王子様とゲーム。
それから数ターン。相変わらず吉田の異様な幸運を含め、変わりなくゲームは流れた。
「はい、次っ! 王様だーれだ!」
なぜだか気づけば司会進行を割り振られていた世良が声を張り上げれば、輪から うおお!と奇声が上がる。
「俺だ! ついに俺の番が来たぞう!」
びょん、と跳ね起き先端の赤く染まった割り箸を振る夏木はすっかりと興奮しきっていた。今夜、見事なまでに幸運から見放されていた男がとうとう王様を引き当てたのだ。周囲も知らず興奮が伝播する。なぜだか沸き上がる低いどよめきに、椿も思わず息を飲む。
「ようし、王様からの命令だあ……」
苦節数十分。幾度も外れ籤を引き、何度もひどい罰ゲームを遂行してきた夏木はそれまでの鬱屈を晴らすように腕を組み胸を反らせると周囲を見回す。
「6番があー……19番のー……」
文字通り王様然とした態度の夏木のたっぷりと間を持たせた言葉に、どれほどえげつないオーダーが来るのか、食堂がしんと静まり返った。それに夏木は満足そうに ふん、と荒い鼻息を吐くと後半を一息で口にする。
「おしりを10回ぺんぺんすること!」
「マジで?」
「地味に嫌だな」
「もちろん、6番は19番を膝に抱え上げてぺんぺんだぞ?」
がはは、と笑う夏木に、幸いにして外れ籤ではなかったけれども、思わず場面を想像して椿の口元が歪む。
これは、酷い。
膝に抱えあげられて尻を叩かれるだなんて、誰かの言葉ではないが、成人した立派な男がやるには確かに地味に嫌な命令だ。執行する方はまだマシだけれども、される方の羞恥と屈辱はいかほどの物だろう。
「さすが夏木、子持ちの発想は違うねえ」
隣で達海がにやにやと人の悪い笑みを浮かべている。その手の中の籤には2番と記されている。確かに、尻叩きくらいならば翌日の練習に支障はないだろう。ルールの限度内だ、外れている側からしてみれば、ちょっとした見ものなのも理解できなくはない、けれども。
「さあさあ、6番は誰だあ?」
「ああ、俺だ、な」
腕組みのまま上機嫌な夏木はくるりと周囲を見回す。それに手を挙げたのは緑川で。
「げェ、」
「ナツさん、そりゃキッツいわ」
先ほど指立て伏せなどという苦行染みた罰ゲームを楽々と遂行したETUの守護神の、常人離れした握力と腕力を目にした一同からは苦笑いと、精神的にも肉体的にもきつい罰ゲームを受けるであろう19番に対しての幾分の同情が湧き起こる。
「ンじゃ、19番は誰だ?」
続けての問いかけにも、さすがに今度ばかりは自ら手を挙げる者はいなかった。
けれど、今まで負の連鎖に巻き込まれ続けてきた夏木には同情心などと言うものはないのも当然で。
「椿、お前か?」
「ひぇっ! ち、違います!」
くるりと見回す夏木と目が合えば、どこか殺気立った眼差しで問いかけられる。椿はあわてて割り箸を突き出した。
「亀井は……」
「ちがいます!」
「世良ァ」
「俺じゃないッスよ!」
若手から順番に問いかけられ、口々に否定する。
「ニヒッ……」
傍らで、潜めた笑い声が上がった。ちらりと横目で伺えば、達海が愉しげな笑みを浮かべている。ガキ大将のような笑顔に、こんな場面だというのについつい視線が引き寄せられる。
「いやァ、やっぱり夏木はこういう場面でのクジ運いいね」
椿がぼんやりと達海の顔を見つめる間にも、夏木の外れ籤探しは続いていた。
「赤崎かあ?」
「違います」
確認の問いかけは夏木に続いて本日二番目に籤運の悪い赤崎へと進んだ。赤崎はいつも通りの淡々とした口振りで短く己の外れを否定し、割り箸を振った。
そして、一拍後に にぃ、と口角を上げ、再び口を開く。
「俺……じゃなくて王子です」
「ちょっ! ザッキー!」
「うおぉぉぉ! ヨッシ!」
赤崎の暴露にしんとしていた食堂がどっと沸き上がる。悲鳴を上げた吉田に対し、太い奇声を夏木が上げる。
「いやあ、ますます面白い展開になった。やっぱり、夏木の悪運は最強だねえ」
「夏木はここ一番のラッキーは随一ですからねえ。まあ、たまにはジーノにもいい薬でしょう」
ほくほくとした表情の達海と松原がまるで人事のような会話をしている。
ひょっとしてこれもなにかの試験だったのか。訝かる椿を余所に、本日最強の幸福の王子だった吉田は、丹波と石神に両側から挟まれ真ん中へと連れ出され、一気に悲運の王子に転落することになった。
「さあ、一気にスバーンとやっちまおう!」
夏木の掛け声に、輪になった一同からは奇声混じりの拍手が飛ぶ。その真ん中では吉田が両脇を抱えられ、身じろぎをしている。
「ザッキー、覚えておきなよ!」
「いや、今日は無礼講がルールっスから」
唇を震わせ頬を紅潮させる吉田には、いつもの余裕はない。それに、変わらぬ短い応えを返し赤崎は やっちゃってください、と緑川へ手を振った。緑川が小さく頷きを返す。
「さ、ジーノ。悪く思うなよ」
「おまえもたまには酷い目に遭った方が、人間の幅が広がるぞ」
椅子に腰を下ろす緑川の元へと、吉田を引きずる丹波と石神はにっこりと満面の笑みを浮かべている。二人も夏木ほどではないが先ほどのゲームで吉田に「適当に」無理難題を押しつけられた者たちだ。恨みは十分にある。
じたばたと暴れる体が緑川の膝上へと乗せられる。すかさず緑川の腕が、その腰をホールドした。こうなってしまえばどれほど暴れたところで、上下から抱え込まれて逃げることはままならない。
「冗談じゃないよ! なんでボク、が……」
それでも、往生際悪く身を捩る吉田の頭を緑川がふわりと撫でた。驚いた顔で振り返る吉田に、緑川が低く告げる。
「諦めろ、お前が例え王子でも、今は夏木が王様だ」