人を呪わば穴二つ
第三幕 暗闇の暗闇
夕暮れも間近な池袋に、独特のエンジン音が響いた。
人々の奇異の視線をすり抜けて、漆黒のバイクが我が物顔で疾走する。
周囲の人間からすれば、そんなふうに見えるだろうか。しかし、生きる都市伝説、セルティ・ストゥルルソンは、ごく人間的な理由でバイクに跨っていた。
そもそも、杏里が新羅の家にいたのは、セルティに相談を持ちかけたからだった。一通り杏里の話を聞いたセルティは、憔悴しきった杏里を心配し、客室で休むように勧めた。そして、その間に事情を尋ねるため、帝人の家に赴くことにしたのだ。
本来ならば当人同士で解決すべき問題だし、そこに首を突っ込むほどセルティもお人好しでは無い。しかし、杏里の様子にただならぬものを感じて、セルティは一肌脱ぐことにしたのだ。
セルティや新羅の目からすると、帝人が杏里に好意を抱いているのは明白だった。何がどうしてそんな話になったのか、興味が無いと言ったら嘘になる。
新羅の意見は、「いやらしい夢でも見て、まともに顔見れなくなっちゃったんじゃない? ほら、帝人君って純朴そうだし」だった。その時杏里は既に客室に行っていたので、万が一にも本人の耳に入らなくて本当に良かった。
――――――ま、野次馬根性丸出しの私も、人のこと言えないか……。
自嘲しつつもバイクを飛ばしていたセルティだったが、不意に見覚えのある人物と擦れ違った。
――――――…………あれ?
セルティは、慌ててバイクをUターンさせた。対向車線に入ったセルティは、歩道を歩いている後ろ姿を確認する。
そこに居たのは、今まさに会いに行こうとしていた竜ヶ峰帝人だった。私服姿で帽子を被っているので、一瞬分からなかった。
セルティはスピードを上げて追いつこうとしたが、赤信号に行く手を阻まれる。呼び止めることが出来ないセルティは、人差し指でハンドルを叩きながら遠ざかる背を見つめる。しかし、そんなセルティに気付かずに、帝人は細い路地を曲がってしまった。
――――――そういえば、ここの信号、めちゃくちゃ長いんだった……。
信号は、一向に変わる気配が無い。セルティは一瞬迷った挙句、思い切った行動に出た。
中央分離帯に乗り上げて急加速し、そのスピードを利用して跳躍した。特有の嘶きが響く。
ありえない軌道を描いて歩道に降り立つと、セルティは一端バイクを降りた。通行人がぎょっとしてセルティを避ける。セルティは、ごく自然な動作でバイクを押しながら路地を曲がった。車の上を跳び越したセルティだったが、流石にバイクで人通りの多い歩道を走るような真似はしない。
帝人の背中は、もうだいぶ小さくなっていた。再び角を曲がろうとするので、セルティはバイクに跨った。角を曲がり、帝人を追い越したところで止まる。
すれ違ったはずのセルティが目の前に現れて、帝人は目を丸くした。首を傾げ、不思議そうに問いかける。
「セルティさん、あの、何かご用でしたか?」
『ちょっとな。少し時間いいか?』
セルティはそう示しながら帝人を振り返り、思わずはっとした。
その顔は、杏里同様憔悴しきっていた。
セルティが掻き集めた周囲の視線から逃れるため、二人は近くの公園に移動した。並んでベンチに腰を下ろす。
「それで、何のご用ですか?」
帝人は笑みを浮かべたが、目の下の隈が際立ち、その表情を気味の悪いものに見せていた。セルティは、どう切り出すべきか逡巡する。
『その前に、何かあったのか? 酷い顔色だ』
気になって仕方が無いので、セルティは先にそう尋ねた。帝人は穏やかな微笑のまま、手元の帽子に視線を落とした。
――――――これは、新羅の予想は外れだな。
帝人の表情を観察しながら、セルティは予想以上に深刻なものを感じ取っていた。帝人は口元をもぞつかせているが、言葉は出ない。
『無理にとは言わないが、本当に酷い顔だ。話すだけでも話してみないか?』
セルティが促すと、帝人は迷うように視線を揺らめかせた。そして一つ溜め息を吐くと、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……ここだけの話にしておいてくれますか」
セルティが頷くのを確認して、帝人は言葉を続けた。
「あの、園原さんのことなんですけど……」
――――――ビンゴ。
帝人の表情が僅かに歪む。セルティは、無言で続きを促した。
「……園原さんのご両親が亡くなってるのはご存知ですか?」
セルティが頷く。帝人は、そこで言いにくそうに言葉を切った。言いかけては口を噤み、溜め息が沈黙を埋める。
「それで、その……犯人が……切り裂き魔だったって聞いて……」
ようやく帝人が口に出した言葉は、セルティに衝撃を与えた。セルティは思わずベンチから立ち上がり、戦慄く指先でPDAに文字を打つ。
『何が言いたいんだ!? よくもそんな恐ろしいことを!』
「僕だってそんなこと考えたくも無いです!!」
帝人がいつになく激しい語気で叫んだ。周囲の視線が、一瞬二人に集まる。
「……でも、絶対違うと思って、調べれば調べるほど、……」
顔を覆って俯く帝人を、セルティは複雑な心境で見下ろした。
「そんなこと絶対無いって思うのに……」
帝人が、搾り出すような声で言った。セルティは冷静さを取り戻し、ゆっくりとベンチに腰を下ろした。そっと帝人の背に手を置くと、帝人が下手な笑顔で顔を上げた。
「大丈夫です。分かってます。でも、……」
帝人は緩く首を振った。弱り果てた様子の帝人に、セルティは根本的な疑問を投げかけた。
『そもそも、どこでそんな事知ったんだ?』
帝人の情報源は、ネットが全てだ。切り裂き魔が過去に起こした事件は、リッパーナイトの頃は一部のオカルト系サイトで取り上げられていたが、今となっては新しい話題に埋もれてしまっている。意図を持って調べない限りは、そうそう目に触れる機会は無いはずだ。
「それは……折原さんが教えてくれて……」
思わぬ名前が飛び出して来て、セルティは再びベンチを立った。
『あいつの言う事を信じるなんて!!』
激昂するセルティに、帝人が情けない声を零す。
「信じられないから、調べたんです……」
セルティは、深呼吸するように肩を上下させると、もう一度ベンチに着席した。セルティの手の中で、PDAがみしりと音を立てる。
――――――あいつ、今度見かけたらタダじゃおかない……!
折原臨也。セルティの仕事相手の一人で、新羅の友人でもある。
セルティは彼を不快に思うことが度々あるが、今日ほど呪い殺したいと思ったことはない。実際、妖精であるセルティに呪いが使えるかは分からないが、臨也の薄ら笑いを思い出し、今度会ったら試してみようと内心強く決意する。
『私の口から詳しいことは言えないけど、それは絶対違うから。安心して』
セルティがそう言うと、帝人は泣きそうな表情で眉を下げた。元々の童顔もあいまって、余計子供っぽく感じさせる。
「そう……そうですか。良かった……」
良かった、と帝人は何度も繰り返す。