行って来ます
ルナマリアがあまりにもてらいなくその言葉を口にするものだから、どきりとするよりも先に、何を言ったのかわからない、と答えるのはさすがに言い訳じみているだろうとレイは思う。
彼女の言葉は強力で、空気中に飛び出したとたん、まるで波紋を広げるような勢いで彼をも飲み込み、最初は朧気に、見たくないものまで容赦なくどこからか引きずり出し、やがてぼんやりとしていたものが形を得て、断罪のようにレイの胸中に鳴り響く。とたん、振り返りざま打ちはなった自らの砲撃、確かな手応えを残して吹き飛んだ敵機の破片が、まるで償いのように、ばらばらに、そしてあの暗く冷たい空間のどこかを、友とまるで同じように朽ち果てながら永遠に漂い続けるさまが脳裏に蘇って。
レイは空間がずれたような、奇妙な気色悪さを感じて眩暈を覚えた。
嗚呼、そうだ。
人の肉が吹き飛ぶその反動を、自分の手はしっかりと覚えているのに。
宇宙に砕け散る生命体の残像を、自分の目は確かに記憶しているのに。
何故、自分は忘れていた。
自分は、忘れようとしていた?
「レイは、人に、自分のことを話したりしないでしょう」
虚を突かれた様子のレイに(しかし彼にも、彼女の話を最後まで聞くだけの余裕はある)、一度言い直すように口をつぐんだ後、結局そう質問を投げかけて、ルナマリアはひどく思案げな面もちを浮かべた。彼のことを案じているというよりは、彼にとってわかりやすい説明を求めているという感じだ。そのとき、彼女の瞳が自分の視界から離れて、レイはようやく自分が呼吸さえも止めていたことに気がついた。
「だから、だから何て言えばいいんだろう、ひたすら眠ることで自分を保とうとしてる気がするのよね」
眉間にしわを寄せながら、ルナマリアが今度はしきりに自分の目元を気にすることがわかって、レイはおかしな気分になった。彼女が言うように、そんなにも自分は眠そうな顔をしているのだろうか。そんはずはない、こんなにも心がざわめいて、珍しくもざわついて足が動いてしまったのに、そんなことはありえない。
「何かつらいことがあったり、悲しいことがあると、レイ、言わないけど、実はいつも眠そうなのよね。眠そうなのに、眠れなくて、いつまでも起きてたり、こうして夜中歩いてたりするから」
そうだったろうか。
レイはそうよと言い切ってしまいそうな彼女の表情を見つめて、自分が今まで経験したつらいことや悲しいことは何だったろう、そう思い浮かべようとして(そして結局何にも思い至らないことに失望して)急に味気の無い気分に陥った。
「そうだったか」
口に出してたずねてみても、彼女の答えは変わらない。
「そうよ。眠ることで、全て片づけてしまおうとしてるみたいに」
よく見知った人物から、改めて自分のことを明かされるというのは奇妙な気分だ。レイ自身、誰にも侵されない揺るぎなさで、自分自身を御していたとさえ感じていたのに。
内側をこじあけて推し量ろうとするようなルナマリアの目が恐ろしくて、レイは彼女の問いたげな様子にも構わず、あえて目を合わせなかった。恐ろしいというよりも煩わしいような気がして、どうしたって見られない。
それは恥ずかしいことだろうか。いや、そんなはずはない。
「でも、私からすれば、それはひどくおかしな感じだわ」
そらした視界の向こう側から、まるで呼びかけるような彼女の声がする。おおい、大丈夫か、帰ってこいと手を振りながら呼びかけるような彼女の姿が思い浮かぶ。遮るように首を振りたくて(でもそこで彼女の干渉を絶ってしまったら、結局は最悪の展開に陥ることが何故だかわかっている)それでも我慢していると、ルナマリアの髪が軍服の襟にすれて、そっと乾いた音を立てるのが聞こえた。
「レイがそのまま眠れなくなるような気がして」
すぐそばで、ひゅう、と彼女が息を飲む音がする。
何かが近づいてくる。見えない何かの気配が、ふいに。
「ひどく、恐ろしいの」
突然、左の指先に何か温もりを持ったか細いものが触れた。それが彼女の手だと気がついた瞬間(何故か、本当に何故かわからない、それが不安だったせいなのか、それとも動揺していたせいなのか)レイは反射的にその柔らかな熱を握りしめた。
「ルナマリア」
かすれたその呼びかけに彼女は答えなかったが、レイが手を握り返したことを気にしてはいないのだろう。
どうすればいい、と自分の奥底で途方に暮れたような声がする。そんなのは気のせいだと、動揺を押し隠してみても、レイは正直自分の声がおかしいのではないかと気になって仕方がなかった。
「だから、レイが殺した人のことも考えようって」
レイの長い指の感触を、後生大事に抱え込むような仕草でもう一度握りなおして、悔しさも悲しみも見られない、ただ腹立たしいような声でルナマリアが首を振る。
「私には解ってあげられない。ああ、でも『あげられない』っていう言い方は少し不遜な感じだから、だから言い直すけど」
自分が普段している不遜な言い方のことは、まったく頭から消えてしまっているらしい。彼女はそう言うと、そこで開いている反対の手の指を、苛々と何度も動かした。
「解らないけど、解ろうとするなら」
それは同じく人を殺す私だから、ルナマリアの言葉と共にその柔らかな髪の匂いが鼻をつく。
「私は、私はレイが眠れれば、それでいいのよ」
指先に力がこもった。レイが握りしめたのではない。繰り返すが、握りしめたのはルナマリアだった。
彼女は今度は苛々とつま先を動かして、至極不愉快そうな表情を浮かべている。
「レイは眠ることしかできないのに、そんなレイを、私にはどうしようもできないのに。それさえも無くなって、どうして明日も出ていけるの」
それは誰かに問いを投げかけているようでいて、彼女が自分自身にたずねているようにも思える。レイにはわからない、だから、待つしかなかった。ただはっきりしているのは、この手を離してはならないということ。この手を決して、離してはいけないということだ。
「どうして、『いってきます』って、言えるの」
いってきます。行って来ます。逝って来ます。
……逝って、来ることが誰にできよう。
ふと、振り返らないルナマリアの背中が、泣いているような気がした。
死とは、途方もない。
自分がこの手で撃ち殺したあの戦士のことを、朧気にでも忘れそうになっていたのは、きっとまるで償いを果たすときのような、物悲しくも後ろ暗い気持ちが、そこにあったからなのだろう。
死とは本当に、途方もないものなのだ。
一人で抱えるには重く、大勢で抱えるにもなお重すぎて、いつしかその本当の意味すらも忘れそうになる。
だから。
「だから、私は恐れないわ」
握りしめた二つの手のひらを引き寄せて、彼女は首を横に振ると、でも怖いのは本当よ、と付け加えておかしそうに笑う。
「怖いけど、本当は怖くてたまらないのかも、それでも私は、自分からその時を恐れたりしないでいるわ」
レイやみんな、人を殺す人が全て、恥ずかしく思うことがないように。
怖いと泣いて叫びながら、でもレイのために恐れないわ。
自分は結局、共にそのことを悲しんでもらいたがった子どものような存在であるのかもしれない、レイは彼女の言葉の意味を考えながら、ふとそう思った。