空の瞳
「俺もおんなじ。やっぱ、あいつが目標」
「うん」
「今までは、あいつの姿、あいつのプレイをこの目で見ることができて、
そして追いかけることができたけど。
これからはそうもいかないなって思ったら、
焦った」
俺達がこうして部活を引退し、受験勉強にせいをだしている間、
あいつはどんどん先に行ってしまう。
もう追いつけない、遙か高いところまで。
「あーあ!情けねえなあ。あいつはあんながんばってるってのによ。
俺たちはおとなしく机に向かって勉強か」
「勉強、してないやん」
「うっせえ!してんだよ、これでも。家とかで」
「ほお、そりゃ、月末の学力テストの結果が楽しみやなあ」
忍足はそうからかって笑った。
俺はジロリと忍足を睨みつける。
その時、忍足の笑い顔を間近で見た。
その笑顔は、諦めたような、とても淋しそうな笑顔だった。
ずっとこんな顔で笑っていたのか。
俺はなんだかたまらない気持ちになって、忍足の首に腕を回すと、
その頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
「わ!何すんねん!やめえって!」
「黙れ!何が、俺が聞いたるさかい、だ!」
「なんでやねん!せっかく俺がなぐさめてやろう思ったのに」
「だったら、そんな顔して笑うな!」
「…………」
忍足は俺の腕の中で、ふっと笑うと、ごめん、と言った。
何に対する謝罪なのか考えを巡らして、さっきのからかいに対するものだと思い至った。
「そうやもんなあ。
宍戸は、跡部といっしょにテニスするためにここの高校進むんやもんなあ」
そして忍足は、勉強、がんばってや、と言った。
「……お前はいかねえのかよ」
「俺の親父なあ、大学病院の院長やねん」
「知ってる」
「でな、やっぱ俺にも医者になってほしいみたいなんや」
「で?医者になるなら、大学に行ってから勉強すりゃあいいじゃん」
「俺、今下宿で一人暮らしやろ?やっぱ医大目指すならそれなりに勉強がんばらなあかんし。
家族のサポートとか、あった方がええんちゃう話になってな。こっち戻ってこいって言われた」
そう言って、忍足はぼんやりとテニスコートを見つめている。
俺は、なんと言ったらいいかの分からなくて、呆然と忍足のネクタイが風ではためくのを見ていた。
そんな顔せんといてや、忍足は笑う。
お前こそ、そんな顔して笑うな。
「お前は、行くつもりなのかよ」
「んーどないしようかなぁ。俺も、親のすねかじって生きてる身やからなぁ」
「そうじゃなくて!お前は、行きたいのか、行きたくないのか、そう聞いてんだよ」
「そりゃあ」
傾き始めた太陽の光の中で、忍足の横顔の、その意外に長い睫毛とか、
切れ長の瞳とか、そのすぐ傍にあるすっと通った高い鼻とか、
その上に乗っている丸いレンズとか、そういったものがふいっと下を向き、
そして俺を見上げて、
「決まっとるやん……」
と呟いた。
その顔は、ひどく頼りなげで、いつも飄々としていた忍足からは想像もつかない。
俺は、心臓がぎゅっとなって、奥歯をぐっと噛みしめた。
ぱしん。
「いった!なにすんのや!」
忍足の頭をはたいたその手で、今度は忍足の頭をぐっと引き寄せて肩に乗せる。
「お前はいちいち考えすぎなんだよ!ここに居たいんならここにいろ!
親なんて気にすんな!お前の生きていく場所くらい、お前が決めろ」
跡部とテニスすんだろ?俺がそう言うと、
俺の肩の上でくすぐったそうに笑った忍足は、そうやなぁ、みんなとテニス、したいなあ、と言った。
俺達は、冷たくなり始めた風に吹かれるまま、しばらくじっといた。
大きな歓声が聞こえた。
見ると、先ほどから続いていた後輩達の試合が今終わったところだった。
日吉と長太郎が握手を交わしている。
長太郎は悔しそうに笑い、日吉はそんな長太郎を見て怒ったように彼の頭をはたく。
悔しいくせに笑うな。そう言っている声が聞こえるかのようだった。
悔しいくせに……。
脳裏に声がよみがえった。
「ん?」
忍足が、なんか言ったか?、と顔を向ける。
俺は知らず独り言を言っていたらしい。
「いや、なんでもない。長太郎、悔しいだろうな」
「やっぱり、まだ日吉かあ。まあ、部長になったんやし、負けるわけには
いかんと思っとるんやろうなあ」
「ああ」
「悔しいといや、よく宍戸には言われたなあ。
負けたくせに何でもないふりして笑ってんじゃねえ、もっと悔しがれ、ってな。
俺、別に悔しくなかったわけやないで。ただ、素直に感情を表に出せんだけや。」
でも、今思ったらそれ、逃げてるだけやんなあ。
何でもないふり装って、
自分に嘘ついて、
それでまた負けてりゃ世話ないわ。
忍足は自嘲気味に笑った。
「今なら宍戸の言った本当の意味、わかるような気がしてん。
あない傷だらけになるまでがんばった宍戸の姿、見てんからな」
「いや、俺は」
「わかっとるって。自分だけの力じゃできんかった言うんやろ」
そうだ。
俺があそこまでがんばれたのは、
練習につきあってくれた長太郎のおかげだと思っているし、
そしてもう一人。
悔しいくせに、お前はそれで終わるのかよ。
その言葉を、俺は不動峰戦が終わった部室のロッカーのベンチに座って聞いていた。
お前らしくもなく、下向いて。
顔を上げろ。悔しいと思うんなら、動け。
必死に走って這い上がってこい。そして、俺と同じ場所まで登ってこいよ。
俺の前に立って、腕を組んで見下ろし、跡部はそう言った。
そして彼は、
そしたら俺はもっと高いところに登ってやる。
と、不敵に笑って言ったのだった。
俺は、ただただ跡部のその青い瞳を見つめていた。
吸い込まれそうだと思った。
あの言葉がなかったら、俺はあそこまでやれてたかどうかわからない。
いや、たぶん特訓しようとも思わなかっただろう。
俺は悔しさと絶望につぶされて、部を後にしていたかもしれなかった。
俺達は、顔を合わせれば喧嘩ばかりしていて、
あの不遜で高慢稚気な性格に何度もイライラさせられたが、
やっぱり俺は跡部が好きなんだと、
その時自覚した。
部長として。同じ部の仲間として。テニスプレイヤーとして。人間として。
横の男が言ったように、俺も跡部に憧れていたのだ。
「跡部って、やっぱ宍戸の事が特別なんやろうなあ。
あの跡部がやで、監督に頭下げて。
俺それ聞いたとき、びっくりしたもん」
「いや、俺もあの時はびっくりした」
「宍戸は、いっつも跡部追っかけてたもんなあ。
俺も含めてほとんどの部員は、そんな事できひんかったけど。
高すぎるもん、壁が。
だから跡部、日吉の事も実は気に入ってたで。
自分を追っかけてくれる人がいる、
それが跡部には嬉しかったんやろうなあ」
俺は、搭乗口に向かって歩いていった跡部の背中を思い出していた。
「すごいプレッシャーやったと思う。
200人もの部員まとめて、学校中の期待背負って、