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「たとえその名は呼べずとも」

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「……ぶ……ぎょうぶ……おい、刑部」
 三度繰り返され、やっと自分が呼ばれていると気が付いて大谷は顔を上げた。見れば三成が、困惑した顔でこちらを見つめている。
「やれ三成か。どうした」
「どうしたもこうしたもない。さっきから何度も呼んでいると言うのになぜ気付かん。呆けたか」
「なに、少しばかり考えごとをしていたまでよ」
 三成らしい辛辣な物言いに、そうは言い返したが嘘である。たいした考えごとなどしていなかった。しかし正直に呆けていたと答えるのも癪で、冗談半分、大谷はヒヒヒと笑ってみせる。
「もっとも阿呆の考え休むに似たりという言葉もあるゆえな。ぬしには呆けているように見えたのなら、われの思索もそれと変わらぬやも知れぬぞ」
「何をふざけている」
 だが三成はくすりとも笑わず、城の奥に視線をやっただけだった。
「秀吉様がお呼びだぞ、刑部」
 刑部。やはりぬしはそう呼ぶのか。大谷が眉を潜めたことにも、既こちらを見ていない三成は気付かない。
 先程、三度も繰り返し呼ばれるまで大谷が気付かなかったのは、刑部少輔に任ぜられてからまだ日が浅いという理由ばかりではない。ごく親しい友人であったはずの三成から、他人行儀な呼び方をされることに未だ慣れていないせいだ。
 なにしろ、ほんのしばらく前までは『三成』『吉継』とお互いを呼び合っていたのである。特に三成などは、気を抜くとうっかり『紀之介』などと旧い名を出してしまうほどだった。
 それなのにここ半月というもの、三成はまともに大谷の名を呼ばない。叙せられたばかりの『刑部』の役職か、良くて『大谷』だ。それまでのことを思えば、あまりにもよそよそしいと思う。
 呼び名だけではない。三成は急に大谷との間に距離を置くようになった。
 それまでの三成は、剣術の鍛錬をするにも大谷、兵法の議論をするにも大谷だった。それでは勉学にならないよ、他の者の考え方も学びたまえと、師である半兵衛を苦笑させていたほどである。
 時には呼びも招きもしないのに、ふらりと大谷の部屋にやってくることもあった。何か用事があって来るわけではないし、何を話すでもない。ただ「私がここにいて何が悪い」という顔をして勝手に座り込み、放っておけばおいたで機嫌が悪くなるわけでもなく、おとなしく書など眺めている。
 まったく妙な懐かれ方をしたものだ。そう思いつつも、嫌な気分はしなかった。馬が合ったとしか言い様がない。他に友と呼べる者に恵まれなかった大谷にとって、三成は初めての親友だったのだ。
 だがそれが、半月前から一変した。剣術の稽古や兵法の議論は大谷の本復を待って遠慮しているのかと思ったが、部屋を訪れてくることもなくなったのが異変を感じさせた。どうしたのかと声を掛けようとしても、すぐに逃げられてしまう。目を合わすのも憚られるのか、露骨に視線を逸らされることもあった。用でもなければ口を利くこともないし、先程のように冗談を言ってもまるで無反応だ。
 嫌われたものだ、と思う。だがそれも当然、とも大谷は半ば諦めもしていた。このような病を得てしまってはな、と大谷は己が身をぐるりと覆う包帯を見る。
 大谷が業病を患っているのが発覚したのは、今から一ヶ月ほど前のことであった。戦場で矢傷の深さに気付かず動き回り、血の管を傷付けて、危うく命を落としかけた時のことである。後で聞かされたところによると、血を流しすぎたせいで三日三晩も体が冷えたまま、意識も戻らぬままで、文字通り生死の境を彷徨ったらしい。
 しかし彼の地獄はその先ではなく、目覚めた後に待っていた。大谷を診た医師が、思いもよらぬことを言い出したのである。
 大谷殿は業病ではござらぬか、と言うのだ。
『それ、こちらに発疹がございます。浮腫みも腫れ物もございますし、手足が痺れなさるとのこと。またこの病は、進むにつれ手足より感覚が薄れてまいります。これほどの矢傷を負われても傷みは薄かったと申されるのであれば……おそらくは』
 信じがたい、また信じたくはない話であった。
 業病は不治の病だ。手足は萎え、目は光を失い、喉や肺が弱り、最期は親兄弟ですら目を背ける膿み崩れた姿になって死に至るのだという。
 しかも感染る、というのがまた悪い。
 乱れた世だ。誰もが命は惜しまぬと言うが、それは戦場での忠義の死、華々しい死のことだ。誰も病になどなりたくない。病で死にたいなどとは思わない。
 忌避されるのは当然であった。しかも生死を彷徨うほどの痛手で弱ったせいだろう。大谷の病は驚くほどの早さで進み、今では醜い腫れ物が体のあちらこちらに目立つようになっている。周囲の目を憚って包帯で隠してはいるが、それが却って奇怪な風体に見えるのか。病そのものへの恐怖もあって、大谷を避ける者は日々増える一方だ。
 三成がその一人に名を連ねたとて、なんの不思議があろうか。友の変心を大谷はそう受け止めた。
 悲しいとは思わなかった。
 昔から他人に忌避されるのは慣れている。実の父母ですらそうであった。幼い頃から将来の異能の片鱗を覗かせていた大谷を見て、喜ぶのではなく怖れたのだ。まあ、知るはずもない遠方の異変を言い当て、手を触れずとも念じるだけで物を動かし、数珠玉などを宙に浮かせて遊んでいたような子供だ。あれはもしや人の子ではなく、物の怪の類なのではなかろうかと怖れるのも当然であったかもしれないが。
 血を分けたはずの親ですらそうであった。噂を聞いた家中の子供たちも、怯えるばかりで誰一人近付いては来なかった。秀吉の小姓に上がった後もだ。
 ずっとそうだった。いまさら誰に疎まれようと気にするものか。われが諦めてしまえばそれで済むことよ。
 ところがどういうわけか、三成はこちらの気に触るようなことばかりする。大谷が諦めてしまえば良いと決めたというのに、その決心を揺るがすようなことばかりするのである。
 例えばこうだ。
「秀吉様のお呼びであれば、早う行かねばの」
 長々と続きそうな物思いを一旦脇に避け、立ち上がろうとした大谷の足がよろけた。
 これも病のせいだという。全身の力が徐々に衰え、いずれは馬に乗ることも歩くことも、立つこともできなくなるのだそうだ。
 幸いといっては難だが、大谷には軍師としての才がある。それを持ってすれば寝床の上からでも豊臣軍の礎として働くことは続けられるだろうが、戦働きができなくなるのはやはり寂しい。槍もやがて握ることすらできなくなるのかと思うと憂鬱にすらなった。
 しかしここで愚痴ったとて、何が変わるわけでもない。なんと難儀な病よと思いながら、大谷は壁に縋って体勢を立て直そうとした。そこにすっと三成の手が差し伸べられる。
「立てるか?」
 なんの迷いもなく差し伸べられた手であった。
 これだ。これが大谷の気に障る。
 今回に限ったことではない。三成は大谷がよろければすぐに手を差し伸べ、転べば起き上がるのに肩を貸す。大谷の近習の者をひそかに呼びつけて、動けるのか、痛みはあるのか、薬は手に入ったのかなどと仔細に尋ねていたこともあるらしい。
 名も呼ばぬ、まともに話もせねば視線も合わさぬ。笑い顔のひとつも見せぬ。そこまでわれを避けると言うのに、なぜぬしはこの身に手を差し伸べる?