人を呪わば穴二つ
一方、セルティは複雑な思いを抱えていた。もちろん、セルティは杏里を疑ってなどいない。しかし、帝人の手前断言したものの、セルティにも明確な根拠は無かった。新羅は何か知っている様子だが、セルティはあえて尋ねたことは無い。
――――――まさか、本人に聞くわけにもいかないしな……。
そこそこ事情を知っているセルティでさえこの程度だ。断片的な情報のみを得た帝人が、疑心暗鬼に陥るのは仕方のないことだろう。
――――――とりあえず、その不安は私が預かっておこう。
帝人が、ほっとしたような笑みを浮かべた。顔色が優れないのでアンバランスだが、それに安堵してセルティも微笑んだ。
しかしこのとき、セルティは見落としていた。帝人の「信じられない」が、臨也のことではなく、話の内容を指していることに。もう一つ、セルティには見落としがあったのだが、やはり気付くことはできなかった。
――――――これでひと安心かな。
セルティは、帝人を家に誘う誘おうと、PDAに文章を打ち込み始めた。今から家に誘うと、時間帯的に夕食に差し掛かるだろう。帝人といい杏里といい遠慮しがちな性格なので、逃げ道の無い誘い文句が必要だ。
「あっ」
不意に帝人が声を上げ、セルティは手を止めて視線を上げた。
帝人は、ぽかんと口を空けている。その視線を追いかけ、セルティも内心で帝人同様の反応をした。
――――――池袋最強の男女が、並んで歩いてる……。
何故か、静雄と杏里が、二人連れで公園の外を歩いていた。二人とも、何か探すように周囲を見回している。
どうして家にいるはずの杏里が、静雄を伴ってここにいるのか。セルティが不思議に思って見つめていると、不意に静雄と目が合った。静雄が立ち止まり、杏里にこちらを指し示す。静雄が片手を上げたので、セルティは戸惑いつつも同じように返した。二人は何か話すと、セルティ達のもとへと歩いてくる。遅れがちな杏里を、静雄が時々振り返った。
距離がある程度狭まると、帝人がぱっと立ち上がり、二人の方へ駆けて行った。
――――――お、早速仲直りだな。
微笑ましくその背を見送るセルティだったが、帝人の口から出た言葉は、予想とは少し違っていた。
「どうしたの!?」
帝人は杏里に詰めよると、心配げに声を上げた。セルティは、はて、とでも言うようにヘルメットを傾けた。
「何かあったの? 大丈夫?」
杏里の顔を見て、セルティはようやく合点が行った。眼鏡越しで分かりにくいが、杏里の目元は僅かに赤く腫れている。セルティも、心配になってベンチから腰を浮かした。
「あ、あの……」
杏里の充血の残る瞳が瞬いた。
「うん、何?」
帝人が、神妙な顔で相槌を打つ。杏里は、帝人をじっと見つめ、それから、笑った。
「え? ……え、何?」
間抜けな声を上げて混乱する帝人を置いてけぼりに、杏里は俯いて笑みを零す。
「何か、勘違いだったみたいだな」
そんな二人の傍を離れ、静雄はいつの間にかセルティの傍まで来ていた。珍しく、口元に笑みを浮かべている。
『お前が泣かせたのか?』
セルティが冗談半分に訪ねると、静雄は目を丸くした。
「……んなわけねぇだろ」
僅かに狼狽する静雄に、セルティは表に出さずに笑った。静雄の機嫌を損ねる前に、セルティは早々に話題を切り替える。
『よくここが分かったな』
二人は帝人に会いに来たのだろうが、帝人の家まではまだ距離がある。
「あぁ、違う違う。この辺りで首なしライダーが出たって話してる奴が居てよ、ちょっとこの辺探してたんだよ」
『……そうか』
静雄は、何でもないことのように言ったが、セルティの心情は複雑だった。結果的に良い方向へ転んだが、帝人を追いかける際のアクションが、思った以上に人目についていたらしい。
――――――急いでるからって、交通ルールは守らなきゃいけないな。
白バイに追いかけられる恐怖を思い出し、セルティはふるりと震えた。交通ルール以前に色々なルールも破っているセルティだが、その辺りは深く考えない。
セルティは軽く首を振り、静雄に尋ねた。
『今から皆うちへ呼ぼうと思うんだが、お前も来るか?』
文章を読んだ途端、静雄は渋い表情を浮かべた。
「あー、新羅から連絡来てねぇか? ちょっと色々あってな、リビングがぐちゃぐちゃなんだわ」
申し訳無さそうに言う静雄に、セルティは慌てて携帯を取り出す。新着メールが三件、全て新羅からだ。急いで目を通す。
一通目は罪歌の暴走と静雄の追走について、二通目は静雄と杏里が向かうので帝人宅で待機しているようにという要請、三通目は、メールの受け取りの確認だった。
――――――気付かなかった……。
心なしか肩を落とすセルティに、静雄が言った。
「なんか業者呼んで片すみたいだからよ、夜までその辺ぶらぶらしといてくれって」
『そうか。ありがとう』
「いや、俺が壊しちまったからな。悪かった。ちゃんと弁償すっから」
殊勝に謝る静雄に、セルティは軽く手を振った。
『いや、事情は分かったから、気にするな。お前がいなかったら、新羅も杏里ちゃんも大変なことになってたんだ。これでチャラだ』
セルティは、杏里に視線を向けた。罪歌の暴走と言っても、一時的なものだったのだろう。杏里は帝人と話しながら、時折はにかむような笑みを零している。帝人の表情はセルティからは見えないが、耳が真っ赤に染まっているのが見てとれた。
「でもよ……」
納得行かない様子の静雄に、セルティは視線を戻した。
『大丈夫だ。悪い仕事をして儲けた汚い金がたんまりあるから』
冗談めかして告げられた偽悪的な台詞に、静雄が苦笑を浮かべた。
――――――しかし、家に戻れないのは残念だな。
セルティは、自宅に皆で集まる想像をしていたので、少しがっかりしていた。
――――――まぁ、久しぶりに池袋の街をツーリングするか。
ぎこちなく会話する帝人と杏里を眺めながら、セルティは即座に今日の予定を組み替えた。