小さな花~白詰草~
「そんなに気を張り詰められたら、かえって気が散る」とハクオロに部屋を追い出され、トウカは書斎の入り口で側遣えの任についていた。
そこに華やかな笑い声と、少女2人の軽やかな足音が響く。
声の方に顔を向けると、アルルゥが何かを抱えながら後ろ向きに走ってくる。
「カミュち、遅い~」
「む~アルちゃん、早いよ~」
アルルゥの後ろに続いて走って来るのはカミュ。
「あ、トウカ姉様」と、カミュはトウカに気がついて走る速度を落とす。
ムントやベナウィ程ではないが、トウカも礼儀作法には少し煩い。廊下を走っていた所を見つかったとあれば……それなりの注意を受けるだろう。
「んぅ?」
カミュにならい前方を向き、トウカの姿を認め、自分も速度を落とし、止まろうとしたアルルゥの足下が疎かになった。
次の瞬間、とんっと床を蹴り、前のめりに倒れ込む。
受け身を取ろうと、反射的に差し出した手から花冠がこぼれ落ちた。
「アルルゥ殿!」
床を転がる花冠。
花冠の小さな白い花。
汚れのない白は、転んだアルルゥを受け止めようとしたトウカによって、踏みにじられ、一瞬にして無惨な姿に変わってしまった。
トウカの腕に支えられ、無言で足下の花冠を見つめるアルルゥ。
「……あ、アルちゃん、……え~と、その……」
床に転がる花冠を見つめるアルルゥに、何と声をかければいいのか。
先程まで一緒に花冠を作っていたカミュは知っている。
どんなにアルルゥが一生懸命、ハクオロの為に花冠を作っていたかを。
仕上げ以外の一切を自分に頼らず、何度も何度も作り直していたことを。
「お怪我はありませんか? アルルゥ殿」
腕の中の動かない少女を不審に思い、トウカがアルルゥの顔を覗き込むと、アルルゥは唇をきゅっと結び、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「どこか痛かったり、捻ったりしましたか?」
トウカの問いに首を振って答える。
ちゃんとトウカが受け止めてくれたので、どこも怪我はない。
泣きたい気分ではあるが。
しかし、花冠をダメにしてしまったのは、自分を受け止めたために起こった不慮の事故。
前方不注意も、廊下を走っていたのも、自分が引き起こした事。
いわば、自分で花冠を壊してしまったような物だ。
これでは泣きたくとも、泣けない。
「あの……トウカ姉様」
「カミュ殿?」
今にも泣き出しそうな顔をしているアルルゥに、おろおろと狼狽するしかないトウカ。おずおずとカミュがトウカの足下を示す。
示された先にある物は……
「…む? このような所にゴミが」
踏み付けられ、原形をとどめない花冠。
哀れ、トウカの目にはゴミに映った。
「トウカ姉様……」
トウカに悪意がないのはわかる。
元の綺麗な状態を、一生懸命作っていたアルルゥを知らなければ、確かにそれはゴミに見えるかもしれない。
だが、まぎれもなく、そのゴミは花冠だった。
ハクオロの為に、アルルゥが一生懸命作った……世界でたった一つの。
絶句するカミュに、このゴミがどうかしたのか? と眉根を寄せるトウカ。ゆっくりと自分を支える腕を解くアルルゥ。
「……アルルゥ殿?」
アルルゥは静かに足下のゴミを拾い上げる。
「……これ、アルルゥ作った。
おと~さんにあげる、お花のかんむり」
ぽそぽそと、小さな声で漏らすアルルゥ。
その言葉に、トウカは自分が何を言ってしまったのか理解し、全身の血の気が引くのを感じた。
「一生懸命作った。でも、不格好」
淡々と語る、アルルゥの瞳に涙が溢れる。
「…………ゴミに見える」
ぎゅっと花冠を抱き締め、声を殺して泣くアルルゥに、トウカは何も言う事ができなかった。
知らぬ事とはいえ、自分がどんなにアルルゥを傷つけたことか。
つい先程まで楽しそうに笑っていた唇が、今はしっかりと閉じられ、小さな嗚咽がもれている。
「アルちゃん、大丈夫だよ。
ちょっとへこんじゃったけど、おじ様きっと、喜んでもらってくれるよ」
確かにあの父なら、出来はどうあれ、喜んでもらってくれるかもしれない。
でも、今までで最高に上手く出来た物だったからこそ、渡したかったのだ。花冠なら何でも良いという訳ではない。
「だ、大丈夫!」と、アルルゥの腕から花冠を取り上げ、花冠を修復しようとするトウカ。
「ここをこうして……こうすれば」
踏まれてしおれてしまった花を取り除き、いくらか疎らに、そして細くなった花冠。
早起きしてお弁当を作ってもらい、ちょっと遠くまで摘みに言った白い花。
カミュに手伝ってもらい、綺麗に隠した茎。
アルルゥにとって最高傑作だった花冠は、修復を試みたトウカの手によって、見事に……
見事に…………瓦解した。
「「……………………」」
アルルゥはすでに涙すらも出ない。
直そうとした結果、完膚なきまでに崩壊させてしまったトウカは、なんとか場を和ませようと言葉を探し、口をパクパクと動かしている。
「……そ、某としたこ……」
やっと出て来たいつもの口癖は、最後まで続かなかった。
「うるさいですわ」と背後から現れた美女に…正確にはその手に下げられている徳利の一撃によって、遮られた。
「……つぅ~。カルラ殿!」
鈍い傷みに耐えながらも眉をつり上げ、立ち上がろうとするトウカの額を軽く押さえ制する。
「アルルゥの胸は、もっと痛いはずですわよ」
唇だけ動かしてそう言うカルラに、トウカはぐうの音も出ない。
大人しくなったトウカを解放し、カルラは動かないアルルゥの手を少し強く引き、自分の方を向かせる。
「もう一度、作りにいきましょう」
優しく覗き込むカルラを見つめ、アルルゥはゆっくりと首を振った。
「もう、いい。アルルゥ、綺麗に作れない」
一生懸命作り、自分では最高の出来だと思っていた物を、大好きなトウカにゴミと言われてしまい、アルルゥはすっかりしょげていた。いつも元気に揺れている尻尾も、今は静かなものだ。
「私が、綺麗に作るコツを教えてさしあげますわ」
「……本当?」
「あら、私がアルルゥに嘘をついた事なんてありまして?」
艶やかに微笑むカルラ。
ハクオロやトウカに対して悪戯をしかける事はあるが、自分やカミュに嘘を教えた事は一度もない。歯に衣を着せない、本質だけを見抜いたカルラの物言いは、父やベナウィの言う事より分かり易かった。
「…………ない」
「では、決まりですわね。早速行きましょう」
「ん」と短く返事をかえし、ゴシゴシと顔を拭くアルルゥの目を盗み、カルラは『名誉挽回の機会を作ってやった』とトウカに目配せをする。
「……某も……」
ついて行こうと腰を浮かせるトウカに、アルルゥは一瞬だけ顔をしかめた。
自分の不用意な発言でアルルゥを傷つけ、すっかり嫌われてしまったトウカ。その表情だけで足から力が抜けていくのを感じたが、ここで黙って見送っては、一生可愛いアルルゥに嫌われたままだ、と足に喝を入れる。
「某も一緒に、参ります」