四日間の奇蹟
~First day~
俺は、今でも跡部と宍戸の身に起こった事態を、飲み込めない気持ちでいっぱいだった。実際、その事実を目の当たりにしても、信じられないという思いを抑えることができなかった。
俺は、自分の部屋の机の前に座りながら、あの病室でのやりとりを反芻した。
「調子はどうや?」
俺は、病室に入ると、ベッドに寝ていた宍戸に声を掛けた。
ジローも後から付いてきて、りょーちゃん大丈夫?とベッドに近づいて言った。
「ああ、割といい」
宍戸は身を起こし俺達を見てそう言った。
顔色が昨日より良くなっている。これなら、退院する日も近いだろう。明日にでも病院を出ることができるかもしれない。
ジローは、持ってきた紙バック―中身はたくさんの漫画だった―を宍戸のベッドの脇に置く。
「なんだそれは?」
「お見舞い!りょーちゃんずっとベッドで寝てるばっかで退屈でしょ?」
ジローは、紙袋から何冊か取ってベッド脇のテーブルに置いた。
「……ああ、ありがとう」
宍戸は、しかしあまり嬉しくなさそうにそう言った。
「あれ、りょーちゃん喜ぶと思ったのになぁ。やっぱ、景ちゃんが心配で読む気起きないか」
ジローは、心配そうに眉を下げて宍戸をのぞき込んだ。
「……悪いな」
そう言って宍戸は、ジローの頭をくしゃくしゃとかき回した。
宍戸は、事故にあったその日に意識を取り戻した。元もと怪我の程度が軽かったのか、意識を取り戻した宍戸はすぐに起きられるようにまでなり、俺達を安心させた。しかし、万が一の場合を考えて、一旦病院で様子を見ることになったのだ。
一方、跡部は重傷だった。頭部を強く打ったせいで、未だに意識が戻らない。しかし、体の方の怪我は、切り傷や打ち身といった軽いもので、骨折などという事はなかったようだ。これで意識が戻ったら、またテニスを今までと変わらない体でできることだろう。ただし、後遺症が何もなかったらの場合だったが。
跡部は宍戸をかばって怪我を負ったのだと、鳳と日吉から聞いた。
二人を最初に見つけたのは、実は鳳と日吉だった。
爆発の直後、やはり嫌な予感がした鳳が駆けつけたところ、跡部は宍戸を抱きかかえ守るような格好で、コンクリートの地面に倒れていたそうだ。近くにあった鉄柱(あの旗が吊されていた鉄柱だろう)に、べったりと赤い血が付いていたことから、宍戸をかばって倒れた跡部はあの鉄柱に頭を強くぶつけたのではないかということだった。
あの血の赤と鉄柱の銀色が未だに脳裏から離れない。
鳳はそう言って下を向いた。震えるその肩を、日吉が支えるように抱いて、二人が帰っていったのが昨日の事。
あの場所に二人が居なかったのは、はぐれた俺を捜してのことだった。
「いいのか。今、部活の時間じゃないのか」
宍戸は窓の外を見ながらそう言った。
窓の外には、傾き始めた午後の太陽が作る黄色い空気をまとった街並みの、見晴らしのいい風景が広がっていた。宍戸の病室は五階なのだ。
「こんな時に、のんきに部活やってられんて。それに、俺達三年はもう部活出なくてもええしな。その変わりに、日吉や鳳はまじめにやってるで」
一体どんな思いであの二人は今部活をしていることだろうか。
「そうか……。そうだった」
宍戸は、はやり窓の外を見つめながら、ぽつりと言った。
俺は、その宍戸の横顔に、どこか違和感を感じながらも、具体的にどこが違っているのかは明確には分からなかった。全体にかもしだす空気、という、なんだか曖昧で分からないものが、いつもの宍戸と違うと、ふと思ったのだ。
あの事故があってからまだ一日しかたっていない。跡部も重傷で意識不明だ(跡部が宍戸をかばって怪我をしたということは本人には黙ってある)という事実が、宍戸をそんな風にさせているのだろうか。
「りょーちゃん、元気だしてよ。跡部ならきっと大丈夫だよ」
しゃがんでベッドに腕をのせ、宍戸を見上げながらジローが言った。
「お前がそんな顔して言ったら、説得力ないだろ」
宍戸は笑いながら言う。その笑い顔は、はやり気が疲れているのだろう、どこかよわよわしい笑顔だった。
「なんや、疲れてるみたいやな。来たばかりやけど、帰ろか?」
「いや、そんな事ないぜ。俺は寝てるだけだからな。いいかげん暇してたとこだ」
「そうか?」
「ああ」
そう言った宍戸の顔は、顔色は普段通りになっていたが、はやり元気そうには見えなかった。病院のベッドに寝て、入院までしているのだ。それが当然といえば当然だったが。
やはり跡部の事が重くのしかかっているのだろう。
「そういや、岳人はどうした?いつもお前らと一緒にいるのに」
「がっくんは補習や。こないだのテスト、あんまし良くなかったみたいやな。なんや、二日間もあるとか言って、ふてくされてたで」
「おい、ジローはどうなんだよ。お前も補習じゃねぇのか」
「……忘れてた」
ジローは、へへっと笑ってぺろっと舌をだした。
「……たっく。お前って奴は」
宍戸は、へらへらと笑うジローに軽くでこぴんをして、ふっと息を吐いた。
「そういうりょーちゃんは赤点大丈夫だったの?」
「……、俺の事はいいの。補講だって、今の状況じゃ行きようがねぇし」
「ずるー。俺は言っとくけど、りょーちゃんよりは成績いいんだからね。赤点だって、一つしかなかったんだから」
「威張って言うことやないやろ」
俺が苦笑まじりにそう言うと、ジローはプクーとその頬を膨らませた。
もう一度、ふっと息をつくと、宍戸は笑いながらジローの頭を撫でる。
気持ちよさそうに目を細めるジローを見て、
「ちょっと咽乾いちまった。ジロー、悪いけど、下の売店で何か飲み物買ってきてくんねーか?」
宍戸はそう言って小銭を取り出すとジローに渡した。
「OK!何がいい?」
「なんでもいい」
「わかった。じゃ適当に買ってくるねー」
そう言って小走りにジローは病室を出ていった。
広い個室に、俺と宍戸の二人だけになった。
ジローの居なくなった病室の空気は静かで、なぜか居心地の悪さを感じた。俺はそれを誤魔化すために、ジローの持ってきた漫画を手に取る。
「ああ、この漫画俺読んだことあるわ。なんや中学生達がテニスする漫画や。まるで俺らみたいやな」
そういって宍戸を見ると、宍戸はその意思の強そうな瞳で俺をじっと見つめていて、その真剣な眼差しに俺はドキリとした。
「どうした?」
宍戸はふと視線を離すと、今度はベッドの掛け布団の上に出していた自分の手を見つめた。
そして言った。
「忍足」
「ん?」
「俺、宍戸じゃねーんだ」
一瞬、宍戸が何を言っているのか分からなくて、俺は聞き返した。
「はい?」
宍戸は、下を向いたまま言った。
「信じられねえと思うけど、俺は跡部だ」
冗談を言っているのだと思った。実際は、宍戸がこんな状況でこのような冗談(しかも、悪い冗談だ)を言うとはとても思えなかったが、しかしだったら冗談以外にどうその言葉を受け止めたらよいのか。