らせた)ルナマリアは何が悲しいのか、嫌だ嫌だと繰り返す小さな子どものように、首を横に振った。
「レイは人を殺したから」
まるで、息子を失ったような母親の目で彼を見て。