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人を呪わば穴二つ

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第四幕 裸の王様


 東京の物価は、高い。
 一際目に付くのは、土地の価格だ。上京する人々の最初のハードルが、家賃の高さだろう。
 そんな高価な敷地を、何をするでも無く占有している寂れた廃工場があった。かつて黄巾賊が集会に利用し、ブルースクウェアが帝人と交渉した、例の廃工場である。
 青葉は、痛みを伴う記憶を振り払うように、緩く頭を振った。傷はとっくに塞がっているが、錯覚とも判断つかない痛みが走った。



 結局、青葉は呼び出しに応じ、廃工場の前まで来ていた。あれから何度か双子に連絡を試みたが、いずれも返事は無かった。
 ポケットの中に手を突っ込み、ひび割れたコンクリートの塊を見上げる。扉はぴったりと閉ざされ、周囲に人の気配は無い。青葉は、慎重に廃工場の扉に手をかけた。もちろん一人で来たわけではない。ブルースクウェアの面々を呼び出して、近くに待機させてある。それでも、警戒は怠らない。正臣にどれほどの悪意と、どれほどの度胸があるのか、青葉には分からない。
 帝人には知らせなかった。青葉は、未だに帝人がどこまで知っているのかを計りかねていた。仮に全て知っていたとしても、旧知の二人を会わせるのは避けたい。青葉の目から見て、帝人はどう転ぶか分からない不安定さを持っていた。変に里心がついても困る。帝人のブルースクウェアとしての活動が消極的になりつつあるのが悩みの種だったが、こうして秘密裏に行動するにはやりやすい。
 扉を開けても、工場内には誰も居なかった。明かりは点いているが、薄暗い。蛍光灯が何本か切れているようだ。
 扉を開け放したまま、青葉は工場内へと足を進めた。がらんと広い空間を見渡す。何の音もしない。湿度のある空気が、じっとりと空間を埋め尽くしていた。
 しかし、不意に気配を感じ、青葉は視線を動かす。
 隅に詰まれた廃材の影から、正臣がじっと押し黙って青葉を見ていた。
 青葉は一瞬ぎくりとしたが、すぐに笑みを貼り付けた。
「いるならいるって言って下さいよ」
 正臣は無表情のままだった。しばらく沈黙したかと思うと、不意に嘆息し、けだるい口調で話し始めた。
「……いや。来るとは思わなくってさ。びっくりしてたんだよ。集団で待ち伏せされてるとか思わなかったわけ?」
「別に、馬鹿正直に一人で来たわけじゃありませんよ。丸腰でもありませんしね。先輩こそ、そんなところに一人でいていいんですか? 俺がここまでぞろぞろ仲間連れて来たかもしれませんよ」
「俺だって、別に一人で来たわけじゃねぇよ。……獲物もあるしな」
 正臣は、足元に落ちていたバールを拾い上げた。それに付着している黒ずみが古くなった血液だと気付いて、青葉は口元をひくつかせる。一瞬でぴりぴりとした緊張感が広がった。
「つーかさ、それって人質取られてる態度じゃねぇよな……どうなっても知らねぇよ。あの子」
 正臣は、何の感情も感じさせない口振りで言った。バールを床に戻すと、廃材に腰掛ける。
「……さっきクルリの声は聞こえましたけど、マイルはどうしました? 両方とも連絡取れないんですけど」
「二人とも一緒だよ」
「そうですか。あいつ、変な格闘技覚えてるから、めちゃくちゃ強いでしょう?」
 猜疑的な姿勢を崩さない青葉に、正臣はふっと息を吐いた。
「……別に嘘は吐いてねぇよ。信じる信じないは、お前の自由さ」
「先輩は女の子に優しいって聞いてたんですけどね」
 青葉が冗談めかして言った。あの二人を攫うのは余程不意を突かない限り不可能だし、かなり荒っぽくなるだろう。人目もある。上手く行かない可能性のほうが高い。
「ぶっちゃけ、人質なんか居ないんじゃないですか? 人選が微妙すぎるし、何より、帝人先輩や杏里先輩にこのことがバレたら、困りますよね?」
 帝人や杏里の名前を出した途端、正臣は眉を寄せた。
「試してみればいいさ。あいつらが、俺とお前どっちを信じるか」
 青葉は、思わず苦笑を漏らした。押し問答を諦めて、本題に入る。
「それで、お話って何ですか? ま、大方想像はつくんですけどね」
 暴力による報復以外で、正臣が青葉に用があるとすれば、それはたった一つだ。
「……ダラーズから、帝人から手を引け」
「無理ですね。帝人先輩は、自分の意志でブルースクウェアのリーダーをやってるんです。俺に言ってもお門違いですよ。本人と交渉してください」
 予想通りの言葉に、青葉は用意していた答えを返した。正臣は、特に動じることもなく、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「俺は昔から、あいつのことはよく知ってるからさ。あいつ、一回決めたらめちゃくちゃ頑固なんだよ。だからさ、俺は、お前に頼むしかないんだよ」
「先輩が説得出来ないなら、俺じゃあ余計無理でしょうに」
 青葉は、軽く肩を竦めた。
「そこを頼むよ。お前に頑張って貰おうと思って、わざわざこんな卑怯な真似したんだからさ」
 正臣は、僅かに自嘲の色を滲ませた。その表情から視線を逸らさないまま、青葉はどう切り返すべきか思案した。



作品名:人を呪わば穴二つ 作家名:窓子